宇宙神エマⅡ・フィシメイキア ~UCHUJINEMA~

覚めぬ夢

「ナオヤ! こっちだよ! 」
 宇宙の闇の中に、輝く白いワンピース姿の少女が鮮明に浮かび上がる。
「誰だろう…… そっちは宇宙か? 」
 直也はぼんやりとした顔で、眩しい少女を追っている。
「うふふ。私よ。会いたかったわ…… 」
 少女は振り向いた。
 顔が髪に隠れて全然わからない……
 でもこの声は……
 懐かしいこの声は……
「エマ! エマだな! 待ってくれ…… 」
 少女はまた背を向けて、深い闇へ向かって行こうとする。
「そっちはいけない。エマ…… こっちへおいで…… 一緒に帰ろう」
 必死に追いかける直也は、なかなか近づけなかった。
「ナオヤ…… うふふ…… 」

「ピピピピ…… 」
「うぐぐううぅ…… 」
「カチッ! 」
 朝4時。外は静まり返り、道には人も車も見当たらない。
 静寂を破って目覚まし時計が鳴った。
 毎日予備校に通い始めて夜遅くなるが、朝は4時に起きると決めている。
「ぐごおおあぁ! 起きろ! 俺! 」
 大手予備校の東大クラスに入った直也は、勉強についていくために睡眠時間を削る決意をしたのだった。
 気合いと共に跳ね起きると、ベッドから降りた。
 軽くストレッチをする。
 だんだん意識が覚醒してきた。
 だが、
「はうう…… いい夢見たなあ…… 」
 トロンとした眼で恍惚に浸る。
 これもいつものルーティーンである。
「いけね! よだれが…… 」
 じゅるる……

 こうやっていると、自分を冷静に見られるようになる……
 大好きなエマは、壮絶な最期を遂げた。
 あれは、誰のため、何のためだったのだろう。
 自分は何て無力なのだろう……
 思えばエマのために、何もしてやれなかった。
 普通の人生を送っていたら絶対得られないものを。自分はたくさんのものを、もらったのに……
 自分を責め、自分に対して怒りを爆発させることで毎朝意識を覚醒させ、自分を鼓舞し続けている。
 精神的には不健全だ。
 だが、それが超人的なパフォーマンスを発揮させていた。
 月日は流れ、17歳になった中山直也は毎日全力で走り続けている。
 周りの人間を置き去りにして、独り高みを目指し続けている……

「さてと。続きをやるぞ! 」
 机に向かうと、参考書を手に取った。
 スマホをいじり、スピーカーから再生する。
 BGMは「聴くだけ物理実況中継」である。
 外はしんと静まり返っている。
 これから夏がやってくる。
 この時期は虫の声も少ない。
 住宅街全体がまだ眠っているかのようだ。
「東京大学工学部、航空宇宙工学科…… 」
 壁には目標にしている東京大学を書いて貼り付けてある。
 それを何度も読み上げて心に刷り込んでいく……
 JAXAの職員になるために、最も有力とされる学科である。
 いかにも宇宙のことを存分に研究できる学科、という感じがする。
 航空宇宙研究科はロケットや人工衛星の機体について学ぶ航空宇宙システムコースと、推進機器(エンジン)のことを学ぶ航空宇宙推進コースに分かれている。
 探査機やロケットなどを宇宙に送り出す研究をしているのだから、今からワクワク感が止まらない。
 そして、英語も必須である。
 専門書をすらすら読めるくらいの英語力が必要だ。
「大学生になったら宇宙飛行士に必須のロシア語もやらなくては…… あとは、よくわからないから、手当たり次第全部頭に叩き込めばいい。俺は全能の神になるぞ! 」
 だんだん気持が大きくなってきた。
「ようし! 気分がノッてきた」
 高揚し、身体がカッと熱くなってきた。
 全身から湯気が立ちそうなほど、気力がみなぎってくる。
 すると、ほんのりと全身が赤い光を帯びてくるのを感じる……
「ふふふ…… 神の力を見せてやるぞ」
 こうして気分が高まると、エデンで見た神の光、ネフェーロマのよううなものが、身体を包むような気がするのである。
「 ……なんてな。俺は人間だから、きっと気のせいだろうな…… 」
 手がほんのり赤く光っているように見えるが、錯覚だろうと思っていた。

「そろそろ支度しないとな…… 」
 カチャカチャ…… トントン……
 6時になると下で人の気配がし始める。
 父、史郎と母、愛子がリビングにいるようで、鍋を出す音や、水道の音が響く。
 部屋を出ようとするとき、
「エマはもういないんだ…… 」
 と毎日考えてしまう。
 もしかしたらドアを開けると、エマの声がするのではないか、と考えずにはいられない。
 目頭が熱くなった……
「おはよう。エマ」
 と呟き、振っ切ろうとした。

 高校に着くと、1年からずっと同じクラスの横溝康夫に会った。
「よう。直也」
「おはよう」
 横溝も同じ予備校に通い、理系大学進学を目指している。
 クラスは3年F組である。
 3年生になって、文系クラスと理系クラスに分けられた。
 文系志望の方が遥かに多いので、理系クラスはF組とG組だけで、A組からE組はすべて文系である。
「俺、物理が鬼門でさぁ。直也はいいよな。何でもできて」
「そうでもないさ。俺も、いっぱいいっぱいだよ」
 3年生になると、皆受験生、という雰囲気になってくる。
 休み時間も単語帳などを眺める人が増えた。
 最近はスマホで動画を見て復習ができる。
 学校の授業は未だに一斉教授を基本としている。だから上位数パーセントにとっては無駄ばかりである。
 本気で勉強したい、と思う生徒は授業を受けるよりも暗記モノを頭に叩き込む内職に励んでいる。
 皮肉なものだ。
「バカに教えてるんじゃないんだから、こんな基本に1時間かけるなよな…… 」
 つい心の中で毒を吐いた。
 直也は国立大学志望なので、どの教科も捨てられない。だから時間を1分たりとも無駄にしたくない。
 エマがいなくなってから、心の隙間を埋めるように勉強に没頭した。
 成績は学年トップレベルになっていた。
 何もせずにボーッとしていると、すぐに気持が宇宙をさまよってしまう。
 勉強している方が気が楽になる。
 神の力が身体に残っているのか、と思うほどの超人的な集中力で、見たものを次々に暗記していくことができるようになった。


戦う転校生

「明日、転校生を紹介します」
 担任の谷先生がいった。
 谷幸男先生は東大卒で、物理を教えている。
「東大を出ているのに、高校の教員になるなんて、他で挫折したんじゃないのか? 」
「直也。そうかもしれないけど、俺たちにとってはいい先生がいてラッキーだよ」
 こんな失礼な会話を、横溝としたことがある。
 まくし立てるように早口で喋るところが、エリートっぽさを感じさせる。
 論理的で、用意周到な話し方で安心感を与える。
 年齢は30代半ばくらいの若い先生だし、人気があった。
「エマちゃんが来るときも、こんな連絡があったな。懐かしい感じがしたよ」
「あ…… ああ。そうだな。どんな人だろうな…… 」
 直也は激しく動揺したが、必死に平常心を保とうとした。
「そういえば、エマちゃんは元気か? 」
「う…… うん…… 」
「お前、何か隠してない? 」
「…… 」
 直也はいたたまれなくなって、荷物をまとめて予備校へ向かった。
「おい…… 変な奴だな」

 翌朝、担任の谷先生に連れられて、転校生がやって来た。
「それでは。今日からクラスの一員になる仲間を紹介するぞ」
 皆が廊下の方を覗き見ようとする。
「あっ。男子だ! 」
「ええっ。イケメン! 」
「おお。さわやか好青年! 」
「何だ? この敗北感は…… 」
 口々に誉め言葉をいい、ため息を漏らす。
 それほど存在感がある少年だった。そして品格と厳かな立ち居振る舞いが完璧にみえた。
 勢いよく引き戸を開け、力強い足取りで入ってきた。
「じゃ。剛田君! 自己紹介を…… 」
「はい! 今日から3年F組で一緒に勉強する、剛田武といいます。よろしくな! みんな、一緒に頑張ろう! 」
 とても歯切れよく、はきはきと、そして何か挑戦するような気迫を感じた。
「まてよ。剛田武…… はて。どこかで…… 」
「じゃあ。席は中山の隣に座ってくれ。中山。転校生の扱いがいいと評判だから、君に世話をお願いしていいよね」
「『いいよね』って…… 」
 と内心呟いた。
 エマのことを言っているのだ。心の傷がまたうずく……
「中山。よろしく頼むよ」
 武が握手を求めてきた。
「ああ。わからないことは何でも聞いてくれ」
 内心凹んでいたが、明るく笑って握手をした。
 武は顔を近づけて上目遣いに直也をみた。
「ふふ…… 俺はお前を勉強で負かしてみせる! 」
 口元に不遜な笑みを浮かべている……
「なっ!? 」
「お前が学年トップの中山直也だろう。今日から俺がトップになると言ったんだ」
 武のあまりの気迫に押され気味になった。
「こういうやつか…… 面倒なことになったな…… 」
 数学、国語、理科、地歴、英語、すべてにおいて積極的に取り組み、誰よりも速く、正確に答える。
 とにかく目立つことをするやつだ。
 そして、周りから喝采を浴びるたびに、
「どうだ! 直也」
 と言わんばかりにこちらを見るのだ。
 毎月ある実力診断テストでどうなるか、直也は今から心配になった。
「学年トップにこだわりはないが、こいつに上から目線で勝ち誇られるとイラっとしそうだな…… 」
 そして、体育も完璧すぎるほどである。
「おい直也。エマちゃんを彷彿とさせるな…… 」
「ああ。まるで神だ…… だが、雰囲気がまるで違う」
「そうだな。愛嬌はまったくないし、他を寄せ付けない迫力が凄い。憧れるが近づきがたい空気を持っている…… 」
「さしずめ『闘鬼』か…… 」
「いや『軍神』といった方が、しっくりくるな」
「軍神マル…… はっ!」
 直也は目を丸くして、口をポカンと開けたまま武を見つめた。
「どうかしたか? 」
 呆然として、しばらく何も聞こえなかった……
 頭の中で、一生懸命押し留めようとしていたものが、呼び起されていくのを感じた。
 このままずっと、忘れて生きて行かなくてはいけないと思っていた、辛いだけの記憶を、武が呼び覚ましたのだ。
 肩にいつも、のしかかって来ていた、冷たい空気が晴れていくのを感じる……
 みぞおちにいつも冷たく、重く垂れ下がっていたものが消えていく……
「いや。軍神マルスとはよくいったもんだと思ったんだ…… 」
 脳裏には、エデンの光景が鮮明に蘇っていた。
 そこに、颯爽とグラディエイターが現れた。
「ナオヤ。俺と勝負しろ! 」
 そういわんばかりの眼光を煌めかせて。
「この危うい感じ…… なぜここに来たんだ? 」
 放課後、直也は武を誘って一緒に予備校へ行くことにした。
 武も同じ予備校に通うことになっていた。
「俺は、元々この予備校の生徒だから、ここに引っ越してからも通えることになったんだ」
 といっていた。
 そんなことはどうでも良くなった。もし本当に軍神だったら、何でもありだ。
 武と2人で学校を出ると、早速尋ねた。
「去年、俺と、会ったことがあるだろう? 」
 むっつりとしていて、心の中が推し量れない。
 警戒しているのだろうか。
 何とかしてエマの情報を聞き出したい。
 機嫌を損ねないように、言葉を選んで聞かなくてはならない。
 突然やってきた唯一の手がかりだ。
 神の一族に接触するチャンスは、2度とないかもしれない……
 こんな弱い思いにかられた。
「頼む。教えてくれ。俺はこの1年、身を裂かれる思いだったんだ…… 」
 武が足を止めた。
 直也の方へ体を向けると、軽く頭を下げた。
「すまないが、俺から言えることはない」
「どういう意味だ? 」
「俺が、ここへ来た意味を考えろ…… 」
 鼓動が高鳴り、体中が脈を打つように昂ってきた。
 直也の眼光が鋭くなる。
「お前は、俺と勝負しようとしているな。何か意味があるんだな? 」
「…… 」
 武はそれっきり直也と視線を合わせなかった。
「わかった。エマに誓ったんだ。人間は神に近づけることを証明すると…… 」
 表情が険しさを増したようにもみえた。
「ありがとう。武のおかげで、霧が晴れた…… このために来てくれたんだな…… 」


神の執事

 実力診断テストでは、武が全教科満点をたたき出し、神の力を示した。
「はあ? 何だ? 全教科満点って! 500点なんて出るものなのか? 」
「ふう…… ここまでくると、気持ち悪いな…… 」
「2位の中山も異常だ。498点だなんて…… 」
 廊下に貼り出された順位表を見て、口々に漏らすため息が聞こえた。
「いつもトップが470点台くらいのはずなのに…… 」

その日もいつも通り授業を受けて、学校を出た。 
予備校へと向かう途中、突然呼び止められた。
「ナオヤさん…… 」
 振り向くと、目の前に白髪の老紳士が立っていた。
 細い口ひげを生やし、丸メガネが知的な印象を与える。
「…… 」
 直也は絶句した。
「マルスに続いて…… ムラマサさんまで」
 ムラマサは直也を見つめ、俯いた。
「ナオヤさん。今は何も言わないでください」
 ムラマサは目に涙を貯めていた……
「歳をとると、どうも目から昆布茶が出るようですな…… 」
 直也はどうしたらいいのかわからなくなった。
 マルスも、ムラマサさんも、何も語らないが、来てくれた。
「ありがとう。こうして会えただけでも、涙がでそうですよ…… 」
「すみません。恨んでいただいて結構です。わたくしは、ナオヤさんにも、ご両親にも合わせる顔がありません…… 」
 それっきり黙っていた。
 やはり、詳しいことは語れないようだ。
「これを…… これをお渡しすることだけが、わたくしの任務です」
 ムラマサは銀色の球体を取り出して、両手で丁重に差し出した。
 頭を腰よりも下に下げ、直也が受け取るのを待っている。
「これは…… 」
 しばらく見つめたまま、時が止まったように立ち尽くしていた……
 直也は両手を差し出し、手に取った。
 じっと見つめていた…… 時間がたつのを忘れて……
 懐かしい。
 これは、神の国と地球をつなぐ道具。
 神の力を宿した道具……
 川原で、カラシナの中で見つけた運命の道具……
 これがなかったら、エマにも出逢わなかったかもしれない。
 ムラマサも感慨深そうにみていた。
「相変わらず、緑と青の色が強い…… ありがとう」
「わたくしは、ずっと今日という日を待ち望んでおりました…… 」
 深々と頭を下げ、7色の光とともに消えていった。
 エマに繋がる道具。
 マルス。ムラマサさん。
 これから何かが起こるんだ……
 予備校のカリキュラムをこなし、チューターと話した後、いつも通り帰宅した。
 リビングでは、母がまだ起きていた。
「直也。何かあったの? 」
 母が驚いたように見つめている。
「顔に何かついてる? 」
「憑き物が取れたような顔してるわよ…… 」
 なおも、驚いたように見ている。
 そんなに思いつめた顔をしていたのだろうか。
「今日、ムラマサさんに会ったんだ…… そしてこれを」
 フィシキを取り出してみせた。
「そう。エマちゃんに会えるのね…… 母さんも、早く会いたいわ」
 直也はビックリした。
「なぜそう思うの? 」
「あなたが、穏やかな顔をしているからよ」
 母は、自分の表情から世界を見ていたのだ。
 これから起こることも、直也自身より正確に感じ取ったのだろう。
 ちょうど父も起きてきた。
「直也。お疲れさん。本当によく頑張ってるな」
 父もリビングに座った。
「話し声が聞こえてな…… フィシキが戻って来たんだってな」
 金属球を取り出すと、テーブルの中央に置いた。
 父が大きくうなずいて言った。
「くるぞ。運命の歯車がまた回りだす」
 フィシキが緑の光を放った。
 ギギッ…… キイィン!
 緑の光に包まれて、2つの人影が見える。
 だんだんと実体を現し、40代に見える男性と女性が現れた。
 どちらもすらりと背が高く、近寄りがたい威厳を備えている。
「お久しぶりです。中山さん」
「エリス様。ゼノン様も…… 」
 ゼノンが俯いたまま、しばらく黙っていた……
「ナオヤ君…… 」
 翡翠のような眸が、直也を見つめた。
「神の一族を代表して、謝りに来たのだ。エマは生きている。そして、君に会うことを望んでいる。本当に苦労をかけた。神の不甲斐なさに、身が縮む思いである。そして、常人には真似できない努力を続ける、君の意志の力に、恐悦至極である…… 」
 ゼノンとエリスが頭を下げた。
「君が真心をもってエマに接してくれていることが、よくわかる。本当に不憫なことをした。この通りだ…… 」
 そして、両親の方へ向き直ると、
「お父様。お母様。かりそめにも、エマの養親に対して連絡が遅れたことを、深くお詫びする…… 」
 父も母も、にこやかに笑った。
「エマちゃんと、一緒に朝食を摂りたいですね。あの子は料理が上手だから」
「そうそう。チャーハンの味が忘れられないわ」
「お弁当も、ちゃんとダシをとって煮物を入れてくれるんだよ」
「ははは…… 」
 ゼノンもエリスも、にっこりと笑う。
 何かいうことが、たくさんあるような気がするが、いざとなると何も必要ないと思うのだった。
 しばらく沈黙していた……
「では。今後ともよろしく頼みます」
「ナオヤ君…… 君とエマが神の一族を変えていくのかもしれない。我々に熱を与えてくれた…… ありがとう」
 そして、2人は緑と青の閃光とともに消えていった。

「ピピピピピ…… 」
「カチッ」
 4時ぴったりに、目覚まし時計が鳴った。
「ぐぐぐおううぅ…… 起きろ。俺…… 」
 興奮して深く眠れなかった。
 だがあまり疲れた感じはしない。
「ん? あれ? 」
 なぜか背中が痛い。
 硬い床で寝ていたことに気づいた。
 ハッとしてベッドをみた……
「エ…… マ…… 」
 スー、スー
 覗き込んで顔をみた。
「エマ…… 」
 寝息を立てて寝ている。
 良く寝ているようだ。
 そっとしておこう……
 ここ数日、エマに会える予感で胸がいっぱいだった。
 再会できたら、何を話そうか。エマは何を言うだろうか。
 そんなことを何百回も考え続けていた。
 だがこうして目の前に現れてみると、ずっと傍にいたような気がしてきた。
 しばらく寝顔を眺めていた。
 安心して寝ているようだ……
「うん…… 」
 いざこうなってみると、何も言葉が浮かばないものらしい。
 エマがいて、自分が自分らしくなれる。
 勉強の鬼と化していたが、エマがいると当たり前の日常を過ごしている、という意識に変わっていった。
 ゆったりとした動作で机に向かって、参考書を読み始めた。
 勉強することが楽しくて仕方がない、という気分になっていった。
「うふふ…… ただいま…… 」
「ああ。お帰り。エマ…… 」
「ねえ。ナオヤ…… 」
 エマが寝床を抜け出し、後ろに立った。
 そして、もたれかかってきた。
「はあぁ…… こうしてみたかったの。ずっと…… 」
 エマの息遣いを耳元に感じる……
 甘い匂いがする……
「うふふふうぅん…… ナオヤは私の命よ…… 」
「エマは俺の命だ…… ずっと傍にいてくれ…… 」
「もうどこへも行かないわ」
 参考書を一冊手に取って読み始めた。
「私、今日から高校へ行くわ。予備校も。今までの時間を取り戻すの」
「もう、用意はしてあるんだね」
「そうよ。ワクワクするなぁ」
「3年生になって、みんな受験モードになってるから、以前とは一味違う学校生活になると思うよ」

炎の高校生

「ねえ。この川でフィシキを見つけたのよね」
 登校途中で、エマが聞いた。
「ああ。そうだよ。あの辺にカラシナが咲いていて、その中で光ってたんだ」
 今日は初夏の陽気で暖かい。
 まだ少しカラシナが咲いている。
「あれから1年か…… 」
「ムラマサさんが、事前に調査していてね。中山家の皆さんに私を預けることに決めていたらしいの」
「ほう。まあ、そうだろうね。考えてみると、偶然ではないだろうと思っていたよ」
「お父さんもお母さんも、ここまで寛容だとは思ってなかったみたいだけどね…… 」
「もし、大騒ぎして『面倒見るのは無理! 』といったらどうするつもりだったのかな」
「今度聞いてみようよ」
「そういえば、俺を床で寝かせてベッドを占領していたのは? 」
「ベッドで寝てみたかっただけよ…… 」
「宇宙人が、寝ている間に人を連れ去ったとか、手術をして何かを埋め込んだという話を聞いたことがある…… 」
「どうかな。人間のことを調べるために、そういうことも考えられなくもないけど…… 」
「他の惑星にも、生物がいる可能性があるんでしょう」
「いくつかの惑星で生物を確認したわ」
「そうか。俺には人類が今まで知らなかったことを、簡単に知る情報源がある。宇宙に関してもっと調べて、宇宙開発に大きく貢献できると思うんだ。でもエマの正体は明かせないから、うまくやらなくちゃいけないな」
「神も人も、不信感を抱いたり、争いが起きたりするのは、お互いを知らないからよ。もっと宇宙のことを知ってもらえればトラブルが減ると思うわ。そして、神は地球人のことを、もっと知るべきよ」
「そのために、宇宙開発に関わりたい。そういうことだ。きっと。俺たちがやるべきことは…… 」
「あっ! エマちゃん! 帰って来たんだね。美術部にも来てね」
 美術部に入ったときに会って以来の、猪瀬が声をかけてきた。
「うわあ。俺たちのアイドルが帰ってきたぞ! 」
「激写! 激写! 」
「こら。勝手に撮るな」
「おおお。相変わらずかわいい」
 校門をくぐると、人が集まってきた。
「じゃあ、私は職員室へ来るように言われているから」

「今日から新しい仲間が加わることになった」
 谷先生が、また転校生を紹介した。
「中山エマです。海外留学から帰ってきました。また一緒に勉強できてうれしいです。よろしくお願いしまあす! 」
「じゃあ、中山直也君の隣でいいかな。剛田君の反対側で」
「はい」
「うわあ。かわいい」
「今度は女神降臨だ」
「剛田と、中山兄妹がいれば無敵だ! 世界征服も夢じゃない! 」
「うふふ…… 武くん。よろしくね」
「ああ。っていうか、俺の方が後輩だ。よろしく頼む。正直きつい。お前がこんな生活をしていたなんて。俺にはかなり重荷だ」
 武がテレパシーで返した。
「ふふ。それはね、あなたがまだ適応できてないからよ」
「ほう。俺はできていないと…… 挑戦状と受け取っておこう」
「なんでそうなるのよ…… 」
「まあ、まあ。2人とも…… 」
 国語の授業では、大学入学共通テストの過去問題を解いた。私立高校では、3年生になるまでに学習指導要領のカリキュラムを終え、受験対策に入るところが多い。
 さすが。エマも武も超人的な速さで解いた。
 ちょっと遅れて直也も終わった。
「エマ。まさかネフェーロマの力を使ってないだろうな…… 」
 テレパシーで話しかけている。
「あんたじゃあるまいし。私はフェアプレイ精神持ってるわよ」
「何を。まるで俺が汚い手を使うような言い方を…… 」
「自分がやろうと思っていることを、他人もやるかもしれないと思うものでしょ」
「むむむ。捨て置けんぞ」
「まあまあ。2人とも…… 」
 日本史の時間には、
「日本人は凄いね。こんなに素晴らしい文化があって今の風土があるんだね」
「ふん。神の中には音楽や芸術に秀でたものもいる。もちろん俺だって人間よりは…… 」
「軍神に文化を語ってもね…… 戦争で破壊と略奪した歴史しか思い浮かばないよ」
「ちょっとまて。俺がいつ略奪したのだ? 」
「2人とも、落ち着いてくれ」
 理科の物理の時間には、
「宇宙の相対性理論とか、よくこんなに込み入った計算をしたものだと感心したよ」
「エマ。授業でいつ相対性理論の話をした? 加速度だの、摩擦係数だの、こんな程度では宇宙の原理になど到底到達しないぞ…… 」
「あなた。勉強が苦痛だとか言ってなかった? 急に良い子にならないでよ」
「勉強は苦痛ではない。だが、同じことや、わかり切ったことを繰り返すのは苦痛なのだ」
「君たち。テレパシー禁止。勉強に集中できないよ。今英単語帳見るので忙しいの! 」
「ナオヤ。ごめんなさい。私…… ナオヤの邪魔はしたくないの…… 本当にごめんなさい…… 」
 エマはシュンとなって縮こまってしまった。
 ちょっと可愛そうだな、と思った。
「聞き苦しい会話を聞かせてしまったな! すまん…… 」
 武はちょっとだけ視線をこっちによこしたが、あまり気にした様子はない。
 こんな調子で、2人は昔から知った仲だが、仲良しというわけではない。
 極端に男性的な武と、女の子らしい性格のエマは対極なのである。

 放課後、美術の沢井先生に挨拶したいというエマと一緒に美術準備室を訪ねた。
 コンコン……
 相変わらず植物のスケッチで壁もドアも埋め尽くされている。
 その中心辺りが空いているので、スケッチに当たらないように注意してノックした。
「はい」
「3年F組中山エマです」
 ガチャ!
 扉を開けて沢井先生が顔を覗かせた。
「おぉおぉ。中山エマさん。職員室で紹介されたとき、ビックリしたぞ。3年生は勉強に忙しいだろうから、息抜きのつもりで時間がある時に来たらいい」
「はい。ご無沙汰していたので、先生にご挨拶をと思い伺いました。予備校がありますので今日はこれで失礼します」
 美術室を懐かし気に眺めてから、予備校へ向かった。
 途中、執事のムラマサが現れた。
「エマ様。ナオヤさん。またこのように仲睦まじく、学校生活を送られるようになって、わたくしは…… 目から昆布茶が…… ううう…… 」
「今夜は予定通りでいいのね。ナオヤ。実は今夜父とアポロ様が中山家の両親と話をしにくるの。そのあとちょっとだけ話を聞いて欲しいのよ」
「なんだい? 改まって」
「神の一族に起こったこと。私が生還した、いきさつなどを話しておきたいのよ」
「そうか。わかった。ムラマサさん。またいつでもうちに来てくださいね」
「おおお…… そのような暖かいお言葉を。ナオヤさん…… あなたこそ神の一族を…… では。失礼いたします」
 また虹色の光と共に消えていった。
「今夜、明かされるんだね。エマがいなくなった日のこと。実はちょっとPTSDかもしれない。思い出すだけで涙が出そうになるんだ…… 」
「そうだよね…… 私も辛い記憶なの。無理はしなくていいよ」
「ううん。見苦しいところを見せるかもしれないが、真実を知る必要はあると思う。自分の心とも向き合いたいんだ」
 エマは直也と同じ東大コースで一緒に勉強した。
 武もいるが、徹底的な個別指導なので、やることは別々である。
「エマと一緒にいると、調子が良くなる気がするよ。いつもよりはかどってる」
「うふふ。私も追いつけるように、頑張らなくちゃ」
 本当に、穏やかな気分になった。
 いつも予備校に来ると、眠気と戦い、歯を食いしばって自分を鼓舞し続けていないと、挫けそうになった。
 勉強の効率が悪かったのかもしれない。
 だが、今は違う。
「エマは、俺にとって、体の一部みたいなもんだよ…… やばい。今考えちゃいけない。涙がでそう…… 」
「ふふ。私、幸せだなぁ。甘ぁい気分だよ」
 こうしていると時間があっという間に過ぎていく。
 帰りに担当のチューターと話をした。
 エマがロビーで武に話しかけた。
「今日、中山家で例の話をするのだけど、一緒に来る? 」
「ああ。実は俺も呼ばれているんだ。先に行っててくれ」
 そして、2人で帰宅した。

 直也は緊張していた。
 エマを失ったあの日、何があったのかが今語られる。
 そして神の一族のしがらみも知ることになるだろう。
 恐らく簡単な話ではないはずだ。
 この先の運命を知ることになるのかもしれない、という予感があった。
 呼吸が浅く、速くなっていることに気づいた。
 大きく深呼吸した。
「ふう…… 」
「緊張するね…… 」
 家の前で立ち止まっていると、武の姿が見えた。
「おっ。どうしたんだ? 」
「私たちにとっては、辛い記憶を呼び起こすことになるのよ」
「ふむ。そうだな。俺にとっては辛い汚点だ。自分の不甲斐なさを思い出して反省する機会にしようと思う…… おっと。ここで始めて、崩れてもらっては困るぞ。とにかく行こう」