この夕食も、鮭はきれいに焦がさず、その上できちんと火が通っているし、ほうれん草の茹で具合も煮物の味付けも、非常に程良い加減で箸が進む。自分でも呆れるほど、あっという間に食べ終えてしまった。
 白飯と豚汁のお代わりをもらおうと思ったが、さて、どう呼べばいいのかと少し困った。携帯は着信拒否状態になっているはずだし、ここで呼ばわって声が届く距離にみづほがいるかどうかもわからない。尚隆は立ち上がり、廊下に出た。
 台所がわかれば、と思って勘で歩き回ってみたが、目的の場所にはたどり着かない。その代わりにというか、みづほのものらしい(というか間違いなくそうであろう)声が聞こえる部屋の前に来てしまった。
 優しい声音は、子供をあやしているからだろうか。
 入っていいものかどうかしばし迷い、部屋を出てきた目的を思い出し、勇気を出して障子を控えめに叩く。
 ぴたりと、彼女の声が途切れた。軽い足音がして、障子がすっと開く。
 「……どうかした?」
 「あ、その。お代わりもらいたいと思って」
 「わかった、ちょっと待ってて」
 と一度は背を向けたみづほが、なぜかそのまま静止した後に、また振り返る。沈黙が数秒続き。
 「────顔、見ていく?」
 「え?」
 「あの子の」
 あの子、と言われてすぐに思考が結びつかなかった。気づいてはっとする。
 娘の、凛のことに違いない。
 もちろん、ずっと気にかけてはいた。みづほの母が、折に触れてLINEで写真を送ってくれてはいるが、じかに顔を見たい、会いたいという思いは止むどころか、日毎に大きくなっていたのだ。……だが、現状では難しいかな、とも思っていた。みづほがその気にならない限りは。
 「今、寝てるけど、それでもよければ」
 「あ、いや全然。かまわない。起こさないようにするから」
 「じゃ、入って」
 招き入れられた部屋は、尚隆が今使っているのと同じ程度の広さの、和室。違いはと言えば、奥の壁の半分を本棚が占めている。空いている部分の壁の色が少し違うのは、昔何かの家具を置いていたからなのか。彼女が自室として使っていた部屋であるならば、学習机とかかもしれない。
 中央の大きなテーブルの上には、何かの冊子が広げられ、メモのような小さな紙が積み上げられている。部屋に入ってすぐ、みづほはそれを片づけた。ちらりと見えた冊子の表紙からすると、家計簿のようである。
 ……そして、こちらから向かって左側。揺りかごに似た、四つ足の大きな器具があり、みづほがその上から抱き上げたのは。
 「両手、出して」
 大切そうに抱え、こちらの腕にゆっくりと預けてくる、小さな存在。右肘の内側に頭、腕で背中を支えて、とみづほが指示する体勢をぎこちなく真似ているうちに、それは、腕の中に納まった。
 「……こんな小さいの?」
 「5ヶ月になったばかりだから」
 とみづほは言ったが、それにしても小さいように思えてしまう。兄の子供はもっと大きかったような気が……? とはいえずいぶん前に1・2度しか経験していないし、あちらは男だから、もしかしたら性別の体格差があるかもしれない。
 すやすやと、何の不安もない様子で、静かに眠る赤ん坊。柔らかな髪はほぼ真っ黒で、たぶん、みづほに似たのだろうと思う。自分は少し茶色がかっているから。
 正直、顔立ちがどちらに似ているかは、よくわからない。だがこの年齢(正しくは月齢というのだろうか)にしては、目鼻立ちははっきりしているように見えて、有り体に言ってすごく可愛らしい。……あるいは、自分の子供だと思うからこそ、そんなふうに感じるのか。
 と。
 ぎこちない抱き方に違和感を感じたのか、赤ん坊がぱちりと目を開いた。直後、くしゃりと顔をゆがめ、何秒も経たないうちに大泣きを始める。
 焦って、落とさないように気をつけるので精一杯だった。
 「ごめんなさい、たぶんミルクだと思う。すぐ作ってくるから、悪いけどちょっと待ってて」