神の事情と人間の事情

 手が震えてきた。
 いつもの玄関のドアノブが、なかなか回せない。
「ちょっと武。開けてくれ」
「ああ。大丈夫か? 」
 しばらく直也とエマの顔を見ていた。
「ナオヤは、たくさん傷ついたのよ…… 無理もないわ」
 エマは武に目くばせした。
 意を決して、武が先頭で家に入った。
「こんばんは。僕は剛田武といいます。ナオヤ君とエマさんの同級生です。お邪魔させていただいてよろしいでしょうか」
 武も神妙な面持ちになった。
 彼にとっても辛い話を聞くことになるのだ。
「おつかれさん。直也のクラスメイトか。なら大歓迎だよ」
 父が上機嫌でいった。
 リビングには中山家の両親、ゼノン、そしてアポロがいた。
「すまんな。疲れているであろう…… 」
 ゼノンは優しく声をかけた。
「夜遅いことであるから、できるだけ手短に話したい。詳しいことは後日エデンで話すということで…… アポロ。頼むぞ」
「はい。まずは、ナオヤ君。君には…… 」
 頭を軽く下げたところで、直也が制した。
「待ってください。昨日から色んな人に謝られてばかりで、そのたびに涙腺が緩んでいるんです。僕は、事実を知りたい。辛くても聞きますから、謝る前に事実を話してください。僕が涙を流しても決して話を中断しないでください! 」
 並々ならぬ覚悟を決めて、言い放った。
「アポロよ。そういうことだ。ナオヤ君は、超人的な意志の力を持っておる。きっとどんなに辛い事実でも受け止めるであろう…… 」
「わかりました。では。エマが太陽に向かったときのことから話そう」
「うっ…… 」
 これだけで涙が出てきた。
「続けてください」
 エマが言った。
「あのとき、ナオヤ君をエマが地球へ飛ばした後、このアポロとルナ、ゼノン、エリスが駆けつけたのだ。自分が太陽神であることは知っているな。神には属性があって、得意なことがそれぞれにある。太陽神は、太陽を操る力を持っている。万に一つもエマを死なせたりはしない」
「エマが余に『生物を絶滅させる細菌』について尋ねたとき、対処法がわからない、といってしまった。これは余の痛恨のミスだった…… 問題の本質を、はき違えた答えだった…… そのときには地球に持ち込まれた、細菌の種類がわからなかったのだ。一刻を争う事態だったため、余はすぐにウラノスを捕らえ、尋問した。そして何が入っていたかを特定できたのだ。今となっては言い訳にしかならないが、そのときにはナオヤ君は地球に飛ばされていたのだ」
「感染したとしても、治すことが可能な細菌だったのだ。もちろん100%対処できるとは限らないが…… それはどんな細菌やウイルス、マイコプラズマでも一緒だ」
「うぐっ…… くっ…… うう…… 」
「ナオヤ! ごめんね。私。もっと冷静に対処していれば…… 自分諸とも宇宙に飛ばすなんて…… とっさのことで、どうかしてたのよ」
「ぐあうううぅ…… 」
 直也の嗚咽が部屋に響いた。
「ゼノン。いいのか? 」
「続けるのだ。ナオヤ君は強い…… 」
「エマを見つけると、すぐに細菌と隔離して自分と一緒にエデンに連れ帰ったのだ。その後は、感染症による症状は見られなかったが、最悪の場合を想定して、1年ほど隔離していたのだ…… ナオヤ君が苦しんでいたこともわかっていた…… 本当にすまない。ナオヤ君に対して、自分もルナも、何をしていたのだろう…… 罪のない人間に。一体神が何をしていたのだろう…… 猜疑心ををもって接するなど、神がすることではない。そして、自分の配下の神が愚劣な真似を…… 自分の愚かさに耐えられない! 」
「私が、まだナオヤには伝えないでって、頼んだのよ。だって、ナオヤのことだから何としても私に会いに来ようとするかもしれないと思って…… それに、私自身も自分の身体が絶対に大丈夫だと確信できるまで、会いには行けないと思ったの。ごめんなさい。辛かったよね…… 私もよ」
 エマも直也にすがって泣き崩れた……
 両親は呆気にとられてみていた。
「あの…… アポロ様」
 母がアポロに声をかけた。
「ああ。お母様。ナオヤ君には大変お世話に…… 」
「直也とエマちゃんを、よくご覧になってください。直也はエマちゃんのことが大好きなんです。私も。夫も。3人とも、エマちゃんと一緒にご飯食べたり、笑ったり、そんな日常を愛しているのです。私たちは小さな人間ですから、神の一族の事情は測りかねますが、皆で笑って暮らせる家庭があれば良いのです」
 母は、きっぱりと言い切った。
「笑って暮らせる家庭…… 確かにそれこそ神が、命を懸けて守るべきものだ」
 二コリと笑って続けた。
「2人を見ていると、誠の心を持って、全力で生きているって思うんです。エマちゃんは炎を操る神だって聞きました。その通りの、真っ直ぐで燃え盛る炎のような、熱い心を持った子です。直也をこんなにも強くしてくれたのは、エマちゃんなのですよ」
 アポロは、責められているような気分になった。
 神の一族の事情を話に来た自分が、小さな存在に思えてきた。
 まっすぐに、今を生きる2人。
 そして、守るべき温かい家庭。
 これこそが平和であり、世の中があるべき姿である。
「あの…… ゼノン様」
 今度は父が口火を切った。
「今日のところは、お引き取りいただいた方が良いと思います。直也もエマちゃんも辛い思いをしたのです。年頃の男の子と、女の子がやっと再会できたのです。時間が必要じゃありませんか? 」
 父は、穏やかな口調だった。
 2人への愛情があふれ、まるで神を諭すように響いた。
 ゼノンは己の非を恥じた……
 母が太陽神をたしなめ、父が全能の神を諭した。
 直也は少なからず驚いた。
「母さん…… 父さん…… 」
 直也とエマは立ち上がった。
 エマがゼノンとアポロを見据える。
「パパ! アポロ様! もう帰ってください! 」
 声を張り上げた。
「う…… うむ。アポロよ。引き上げようぞ」
 我に返ったように、ゼノンが言った。
 うろたえていることを、隠そうともしなかった。
「あ…… あの…… お父様。お母様。エマをどうかよろしくお願いします…… 」
 いつも快活なアポロが、すっかりしおらしくなっていた。
「すまぬな。いつも我々は地球の皆様に対して失敗ばかりしている…… 」
「神だのと、偉そうにしているだけで無能だよ。自分たちは…… 」
 2大神が、一回り小さくなったように見えた。
「では…… 」
 緑と黄色の光に包まれて消えていった。
 部屋の隅で、突っ立っていた武は、自分がすっかり取り残されていることに気づいた。
「こほん。そ…… それでは。夜遅いので失礼します」
 武が口を挟む隙もなく、神と人間の会合が終わった。
「ああ。お構いしなくて悪かったわねぇ。また遊びに来てちょうだいね」
「ああ。またきなさい」
「は…… はい。お心遣い、ありがとうございます」
 武は呆気にとられた。
 2大神に自分も諭されるのだと思っていたが、地球人の両親に帰されてしまった。
 しかも、神の心に響く言葉をかけ、諭したのだ。
「中山家。恐るべし! 」
 神の一族にとって、ゼノンとアポロは絶対的な存在だ。
 いつも自分たちを守ってくれる最強の神であり、親類と親である。
「人間を、甘く見ていると足元をすくわれるな…… 」
 武は今夜の出来事を整理できないまま、帰路についた。

「直也。エマ。2人とも立派に地球を守ったんだな。何となくわかるぞ」
 にっこりと笑って、2人の肩を叩いた。
「そうね。地球が滅んだら、家庭もないわね」
 母が深刻そうにいった。
「さあ。飯食って寝なさい! 」
 また日常が戻ってきた。
 明日も朝早い。
 早く寝て、明日に備えなくてはいけない。
「ぐすっ…… はあい」
「うぐっ…… ああ。早く寝ないとな…… 」
 食事は軽く済ませ、風呂で身体を洗ってきた。
「ところで、あなた。エマちゃんは養子。直也は実子だから兄妹でしょ。結婚はできないんじゃないの? 」
 深刻そうにいった。
「ハハア。そんなこと考えてたのか。実はな。俺も気になって調べたんだよ。どうやら結婚できるんだよ。民法第734条但し書きにあった」
 父も心配していたのだ。
 エマがいなくなってから、悲壮な覚悟を決めて努力する直也。
 そして、吸い寄せられるようにいつも一緒にいる2人をみて……
「そう…… 2人には幸せになって欲しいわ」
「そうだ。人類の運命なんかより大事なことだぞ」
「人類の運命がなかったら、2人の幸せもないでしょう」
「ぐむっ。ニワトリが先か、タマゴが先かだな…… 」
 部屋に戻ると、エマがやってきた。
「ねえ。ナオヤ。一緒に寝てもいい? 」
「ん? いいよ」
「私、とっても寂しかったの。太陽なんか怖くないけど、ナオヤに会えなくなったら嫌だったの…… 」
「エマ…… 」
 疲れ切った2人は、肩を寄せ合って眠りに落ちてしまった。

 エデンでは、エリスとルナが待っていた。
「ゼノン。アポロ。首尾はどうでしたか? 」
「いや。面目ないことであった…… 」
「? 」
「どういうことですか? 」
「地球人に一本取られたよ。2大神が聞いて呆れるぞ…… 」
「中山家の人たちは、神をも恐れぬ気骨と、誠の心を持っておる。我らが学ぶべきなのだ…… 」
「自分は、太陽神だなんて名乗るのが恥ずかしくなったぞ…… 」
 
惹かれあう2人

 エマが帰ってきてから、2日の間にいろんな人がやってきて、目まぐるしかった。
 直也にとっては、2日間が、ずいぶん長いように感じられた。
 武は相変わらず、ときどきケンカ腰で呟いてくる。
 エマは片時も離れずに、一緒にいてくれる。
 とても幸せな気分に包まれていた。
 女子の篠田が時折話しかけてきて、「恋愛でだめになる男」のことをエマと話題にしていた。
「男子の方が、恋愛にのめり込んでしまって、ダメになるらしいよ」
 直也も会話の輪に入っているのだが、ドキッとすることを言うなあ、と思った。
「へえ。そうなのね。流果ちゃんは物知りだねぇ」
 エマはこういう話にも興味津々で聞いている。
 高校3年生になると、受験勉強で忙しくて、さすがに絡んでくる女子はいなくなった。
 そういえば、気になっていたことがあったのを思い出した。
「エマは、自分のアイデンティティに悩んでいたと思うのだけど…… 」
「そうね。そんなこともあったわね。懐かしいなぁ…… 」
「吹っ切れたみたいだね」
「何ていうか…… 長い時間、何もせずに自分と向き合っていたの」
「うん。それで」
「自分とは何かみたいなことを考え始めると、ナオヤの顔が浮かぶのよ…… きっと、ナオヤが私が何者かを、教えてくれるのだと思うわ」
「そうか…… 俺はずっと勉強漬けだったんだ。何もしないでいると、エマのことを思いだして、気持ちが宇宙に飛んで行ってしまって、何も手につかなくなるから」
「私は地球に飛んで行ってたな…… ナオヤがいつも夢に出てきて、私を追いかけてくるの」
「いつもエマが家にいる気がして、それに苦しんでたなぁ…… 俺はね。宇宙にいるエマを追いかける夢をよく見たよ」
「もしかすると、お互いの心の動きを感じていたのかもしれないよ」
「心の動き…… 」
「私はいつも地球に…… ナオヤの家に行きたいと思い続けていたから。その気持ちを感じ取っていたのかもしれない」
「俺の体から、赤い神の光、ネフェーロマが出ることはありうるのかな。時々光る気がしたんだけど…… 」
「見えたことがあったの? 」
「毎朝、眠気を吹き飛ばすために気合を入れると、赤く光ったような気がしたんだ」
「ナオヤは…… もうすぐ神の力が覚醒するのかもしれない…… 」
「えっ? 神の力が俺に…… 」
「勉強でも、常人のレベルではない力を発揮し始めているでしょう。武も言ってたのよ。だから彼がライバル視するのよ」
「人間が、神になることがあるのかな…… 」
「アポロ様とルナ様が、元人間だったの」
「ああ。エデンに向かうとき言ってたね」
「もちろん、簡単なことではないのだけど、ナオヤの力は既に人間の域を超えているわ。きっと、神の一族を受け入れる精神的成熟度と、意志の力によって覚醒するのだと思うわ」
「赤い光が出たから、炎の神になるのかな? 」
「ううん。きっと風の神よ」
「なぜそう思うの? 」
「赤い光は私との共鳴で出た光なの。うまく言えないけど、ナオヤには私の炎と最も相性がいい、風の力が宿る気がするの」
「風の力…… なんかカッコいいね」
 今日も予備校へ行って、各々勉強して帰宅した。
「ただいま」
「お帰りなさい。今日もご苦労様」
「ねえ。ナオヤ。ちょっと練習してみようよ」
「何の? 」
「神の力を使う練習よ。フィシキを出して」
「うん」
 直也はフィシキを取り出すと、リビングのテーブルの中央に置いた。
「意識を集中して、フィシキが光るイメージを持つのよ」
「えっと…… うううぅん…… 光れ! 」
 何も起こらなかった。
「私がサポートするわ。手を添えて、力を送るから、同じようにやってみて」
 直也がフィシキに手をかざす。
 そしてその手にエマの手を添えた。
「やってみて」
「よおおし。武を倒す! うおおぉぉ! 」
 ギギギギ……
 フィシキが音を立てる。
 ほんのりと薄水色に光った!
「やった! 水色に光ったぞ! エマ」
「やっぱり、風の力が宿っているわ」
「風…… 」
「すごいよ。ナオヤ! 私の炎と組み合わせれば、凄い力になるわ! 」
「おお。俺に神の力が…… 」
「これから毎日練習しよう! 凄い! ナオヤ大好き! 」
 エマが飛びついて頬ずりした。
「何だか楽しそうね。お母さんにも光が見えたわよ。直也が神の力を使うの? そうしたら、エマちゃんと一緒に神になるのね。素敵だわ…… 」
 母が夢見がちな目で言った。


再びエデンへ

 しばらく神の一族が訪ねてくることはなかった。
 エマと直也をそっとしておいてくれているようである。
「エマ。気になっていることがあるのだけど…… 」
「なあに? 」
「ゼノン様とアポロ様が来たときに、神の一族の事情を話すと言っていたでしょ」
「うん。そうだね」
「何か、切羽詰まった事情があったんじゃないかってさ…… 」
「私も、詳しくは知らないのだけど、近々本格的に調査をしなくちゃいけない、と聞いてるわ」
「そろそろ行くべきかもしれないな…… いつまでも、のんびりしていられない気がする」
「そうかもね」
 夜、帰宅するとフィシキを取り出し、エデンへ向かう準備をした。
「こんばんは。夜分恐れ入ります」
「まあ。武君までそろって。お出かけするのね。気をつけて行ってらっしゃい」
 母は、近所へ旅行に行くかのようにいった。
 ここに戻って来たときには、生活が変わっているのかもしれない。
 でもここへ帰ってくることに、変わりはないだろう。
「お母さん。ちょっと行ってきます。多分すぐ戻れるので、お風呂はそのままにしておいてください」
 エマが気軽にいった。
「…… 」
 武は黙っている。
「じゃあ。行ってきます」
 直也は、フィシキを両手で掲げると、エデンをイメージした。
「今度は一瞬で着くわ。ナオヤのネフェーロマも使えるしね……」
「えっ!? もうナオヤが使えるのか? 」
 フィシキが薄水色の光を放つ。
 そして風が直也の身体を煽った。
 逆立つ髪。そして空気のゆらめきが天井へと伸びていく……
「ふふふ。風の神『ゼフュロス』降臨よ…… 」
「うわああぁ! 風の神って…… 中山直也がゼフュロスにって…… まさか…… 何てことだ! エマ。この力は…… 」
「そうよ。神の一族の、究極の能力よ…… 」
 エマは赤、直也は薄水色、そして武は血のような臙脂の光に包まれる……
「ではっ。いってきまあす! 」
 3人は消えていった……
「あらら…… 直也も立派になったようね。出世したってことかしら? 」
 愛子は息子が神になりつつある姿を見て、出世したなぁ、と思うことにした。

 光が徐々に晴れていく……
 ゼノンの神殿前に着いた。
「おっ。3人とも。元気か!? 」
 アポロが気さくに手を振った。
「ナオヤさん。あなたに対しての…… 数々のご無礼をお赦しください…… 」
 ルナが直也に頭を下げた。
「もう自分たちと対等と考えていい。風の神『ゼフュロス』よ…… 我々の親類であり、エマの相方になるのだからな」
「アポロ。それはナオヤさんが決めることですよ…… 」
「そうだったな。しかし、ゼフュロスをもう一度見ることになるとはな…… これから楽しみだぞ」
 ニヤリと笑ってアポロは上機嫌な様子だった。
「ナオヤさん。本当にご立派になられました…… エマ様。さあ。ゼノン様とエリス様がお待ちです。どうぞ中へ…… 」
 ムラマサが中へと促した。
 5人は神殿の中へと入っていった。
 相変わらず、簡素な作りである。
 大きな柱が神殿らしさを感じさせるが、飾り気がなくてモダンでおしゃれな建物だった。
「アポロ様。ルナ様。マルス様。ナオヤさん。エマ様が到着されました! 」
 奥の大扉をムラマサが開ける……
 中には長いテーブルがしつらえてあった。
 白いテーブルクロスがかけられ、銀の食器に豪華な夕食が用意されている。
 ゼノンとエリス、そしてアフロディテが入口で待っていた。
「ナオヤ君。今日は君が主賓だ。上座へ座りたまえ…… 」
 ゼノンに促され、奥に直也が座った。
 隣にエマが。そして、ゼノン、エリスは入口側、という配置になった。
「お忙しい中、時間を裂いてくれてありがとう。さあ。堅くならずに。まずは夕食をいただこうではないか…… 」
「では。乾杯」
 ゼノンとアポロが食事を始めた。
 それをみて、各々が食事と歓談を始める……
「おもてなししてもらっちゃって、悪かったね。おいしいね」
「ふふ。せっかくだから遠慮しないでね」
 直也とエマは、あっという間にたいらげてしまった。
「ふむ。地球の受験生である3人を長く引き留めるわけにはいかぬ。早速だが、本題に入らせていただこう…… 」
 アポロに目くばせをした。
 食器の音がぴたりと止む。 
 一同が緊張した面持ちに変わった。
 全員の視線が直也に注がれる。
 アポロが立ち上がり、直也に向かっていった。
「一番大事なことから話していこう…… まずはナオヤ君。類稀なる強靭な意志の力と、神をも凌ぐ精神的充実ぶりには、驚嘆の一言である! そして神の一族の象徴であるネフェーロマを纏うに至った。偉大なる風神『ゼフュロス』の化身となったのだ! 」
「ナオヤ君。君には神の一族の一員として我々に力を貸していただきたいのだ…… 引き続き、エマと助け合って…… 」
「パパ! 違うんじゃないかしら」
 エマが立ち上がった。
 エマの意図を察した直也も立ち上がった。
 2人は向き合い、互いの目を見つめた……
「…… エマ…… 」
「はい」
「これからは妻として、ずっと傍にいて欲しい。僕は命を懸けて妻である君と、神の一族を守る。そして地球を守る。そして…… 宇宙を守る…… 」
 エマの双眸が、直也の眼差しをしっかりと捉えた。
 この宇宙全体を想う高潔な精神。
 そして神も人間も超越した包容力。
 慈愛に満ち、不屈の闘志を秘めた強い眼差しに、すべてが込められていた。
「は…… はい。ずっと傍にいます…… ずっと…… 離れません…… 」
 シンと静まり返ったまま、誰もが2人を見つめていた。
「うむ」
 ゼノンが立ち上がった。
 そして全員が立ち上がり拍手が起こった。
 パチパチパチ……
「よかった。本当に…… 」
 部屋の入口に侍していたムラマサは、はらはらと涙を流して喜んだ。
「今日はめでたい日だ。話は後日にしよう。ナオヤ君。心配はいらぬ。ここは『原初の光の化身』であり、全能の神であり、君の父であるこのゼノンが守っておる…… 」
「そして、太陽の化身アポロもいるぞ! 」
「さあ。疲れているでしょう。地球から来た3人は、毎日闘いの日々を送っているのです。地球へお帰りなさい…… 」
 エリスに促され、直也はフィシキを取り出した。
「ナオヤ。地球へ行くくらいなら、もうフィシキなしでいいと思うよ」
「そうか…… 」
 気を練るようにしながら宇宙をイメージして、目を閉じた。
 そして、住み慣れた家のリビングを脳裏に描く……
 目を開けると、リビングに立っていた。
「なるほどね。こうやって移動していたんだね」
「おかえりなさい。2人とも」
 父と母が待っていた。
「父さん。母さん…… 僕は、神の一族の仲間入りをしました」
 エデンでのことを手短に話した。
「そうか」
「素敵ね」
「一応こっちでは、20歳になってから入籍することになる。これからのことは、ゆっくり考えたらいい」
「じゃあ。エマちゃん、部屋は一緒にしたらどう? 」
「えっ。そ…… そうですね…… ナオヤはどう思う? 」
「ん? ううんと…… 父さんはどう思う? 」
「なぜ父さんに振るんだ! 」
「なんだか、急に気恥ずかしくなってきて…… 」
 エマが、目を潤ませているのがわかった。
「あ…… うん。そうね。それなら、今のままでいきましょ。エマちゃん。余計な気をまわしてごめんなさいね…… 」
「2人とも、シャワー浴びて寝なさい…… って、もう所帯持ちになるんだから、親がこんなこと言うのはよそう…… 」
「エマ。顔が真っ赤だよ…… 」
「うん。なぜだか自分でもわからないの。これからのこと。ナオヤと一緒に神の一族の中心に入っていくこと。来年大学へ行くこと。近い将来この家を出て2人で暮らすこと。そんなことが一気に頭に浮かんできて、大事な人と一緒に人生を歩んでいくんだって思ったら感激して…… 」
「そうだな…… また明日話そう。寝て起きたらまた勉強だ! 」
「うん」


愛と安息

「おはよう。直也。エマちゃん! 」
 母が朝から満面の笑みを向けた。
「はあぁ。幸せいっぱいね。顔が緩んでしまうわ。母さんも新婚の頃があったのよ…… 」
 うっとりと遠くをみている。
「う……うぅん。なんか、実感なくて…… 」
「ふふふ。今まで通りでいいのよ。考えすぎないで…… ね」
 父も起きてきた。
「グッド、モーニン! エブリ、ワン! 」
 こちらも、やけにテンションが高い。
「なんか、調子狂うな…… 当事者の俺が一番普通な感じで…… 」
「さあ。トースト食べたら、行ってらっしゃい! この幸せ者ぉ」
「地球のニュースなんか、どうでも良くなってきたぞ。わはは! たまにはスマホ見ないで出勤してみるかあ! 」
「おお! 早速風の神ゼヒューが世の中を変えてしまったのね! 」
「むむむ。ゼヒュロスだよ! 俺も何だか元気が出てきた! 」
「よおし! 今日も元気に勉強しよう! 」
「いってきまあす」
 2人は元気よく外へ出た。
「ねえ。ナオヤ」
「なんだい? 」
「ちょっと知っておいて欲しいことがあるの」
「ん? 深刻そうだね」
「妹のアフロディテのことなんだけど…… どうやらマルスのことが…… 好きみたいなのよ」
「え? そうなの? あの武骨者を…… あの可愛らしいフーちゃんがねぇ。で、今どんな感じなの? 」
「私ね。ちょっと相談を受けてね…… フーちゃんは、とっても大人しくて奥手なの。私と正反対かもしれない。どうしたら良いと思う? 」
「どうしたら…… 」
 直也は眉間に皺を寄せると、それっきり黙り込んでしまった。
 妙案はまったく浮かばない。
 マルスは手ごわい。
 コミュニケーション障害といっても良いレベルだろう。
 こちらが意図したことを、素直に受け取れない。不器用そのものだ。
 方やアフロディテもコミュニケーションが苦手だ。
 かなりの難問が出題された。
「とにかく。傍にいることが第一だと思う」
「うん。そうだね。ありがとう。やっぱりナオヤに相談して良かったよ」
「マルスの興味あるものって何だろう? 」
「そうね。普段は暇さえあればトレーニングしたり、武器を磨いたりしているわ」
「つまり、筋トレ大好き、刀剣マニアか…… まったく未知の領域だな…… 」
「マルスは元々内気で、超がつくほど真面目で不器用な職人気質なの。高校にいるときのキャラともまた違うのよね…… 多分最近無理して社交的になろうと頑張ってるんじゃないかな…… でも不器用だから、すぐケンカ腰になるのよ」
「そうか。扱いにくい奴だね…… やはり難解ラビリンス野郎だな。どう攻略するか…… うーん…… ところで、武こと、マルスはどこに住んでるの? 」
「ワンルームを借りて住んでるらしいわよ」
「エマみたいに居候しなかったんだね。確かに話を聞くと、独り暮らしをした方が無難なキャラだな…… 」
「ちょっと、パパとムラマサさんに、相談してみるわ」
 テレパシーをエデンに飛ばしたようだ。
 その間も、直也はこの難問の解を考え続けていた……
「おはよう。武! 」
「やあ。ナオヤ。エマ。昨日はお疲れさま」
 こうして話していると、節度があって爽やか好青年だが、無理をしている感じもする。
 キレやすいし、友人としては気を遣う奴だ。
 今日も、時折イラ立った武のボヤキが、テレパシーで飛んできた。
 予備校へ向かう途中、また話題になった。
「ねえ。ナオヤ」
「ん? 」
「フーちゃんが、中山家にお世話になってもいいかって、聞いてきたの。どう思う? 」
「いいんじゃないか。家族が増えれば楽しくなると思うよ」
「新婚さんの、お邪魔じゃないかってさ…… 」
「俺は大丈夫だよ。エマは? 」
「私は大歓迎だよ。フーちゃん大好きだし! 」
「それじゃあ、あとは父さんと母さんが良ければ決まりだね。それで、またいつものように、うちのクラスに入れてもらえばいいよ」
「三つ子の兄妹がいました、じゃあ無理があるよね…… 」
「従妹がうちに来たってことにすれば? 」
「よし。それでいこう! ナオヤは冴えてるね」
 予備校の勉強を終えて、3人は帰路についた。
 武は2人が幸せそうな顔を見せると、ちょっぴり笑っていた。
「地球ではまだ未成年だから、隠しておかないとな。俺も嬉しいんだ。幸せになって欲しい」
「うふふ。充分過ぎるくらい幸せだよ」
「なあ。武。お前でも、可愛い女の子をみてドキッとすることはあるのか? 」
「ああ。俺は唐変木にみえるといいたいのだろう。否定はできないが、女に興味がないわけではないぞ。勘違いしてもらっては困る…… 」
「そっか。ちょっと安心した」
「それじゃあ。また明日」
 武は別れて帰っていった。
「むう。女に興味がないわけではないぞ、といいながら顔は堅かったな…… これは難攻不落かもしれない」
「そうだね…… 気を引き締めてかからないと…… フーちゃんたち、もう家に着いてるんじゃないかな」
「ただいま」
 リビングに入るとムラマサさんがこちらを向いた。
「おお。改めて、おめでとうございます。昨日は立て込んでおりましたので、ご祝儀を納めさせていただきました」
 丁寧に、紺色の包みに「寿」と書いた箱が置かれていた。
「こんばんは。これからよろしくお願いします! 」
 アフロディテが、奥にちょこんと立っていた。
「フーちゃぁん! 」
 駆け寄ったエマが、ハグして頬ずりした。
「私。フーちゃんと離れて寂しかったの。またフーちゃんと一緒にいられるなんて、夢のようだわ! 高校も、予備校も一緒よ! 一日中一緒よ! 」
「エマちゃん。直也。愛ちゃんも家族として迎えることにしたわ。あなたのことだから、妹を可愛がってくれるでしょう」
「もちろんだよ。そうそう。武もずっと一緒だから、愛ちゃんもわからないことがあったら武に聞くといいよ」
 気をまわしたつもりだったが、愛の表情が曇った。
「は…… はい…… 」
「こっちの生活に早く慣れるために、愛ちゃんで統一するわ。愛ちゃん。やっぱり武の名前を聞くだけで辛くなるのね…… 」
「あっ。ごめんなさい。気を使わせてしまって…… ふう…… 」
 俯いてため息をつくところをみると、アプローチさせるのは相当難しそうだ。
 見た目は内気な少女といった感じである。
 美の女神というだけあって、顔立ちは理想化された人形か、アイドルのように美しい。
 体型も小顔で、まるでファッションモデルのようだ。
「さて。食事を軽く済ませて、身体洗って寝よう」
「ゼノン様が、若い神に地球の生活を体験していただくことの、重要性を強調されていました。元々、エリス様のご提案でエマ様をこちらにお連れしたのですが、今や誰もが地球の、特に中山家の皆さんを信頼するに至っております。何と言っても、ナオヤ様が神の一族でいらっしゃいますから、地球との太いパイプができたのです」
「はい。そうですね。自分の立ち位置がとても重要だと認識しています。いつもありがとう。ムラマサさん。こちらで結婚式を挙げるときには、必ずお呼びします。楽しみにしていてください」
「うっ。そのような温かいお言葉を…… すみません。また目から昆布茶が…… では失礼いたします」
「ねえ。直也。部屋はエマちゃんと愛ちゃんが一緒がいいわよね」
「うん。女子2人が相部屋の方が、何かと都合が良さそうだね」

 エマと愛は、部屋に入るとすぐに床についた。
「毎日4時に起きて勉強してるって、ムラマサさんから聞いたよ。お姉ちゃん、凄いね」
「凄いのはナオヤなのよ。私はそれに従っているだけ」
「ねえ。ナオヤさんと、お姉ちゃんは、本当にお似合いの夫婦だと思うの。とっても羨ましいわ…… 」
「そう? ねえねえ。どんなところがお似合いだと思うの? 」
「お姉ちゃん、本当に幸せそうね。ええっと…… まず、とっても落ち着いていて穏やかなところかな」
「ほおう。穏やか…… 確かに一緒にいると穏やかな気持ちかもしれないなぁ」
「何ていうか…… 2人を見ているこっちも幸せな気分になるの。心の底から信頼し合っていて、いい夫婦だなって。理想的な結婚だなって。私も結婚したいなって思わせるの…… 」
「結婚…… したくなったの? 」
「んっ…… うん…… 」
「相手はやっぱり…… 」
「うん」
「そうかあ…… 」
「どうしたらいいと思う? 」
「とにかく、傍にいて一緒に過ごす時間を増やすといいよ」
「それがなかなか難しくて…… 」
「ねえ。武のどんなところが好きなの? 」
「優しいところ…… 」
「へえ…… 続きはまた明日にして寝ましょ」

「ピピピピ…… 」
「カチッ」
 朝4時。
「ぐおぉぁ…… ふう…… 」
 軽くストレッチをしていると、エマが入ってきた。
「おはよ」
「おはよう」
 直也は目を瞬かせてベッドの淵に座った。
 エマは隣に腰を下す。
「ねえ。愛ちゃん、本気みたいよ」
「んっ。ああ。そうか。うまくいくといいなぁ」
「結婚したいんだって」
「うっ。なんか責任が重くのしかかってくる感じがするなぁ…… 」
「あのね。聞いてよ。武の優しいところがいいんだってさ…… 」
「ふうむ…… ごちそうさまだね…… 」
「そろそろ、お弁当を仕込んでくるわ」
「いつもありがとう…… 」