遺書にラブレター【完】

車通りの激しい道路。信号の無い交差点。
歩道の狭い道。
駅のホーム、階段、電車。



移動は緊張しとても大変だ。耳と足と周りの空気すべてに注意を払いながら進む。

ひたすら忍びのように意識を集中するのは疲れてしまい、頭が痛くなることもあった。



百貨店から駅までを、ゆっくりと噛みしめるように歩く。途中にある階段は、すぐ脇のスロープを使うようにしていた。


いつも通りの、いつものルート。

必ず同じ場所を通れば、そうそう怖くない。

しかし、いつも使うスロープからは、いつもは聞こえない音がした。
ガッ カッ シャー ゴロゴロ

たくさんの音が聞こえた。

スロープについているはずの、手摺りがカンッと鳴る。

楽しそうな男の人達の声。
おそらく集団だ。


(工事……じゃないよね)


怖い人達だったらどうしよう。
姿が見えないため、何人いるのか、どんな人達なのかさっぱりわからない。

仕方ないから階段で行こうと切り替える。


(ここの階段、何段だったっけ……)


真横のスロープから聞こえる騒がしい声がちょっと怖く感じた。どうも、がらが良く無さそうなのだ。

10年も目が見えなければ、第一印象は声になる。
声と話し方でなんとなく、その人の人となりを判断出来るものだ。

ガーとタイヤが転がる音から推測すると、スケボー集団がいるのではないか。

お姉ちゃんが、夜の駅前はダンス、スケボー、バイクの練習場所になってるよと言っていたことを思いだした。

手摺りに恐る恐る指を伸ばす。
カンカンガーガー聞こえるけれど、これは何をやっているんだろう。

なんとなくいやだなぁと思いながら、一つ目の階段に足をかけたとき、ガーっという手摺りを擦るような音と、若い男の悲鳴が聞こえた。


「うわあああ!! 危ないっ!!」


周囲から悲鳴が聞こえたと思ったら、急に体に衝撃が来て、後ろに飛んだ。

すこしだけ体がふわっとし、すぐに地面に背中を打つ。
手にしていた白杖も、バッグも飛んでいった。
「い、いたた……」

背中を打って擦りむいたみたいだ。
ゆっくりと起き上がると、すぐ近くから「うー……いってええ」とうめき声が聞こえた。

「おい奏多。大丈夫かよ派手に落ちたな」

ギャハハハとお世辞にも品がいいとは言えない笑い声がちかづいてくる。
人を小ばかにしたような、いやらしい話し方だ。

「おねーさんは、だいじょーぶぅ? 怪我はー?」

この人はさっきの人ほどではないが、形式的に聞いてるだけで、いかにも面倒くさそうだ。

「え、あ、ごめんなさいっ。あーやべえ。痛いとこない? 頭打たなかった?! マジでごめんなさい!!」

ぶつかった相手のようだ。
腕を支えて立たせてくれて、服が汚れてしまったのか軽く叩いてくれた。

初めての相手は間合いとか、空気がわからないからすごく嫌だ。

「あ、あの。大丈夫です。
ちょっと擦ったぐらいで……あの、それよりも、白杖(はくじょう)とバッグを拾って貰えませんか」

白杖がないと不安でたまらない。
持っていないと、目のことを気がついて貰えないことが殆どだ。

バッグはどこに行ってしまったのだろう。見えもしないのにきょろきょろと首を動かした。


「え? はくじょーって、なに?」

きょとんとした声が返ってくる。


「白い、杖です……」

そう呟いたとき、「おい、この女……」と囁きが聞こえた。目が見えない分、耳が鍛えられているんだ。
こういうときは、大概、体のことを言われてる。いつになっても慣れないものだ。
***

夜になると、大学の最寄りの駅前は、スケートボードの練習スポットだ。

そして夜の駅前は、治安がちょっとだけ悪くなる。
夕方、帰宅ラッシュのサラリーマンが溢れる頃から、約束をせずともポツリポツリと集まり、いつしか輪が出来る。

同じ趣味をもつ仲間に会うため、サークルがない週末はいつも遊びに来ていた。

毎週メンツは違くて、その日、その場にいる奴らと適当に遊ぶってのが通例だ。
だから名前しか知らなくて、連絡先を知らないやつもたくさんいる。

その中にはちょっと? いや、かなり? 乱暴な奴もいて、騒いで近所のマンションから煩いって苦情が来たり、BMXっていう自転車競技の練習しているおにーさんたちと喧嘩しちゃったりして、警察に注意されたりすることもある。


奏多(かなた)ぁいいぞー」

「おー!」


レールトリックってやつを絶賛練習中な俺は、前回手首を骨折してやっとくっついたのにも関わらず、また同じ技に挑戦しようとしていた。

一ヶ月のギプスは不便だし臭ぇし辛かったが、そらくらいでへこたれる俺じゃない。


「いっきまぁす!」

床を蹴って板を走らせる。
先週染めたばかりの髪に、ふわっと風が入った。
お気に入りのカラーだ。

大学では苔が生えてるって馬鹿にされたけど、イエローマットだっつうの。
お洒落を知らないやつらめ!
「い、た、た、たぁーー……」

やっと手首が治ったのに、またこんな事故を起こすなんてホントついてない。

全身を確かめるが肩を打って擦っただけだ。

(あーマジ良かった。死ぬかと思った)

胸を撫で下ろすと、一緒に滑っていた佐久間さんに「ばあか」と笑われる。
見ていたみんなも周囲に集まってきていた。


「お前下手くそなのに、難しい技ばっかやるから怪我が多いんだよ」

「下手だから練習してるんですってば」


ぶつかったのは同い年くらいの女の子だった。
ワンピースを着たとても可愛らしい子。
ゆるく巻いた長い髪をふわふわとハーフアップにしていて、お嬢様みたいだ。

見ると膝と手のひらから血が出ている。
ワンピースの裾が汚れてしまっていた。

「あー! ごめんなさいっ。あーやべえ。痛いとこない? 頭打たなかった?! マジでごめんなさい!!」

慌てて立たせて上げると、彼女はびっくりしたようで、わたわたと手を動かした。
ぎゅっと袖を掴まれてどきっとする。
怖がらせてしまったのか。
「あ、あの。大丈夫です。
ちょっと擦ったぐらいで……あの、それよりも、白杖とバッグを拾って貰えませんか」

「はくじょー?」

なんだそれは。
薄情者っていいたいのか?

落とした物を拾わせるなんて、本当にお嬢様かも。まぁ、俺がぶつかったんだからもちろん拾うけどさ。

わけわからず視線を周囲にやると、白い杖とバッグの中身が散乱していた。


「白い…杖です」

彼女の声は小さく震えていた。
泣かせてしまったかと顔を覗くが、どうにも視線が合わずに首を傾げる。
ずっと、遠くを見ているようだ。目の前の俺と話してるのに、俺を見ていない。

それと同時に、あっと閃いた。


(……この子、目が見えないんだ!)

佐久間《さくま》さんが「この女、しょーがいしゃじゃん?」と耳打ちしてきた。
聞こえたらどうするんだと眉をしかめる。


「わ、荷物ごめんね! 拾うからまってて」

俺は慌てて彼女の荷物をかき集めた。

ポーチに電子カードに、スマホ。ノート、筆記具に病院の薬袋。財布とハンカチを佐久間さんが拾って渡してくれた。

それを、ブランドのトートバッグに詰め込み、彼女に慌てて渡す。白杖を握らせると、彼女はほっと息をついた。
「家どこ? 送るよ」

「いいえ、電車に乗りますので」

「あ、じゃあ手当てしよう。擦ったところ痛いっしょ? 血が出てるからさ」

「ほんとに大丈夫なので、あの、もう帰らないと……」

「後で痛くなると困るから、せめて連絡先交換しておこうよ。あ、名前は?」

送ると言っても拒否されしまい、途方にくれる。
せめてもと思って心配でそう言ったのに、周りが冷やかしたせいで彼女は気分を害したようだった。


「奏多《かなた》ぁ! 新手のナンパかよ。うける」

「しつこくて嫌がられてんじゃん」

「ぶつかったのわざとじゃねえの」



「ちげーって!」

こっちは真面目なのに。
煩いなぁと思って振り返ると、佐久間さんがニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。

それがあまり良くない種類の笑い方で、嫌な予感がした。

(目の見えないこの子が遊ばれてしまったら……)


「じゃあ、改札まで送るよ。ね?!」

強引に彼女を促した。

無事に改札まで送って別れたけれど、彼女は頑なだった。
名前も連絡先も教えてくれない。


しつこく聞いていたら、駅員にナンパかと思われて注意されて急いでその場を離れたのだった。

とぼとぼとみんなのところへ帰ると、みんなはさっきの事など忘れて練習を始めていた。


「奏多帰ってきた」

「どうだったー? 連絡先ゲットできた?」

揶揄われて、すこしくらい労いの言葉はないのかとムッとした。


「できねーよ! みんなしてうっせぇよ」

「なー、見ろよこれ」


佐久間さんが肩を組んで目の前に掲げたのはお金だった。
三万円。大金じゃないか。


「なんすか、これ」

「さっきゲットしたんだよ。もう練習止めて、今日はこれで飲みいこうぜ」

「ゲット……? どういう……」

そこで、さっき彼女の財布を拾ったのは佐久間さんだと思いだす。


「ーーーーまさか……!!」

驚くと、佐久間さんはまたいやらしい笑みを浮かべた。

無事に改札まで送って別れたけれど、彼女は頑なだった。
名前も連絡先も教えてくれない。


しつこく聞いていたら、駅員にナンパかと思われて注意されて急いでその場を離れたのだった。

とぼとぼとみんなのところへ帰ると、みんなはさっきの事など忘れて練習を始めていた。


「奏多帰ってきた」

「どうだったー? 連絡先ゲットできた?」

揶揄われて、すこしくらい労いの言葉はないのかとムッとした。


「できねーよ! みんなしてうっせぇよ」

「なー、見ろよこれ」


佐久間さんが肩を組んで目の前に掲げたのはお金だった。
三万円。大金じゃないか。


「なんすか、これ」

「さっきゲットしたんだよ。もう練習止めて、今日はこれで飲みいこうぜ」

「ゲット……? どういう……」

そこで、さっき彼女の財布を拾ったのは佐久間さんだと思いだす。


「ーーーーまさか……!!」

驚くと、佐久間さんはまたいやらしい笑みを浮かべた。