「ごめん。デリカシーなかった。
悪い意味じゃなくて、なんもわかんないから純粋な興味で……傷つけてごめんなさい」
掴んでいた手が離れる。
謝られても興奮はおさまらなかった。
でも、もうどうでもよかった。
勝手に期待して、勝手にがっかりしただけだ。
「ーーーーいいの。突然騒いでこちらこそごめんなさい」
それだけを伝えて。
もう帰ろうとした。
やっぱり、健常者といても傷つくばかりだ。
「お金、返してくれてありがとう」
鞄にしまい、駅へ向かおうとすると、白杖を掴まれた。体をビクッとさせる。
「……ねぇ! 白杖を掴まれるのが一番怖いの!!」
「……知ってる。それもネットで見た」
「じゃあ、なんで……」
「まだ、帰って欲しくなくて……俺、凜と仲良くなりたいんだ」
「……は……な、なんでわたしなんかと……」
「友達になるのに、理由なんかいらないでしょ。
凜のこともっと知りたい。
俺、怒らせちゃうことたくさんあると思うんだけど、わかってないことあったら今みたいに教えてよ。ね?」
「友達……?」
「うん。お願いします」
両手をにぎにぎと揉まれて、また心臓が変になった。
怒ったり泣いたりドキドキしたり、今日のわたしはめまぐるしい。
こんな風に、突然友達が増えるのは初めてだった。
ぎこちなく頷くと、奏多は嬉しそうに「じゃあ、行こう」と言った。
「どこに?」
「百貨店。口紅無くしちゃったお詫びにプレゼントさせて」
「ーーーーえ?! い、いいよ。そんなの」
「俺の気が済まないからだーめ!」
「見えないのに楽しいのかって、言ってたじゃない」
「あの、失言は謝るけど、それは単純に気になっただけで、凜の化粧にケチ付けたわけじゃないからね。凜はすごく可愛いよ。
服も、髪もお洒落だし、化粧も似合ってる」
「ーーーーな、え……」
あまりのストレートさにぐっと息が詰まる。
「ねぇ、今どきの人って、みんなそんななの?」
聞いてる方が恥ずかしくなる。
「今どきって、同い年じゃん」
「そうだけど、わたしは世間に疎いから……」
苦い顔で告げると、奏多は苦笑した。
「俺、思ったことをすぐ言ったり行動したりしちゃうんだよね。まあ、それでよく失敗して怒られるんだ」
辟易している雰囲気が伝わってきて、さっき怒鳴ってしまったわたしも思わず笑った。
***
奏多《かなた》とお姉ちゃんの勤めるショップへいくと、お姉ちゃんはびっくりしていた。
「ーーーーは?! え?! 彼氏?!?!」
「ちがうから……!」
きっと目を白黒させているだろう。
姉の澪《みお》だと紹介すると、奏多は「こんにちはー」と陽気に挨拶した。
「ね、凜が無くしちゃった口紅ってどれ?」
「あ、ちょっと…!」
お姉ちゃんには内緒にしていたのに、奏多にバラされてしまい慌てる。
「え?! あれ無くしたの?」
「う……うん……」
お姉ちゃんの腕を引き奏多から離れる。
コソコソと今までの経緯を簡単に話すと「やだ。素敵」とワンオクターブ声が高くなった。
「それって、一目ぼれしましたって言ってるようなものじゃない」
「お姉ちゃんってば、揶揄わないでよ」
「だって凜のこと、お金返すために一ヶ月も探してくれて、仲良くなりたいって言って、さらにはお詫びに口紅も買ってくれるんでしょ? 優しいじゃない」
「い、いい人そうなのはわかるよ……でも、彼は……」
「健常者だからっていいたいの? 健常者と障害者のカップルなんてたくさんいる。それに、彼はそんなの気にしてなさそうだけど。
凜も気になるならさ、お友達になりたいって言ってくれてるんだから、難しいことは考えずに仲良くしてみたら?」
ぽんぽんと背中を叩かれた。
困りながらも少し嬉しい気持ちもあって、まんざらではなかった。
「……ねぇ、奏多って、どんな感じ? わたしはね、犬っぽいなって思うんだけど」
おずおずと告げると、お姉ちゃんはカラカラと笑った。
「そうね。第一印象は、元気であったかくて、太陽みたいな子かな」
「……そう」
「因みに、背も高いしお洒落だし、すごくイケメンだよ」
お姉ちゃんは、最大の秘密を暴露するように囁やいた。
「わたしには、容姿は関係ないもん」
「うん。だから、おまけの情報ね」
お姉ちゃんはいひひと笑い、奏多の元へと戻った。
****
百貨店での買い物を負えワンルームの部屋に帰ると、空っぽの財布を眺めて、深い息を吐いた。
まさか口紅が五千円もするなんて。
それでなくても、佐久間さんに盗られたお金の返金で、懐は寒くてしかたがない。
「バイト増やそ……」
仕送り含めてもきつきつだ。
ブランド物だっていうし、俺のせいで無くしちゃったんだし仕方が無いが、凜のお姉さんはここぞとばかりにアイ…なんだっけ? とにかく瞼に色塗るやつとか、香水とか色々と薦めてきた。
凜が落とした口紅は限定ものだったらしく、もう売り切れてなかったのが残念だったが、他に新色だという、凜によく似合うものが買えて良かったと思う。
2人はよく似ていた。
姉の澪ははつらつとし妹を支え、凜は安心して甘えきっていた。
美人姉妹っていうのがしっくりくる2人だが、目の障害のせいか、凜のほうがより色白で儚い感じがした。
見えもしないのに、鏡の前で澪に化粧を試して貰っている姿は、なんともうれしそうで、健気で。
何であの時、あんな事を言ってしまってのかとひどく後悔をした。
凜は許してはくれたが、それはほとんど諦めに近かった。
どうせわかって貰えない。そんな気持ちが根本にあるのだと思う。
帰り際に、やっと教えてもらえた連絡先を眺める。
握りしめたスマホには、高垣凜《たかがきりん》と表示されていた。
メールはアプリで読み上げてもらうのだそうだ。
これからどうやって連絡をとろうかと、考えるだけでそわそわとする。
笑った顔にどきりとした。
決して合わない視線に、なんとも表現し難い気持ちになって胸をかき乱された。
もっと、知りたい。
なぜだろう。
ぶつかったあの日から、気がつけば凜のことばかり考えていた。
***
午前中の講義が終わり食堂でお昼を食べていると、哲弥《てつや》が数量限定の日替わりランチをトレーに乗せて近づいてきた。
隣の椅子を引いて座る。
付き合いは大学からとそう長くはないが、とても気が合って、授業もサークルも殆ど一緒にいる親友だ。
「奏多、また300円の具なしラーメン食べてんの」
「金欠なんだって」
カツサンドにポテトにサラダにアイスコーヒーのセットは羨ましくて仕方が無い。
横目に見ながら味の薄い麺をずるっとすすった。
「ああ、お金盗まれちゃったやつ。
解決した? 毎日駅前で待ってるとか、よくやるよなぁ」
「俺は義理人情に熱い男なの。謝んなくちゃだし、ちゃんと返さなくちゃだろ。
先週末、やっと会えてさ」
「え、マジ?」
「うん。なんか、月1回しか駅には来ないんだって。前回合ったときも通院だったらしくて。
謝って、お金も返してとりあえず解決した。んで、連絡先交換してもらってさ」
「おー、よかったじゃん。どんなこ? 写真とかないの?」
「ないよ。いきなり写真撮らせてとか、ふつーいわねーだろ」
「だって、奏多が夢中だから、もしかして好みの子だったのかなって」
「…………」
下心がゼロなわけではない。
図星なのを誤魔化すように、残りの麺を掻き込むとスープをぐびっと飲んだ。
それだけでは満腹にならなくて、哲弥のポテトを数本盗む。
「あ、やっぱりそうなんだ」
哲弥は俺の手を叩きながら言った。
「それだけじゃないからな! 俺はちゃんとお詫びをしたくて……」
「あーはいはい。わかったわかった。何歳? 今度合わせてよ。奏多が好きな子なら会ってみたい」
「同い年だった。まだ好きとか決まったわけじゃ……」
「はいはい」
なんでもわかってるようなハイハイに口を尖らせるが、すぐに気分を切り替えた。
「今度、遊びに誘ってみようと思うんだけど、どういうところが楽しいかな」
哲弥が来るまでに調べていた、視覚障害者とのデート方法をスマホに表示して見せた。
気を遣いすぎるのもどうかと思うが、何せ基礎知識が無いに等しい。
「え、もうそんなに仲良しなの?」
「なんか、家に帰ってからお金をちゃんと確かめたらしくて。貰いすぎだから返したいって連絡きてさ。真面目で良い子なんだよね」
「ふうん」
哲弥はニヤついた。
***
奏多と会うのに、なんでこんなにドキドキとしているのかわからなかった。
家族以外と出掛けるのは緊張する。
わたしは奏多のことをまだよく知らないし、つまらないと思われたらどうしようって不安になる。
きっと、だからだと言い聞かせた。
なぜ奏多と出掛けることになったかと言うと、電話をしたときに、お金を返す返さないで押し問答になり、折れた奏多が提案したのは、「じゃあ、そのお金で遊びに行こう!」だったからだ。
てっきり、どっかのカフェでちょっと話をするとかだと思ったのに。なんでもテーマパークに連れて行ってくれるらしい。
哲弥さんという友達とその彼女さんも一緒に行くことになり、それをお姉ちゃんに相談すると、「ダブルデートじゃない!」と喜んでいた。
わたしはそれを聞いてさらに緊張が増してしまった。
指定されたのは、動きやすい格好。
わたしより張り切ったお姉ちゃんに準備して貰った、ズボンと薄手のセーターに着替える。
奏多に買って貰った口紅を塗り、髪の毛はゆるく1つにまとめて貰った。
スニーカーを履き、ショルダーバッグを肩から斜めにかけ、白杖を持つと玄関を出る。
車で迎えに来てくれるという奏多を待った。
テーマパークは家族と五年前に行ったきりで、戸惑いつつも、ちょっと楽しみにしていた。
まさか、同年代の友達と一緒に出掛けられるなんて。
親友だと紹介された哲弥さんは、物腰の柔らかいひとだった。
奏多が明るくて屈託がないので、落ち着いている哲弥さんとはよいペアだと感じた。
哲弥さんの彼女である奈子さんも同い年で、大学で福祉の勉強をしているらしく、わたしのことを“わかっているひと”でありがたかった。
正面からちゃんと話しかけ「握手をお願いしてもいい?」と手を包んでくれた。
ちょっとカサついて、ふっくらとした女性らしい手。それを知るだけで、彼女の情報が増える。
声も落ち着いている。
働き者で優しいといった第一印象だった。
運転手は哲弥さん。
四人で車に乗り込み、テーマパークへと出発した。
テーマパークはたくさんの音がした。
陽気な音楽に乗り物の機械音。興奮気味の悲鳴にたくさんの笑い声。
外って、こんなんだったっけ。
ずっと、こんな世界に触れていなかった気がする。
「凜って絶叫系大丈夫?」
「久しぶりだけど、たぶん大丈夫」
「よし、じゃあ行こう。俺に捕まって」
奏多が手を握って、腕へと導いた。
初めて出会った日、改札まで送ってくれた時とは大違いだ。
あの時は手を引っ張るわ急に肩をつかむわで、ビクビクし通しだったから。
思いだしてクスリと笑う。
もしかして、また、調べてくれたのかな。
歩み寄ってもらえるのは素直に嬉しかった。
「あ、何笑ってんの」
「なんでもない」
奏多はシャツの袖を捲っていた。
肘の位置がちょっと高い。
そういえば、お姉ちゃんが背が高いと言っていたし声も上から届く。
お父さんと全然ちがう。
(筋肉質だ……)
腕に直接触れるのはドキドキとした。