そこからは慌ただしく時間はすぎた。
お父さんもお姉ちゃんも会社を早退して、病院に駆けつけてくれた。

わたしは地に足がついていないような感じで、ふわふわした気分で過ごした。
病状の説明や検査を何度も済まして、点滴したり目薬したり、忙しい。

角膜は臓器と違って比較的簡単な手術ではあるが、わたしは特殊な病気で、移植を終えても治らないかもしれないという不安があった。


角膜移植をしても、治らないと言われ続けていた病気なわけで、技術が進歩し新しい治療法が見つかったと聞いても、前例が殆どないから術後の経過も分からないし、成功例も数件しかないのでは、自分が実験台のような気にもなった。


(奏多が励ましてくれたら、もっと勇気がでるのにな)


奏多には何度かメールをしたが、既読にならない。

どうしたのかな。
あんな簡単なメールでドタキャンしたから、怒ったのかも。

手術終わったら、ちゃんと謝ろう。

どんな顔して会おうか。
奏多はきっとびっくりするだろう。
そして、喜んでくれるはず。


まだ手術が成功すると決まっていないのに、会えることを想像したら、それだけで胸が締め付けられた。

奏多はどんな顔かな。
お父さんとお母さん、お姉ちゃんも会えたら10年ぶりだ。


(ーーーー成功しますように)

提供者や家族、病院の人。
全ての人に感謝を込めて、祈った。