「今、何ヶ月?」
 「…………8ヶ月。もうすぐ9ヶ月」
 問いに答えると、尚隆はうなずき、何かを指折り数えた。
 「あと2ヶ月か、じゃあ何とかなるかな、いろいろ」
 その言葉に、神経が引っかかった。……やっぱり、言われるのか。みづほはすかさず機先を制する。
 「言わないでよ」
 「え?」
 「結婚しよう、なんて言わないで」
 持って来た袋をいじっていた、尚隆の手が止まる。
 「……なんで?」
 「そういうこと、言われたくなかったから、話さなかったのに」
 「どういう意味だよ」
 「子供ができたから責任を取るなんて、そんなふうに言われたくないの。そんな結婚したくない。子供にも悪いし。
 ……産むって決めたのは私だから、私がひとりで育てる。広野くんに世話をかけるつもりはないから」
 「────、ちょっと待てよ」
 絶句した後、尚隆は半分叫ぶように、詰め寄ってきた。
 「そんなのおかしい、俺が全然関係ないみたいな言い方。責任感じるのは当たり前じゃないか、だって」
 俺の子なんだろ、と辛いものを吐き出すように聞かれて。
 「……そうよ」
 答えないわけにはいかなかった。
 「けど、私の子でもあるから。私がちゃんと育てるから。そのために仕事、産んでも続けられる所を選んだし」
 「みづほ、そういう意味じゃ」
 「とにかく」
 言い募ろうとした尚隆の言葉を、無理矢理さえぎった。
 「私は、あなたに頼らないって決めたから。だからこのことは忘れて。……もう、ここには来ないで。本当に」
 早く、早くあきらめて帰って。
 でないと、泣き出してしまいそうだ。みづほは深くうつむいた。
 ややあって、大きく息をつく音が聞こえる。間が一拍。
 「また来るから」
 一言、言い置いて立ち上がった尚隆が、応接間の障子を開けて出ていく様子を、うつむいたままで聞いた。一歩一歩、遠ざかっていく足音が聞こえなくなった頃、涙が落ちた。
 ……何分か経った頃、母が入ってきた。手に、みづほが産院の定期検診帰りに買ってきたケーキの皿を持って。箱ごと落としてしまったが、見る限り、意外と無事だったらしい。
 ことり、と一緒に持って来た紅茶とともに、テーブルに置かれる。
 「食べなさい」
 正直、今はそんな気分ではなかったが、一口分切り分けて口に入れた。気分が高ぶった時には甘いものとお茶、というのが母の昔からの信条だった。
 商店街に子供の頃からある、老舗の洋菓子屋のケーキ。味は変わらず美味しいはずだが、今はあまり感じられない。
 「あんた、あの人にちゃんと話してなかったのね」
 「……ごめんなさい」
 「それで、なんて言ったの」
 「──もう来ないで、って」
 「あの人は?」
 「また来るから、って」
 そりゃそうでしょうね、と母がつぶやくように言った。
 「あの人、指輪持って来てたわよ」
 「…………え?」
 「ダイヤみたいに見えたから、婚約指輪じゃないかしら。渡してくれって言われたけど、それは自分で渡した方がいい、って返したわ」
 「…………」
 指輪?
 さっき何か、持って来ていた紙袋をいじっていたのは、それを出そうと思って、だったのだろうか。
 ──私は、もしかして、勘違いをしていたの?
 頭が混乱を極めて、ぐるぐるしてきた。大変な間違いをしでかしたのかもしれなかった、そんな気がして。