「どっちにしたって俺たちにはうらやましい話だよ。本社に行く上、女に不自由しないなんてさ」
 「だから、そういう言い方しないでください」
 本社に移るのは同僚に羨まれても仕方ないと思うが、後者に関してはとんでもない言われようだ。濡れ衣もいいところである。
 「わーってるよ。おまえは主任さん一筋だもんな、あ、元主任さんか」
 そもそも、このこと──みづほが尚隆の子供を産んで育てていることを誰が聞きつけて広めたのかも、はっきり言えば謎であった。百歩譲って、自分がみづほを追いかけていたことは、調べる際になりふり構っていられなかったから噂されても仕方なかっただろうが、その後の顛末については、当然だが自分からは誰にも何も話していないのだから、知られたのは不思議としか言いようがなかった。
 「それはしょうがないんじゃねーの? 営業のくせに、週末は全部予定が入っててダメなんて奴、何してんのか勘ぐられても。その手の話はどっかから洩れるもんだよ」
 尚隆の疑問に、訳知り顔で森宮は言ったものだ。確かに、初めて娘と対面した2月のあの日以来、毎週といっていいほど、みづほたちの元を訪ねている。自身の顔すら頑なに見せなかったみづほが、あれ以降は毎回出迎えてくれるし、娘が起きていれば会わせてもくれる。長い時間ではないけれど、いやだからこそ、週に1度のその時間は楽しみなものになっていた。娘の成長をリアルタイムで追えることも嬉しい。
 だが、いつまでもこの状態で良いとは思わない。通い妻、もとい通い夫の現状は、単身赴任でもないのに不自然だし、なにより両親が結婚していない状態というのは、娘の将来を考えれば良いことではないだろう。
 「……で、報告は済んだんですか森宮さん」
 「おっとそうだった。まずいまずい」
 口振りとは裏腹に、さほど慌ててもいない様子で、森宮は課長の席へと向かう。そのとたんに周囲の視線がさっと自分から逸れるのを感じて、やれやれと思う。
 自分もみづほも、少なくともこの支社内では、すっかり有名人になってしまった。彼女があの時に会社を辞めたのは、その意味では正解だったかと思う。自分一人ならまだしも、みづほも同じような視線に日々さらされるのだと考えると、とてもじゃないが申し訳なさ過ぎて言葉がない。いや、女性であるみづほには、周囲の目はもっと厳しくなっていたかもしれない。真面目で仕事のできる社員としてのイメージが強かっただけに。
 ……もうすぐまた、週末だ。
 彼女にはまだ、転勤が半ば決まったことを話していない。