「すみません、先生。昨日母に相談したところ、やめたほうがいいと言われてしまって。この夏休みは勉強に専念しようと思います」
「そっかぁ。残念だけど、それが月森さんの選択なら仕方ないね」

 登校してすぐ、担任にボランティア辞退を伝える。もしかしたらお母さんに話を通してもらえるかも、という淡い期待は打ち砕かれた。
 礼をして、教室へ向かう。昨日の帰り道を忘れたみたいに、足取りは空虚なものになっていた。

   ◆

「ごめんね、一葉ちゃん。せっかくチャンスを作ってくれたのに、無駄にしちゃった」
「え、どういうこと?」

 昨日話してしまった以上、いずれ参加しなかったことはバレるだろう。
 だったらさっさと言ってしまおう、と口を開く。いつも出している完璧な声を封印したら、今にも泣き出しそうな声が出た。そのとき初めて、自分が泣きそうになっていることに気づく。

「お母さんに反対されちゃって。お父さんは私にもっと期待してるみたいだし、お母さんに反対されちゃったらもうできないの」
「……みたい?」

 一葉ちゃんの前では取り繕わないけれど、今は他のクラスメイトの目がある。必死にこぼれ落ちるものを留めながら話すと、一葉ちゃんは怪訝な顔でこちらを伺った。

「ちゃんとお父さんと話したの? もしかしたら、お母さんよりマシかもしれないよ?」
「えっ」

 確かにお父さんとは、あまり話をしない。
 けれどお母さんから「お父さんも奈々に裁判官になってほしいと思ってる」「お父さんも奈々にいい点を取ってほしいと思ってる」と散々言われてきた。それを否定することは、私の過去を否定することになりかねない。

 ──もし、お父さんに「お前は優等生である必要はない」と言われたら?

 本当は嬉しいことのはずなのに、長年抱いてきた苦痛を取り除くと私はさらに空っぽになる気がする。
「そんなこと、ないよ」
 変わるのが怖いから、私が選ぶのは現状維持の選択肢。さもお父さんと話し合ったように、一葉ちゃんに嘘を言う。

「らしくないね、目が泳いでるよ。ちゃんと話してないんでしょ?」
 思えば、心の底から動揺したのはいつぶりだろう。
 この感覚を忘れていたからか、うまく表情が作れずに嘘がバレてしまった。もう、正直に話してしまおう。

「そう。……だけど、どうすればいいの? もし、お父さんが私に何の期待もしてなかったとしたら」
「別に、いいんじゃないの? 自由でさ」
「今まで自由じゃなかったから、自由が何なのかわからないの。……わからないところに、身を投じたくない」
 私の心の叫びを聞くと、一葉ちゃんは私の肩に手を置き、じっと目を見据えて言葉を放った。

「小学校教諭に、なりたいんでしょ? 今のままじゃなれないよ。それでもいいの?」

 小学校の先生になる。無理だと思っていた夢が、掴めるかもしれない。
 その希望は私の心を操るように、認識を変えていった。幸福だけど退屈な日々は、幸福ではないと。優等生はいいことではないと。将来は自分で掴めるものだと。

「よく、ない。……言ってみる。お母さんは交えずに、お父さんと一対一で話してみるね」
 私が決意すると、一葉ちゃんはパッと嬉しそうにしてから。

「頑張ってね。応援してるよ」
 私を励ますように、弾ける笑顔を浮かべた。