みづほはいまだに、尚隆が、体の相性だけで彼女を求めていると思っているふしがある。始まりがそうだったから完全否定をできないところであるのがつらい話だが、今は断じてそれだけではない。
 そうだとわかってもらうためには、思い切った手段に出る必要がある。今は、その準備をしている段階だった。
 「足を止めてしまってすまなかったね、そろそろ戻ろうか」
 「あ、はい」
 専務に促され、使っていたテーブルを片づけて店を出る。
 ……あと半月もすれば、準備はどうにか完了する。それからはなるべく早く、みづほに会いに行くのだ。今度こそ自分の本気を知らしめるために。

 その人の前で、不本意にも尚隆は固まっていた。
 7月下旬が目の前に迫った、土曜日の午後。
 みづほの実家を訪ねる、2度目。
 1度目の時も思ったが、みづほの実家、須田家の建物は、非常に立派な日本家屋である。必然的に敷地も、庭も広い。だが前回も今回も、インターホンを押して出迎えてくれたのは、みづほの母である初老の女性だった。父親はみづほの大学卒業後に亡くなった、と友人の村松嬢経由で聞いている。兄弟もいないらしいので、今この家に住んでいるのは、みづほと母親の二人だけのようだ。こんな広い家に女二人というのは、ずいぶん不用心に思えてしまう。
 さておき、尚隆を出迎えたみづほの母親は、ひどく怪訝な表情をしていた。1度目に訪ねた時も、格別に友好的だったわけではないのだが、もう少し普通というか、ここまであからさまに「何この人」と言いたげな顔ではなかったと思う。
 まあ、大事な一人娘を、事前の連絡なしに(電話番号までは教わらなかったので致し方ないのだが)2度も訪ねて来る男は、いくぶん胡散臭く思われても仕方ないかもしれない。いちおう最初の時に「前の会社の同僚です」と伝えてはあるし、身分証明として名刺や免許証も見せているのだけれど。
 それとも、前回の来訪から間が空いたことを、訝しく思われているのだろうか。できればもっと早く来たかったのは、尚隆自身も思っていたことなのだが、計画の準備の都合上、日にちがかかってしまった。
 どうしても、まとまった資金が必要だったのだ。先日出たボーナスでどうにか目標が達成できたから、準備を済ませてここにまた来ることができた。今日こそはみづほに、自分の本心をわかってもらうのだ。
 そう意気込んで来たのであったが、みづほの母親の予期せぬ表情に、少しばかり気分が後退してしまった。……何だか相当に迷惑がられているというか、招かれざる客扱いされている雰囲気が漂っている。
 しかしこんな所で引くわけにはいかない。みづほ本人だけでなく、家族に良い顔をされないことも覚悟の上だ。
 「──あの、みづほさんは」
 「あの子なら出かけていますよ」
 ようやく尚隆が発した問いに、みづほの母親はにべもない口調で答える。やっぱり、かなり胡散臭く思われているらしい。
 「いつ頃、戻られますか」
 「もうすぐ帰ってくると思いますけど」
 「待たせていただいてもよろしいですか」
 その質問に、みづほの母親は答えない。執拗なほどにじろじろと、尚隆の顔を見ている。何か隠し事がないか、嘘をついていないかどうかを見極めるかのように。不躾とも言える視線に、尚隆は耐えた。必要な試練だと思って。
 よくよく見れば、みづほの母親には言いたいことがあるようだった。ずっと口元に手を当てて、何かを言うタイミングを測っているように思える。
 何分経ったかわからない頃、みづほの母親は、我慢できなくなったふうに口を開いた。
 「あなた、いったいどういうつもりで、うちの娘と」
 ほとばしった言葉が、そこで途切れた。尚隆の背後に何かを見て。
 振り返って、みづほの姿を認め、仰天する。
 みづほも、おそらくはこちらと同じぐらいに、驚愕していた。持っていたケーキ屋の箱を地面に落とすぐらいに。
 大学時代のように眼鏡をかけ、長かった髪は頬のあたりまで短くされている。おかっぱ、いやショートボブというのだろうか。それも似合っていて可愛らしい、と思ったのは後からのことで、今この時はそんな余裕はなかった。
 ……ゆったりしたワンピースの下、明らかに普通よりもふくらんだお腹。それを見て、全ての合点がいった気がした。
 彼女が何も言わずに消えたのは、会社を辞めた理由のせいだけではなかったのだ。