次いで、はっとして周りを見回した。みづほの常にない慌てた様子に、全員が目を丸くしている。……しまった。
 今さらながら平静を装い直し、深呼吸をひとつ。
 「それで、いるって言ったの」
 「たぶんいるとは言ったけど……何、やばい奴だったら追い返そうか」
 「ううん、いい。会うから」
 「ついでに休憩行っておいで。こっちは大丈夫だから」
 後方の席から叔母がそう言ってくれ、30分の休憩許可を取り、意を決して事務所の社員通用口へと向かう。
 扉を出てすぐの、営業車や配送車の駐車スペース。そこに身の置き所がないような風情で立っているのは、およそ3ヶ月ぶりに見る姿。みづほを見た途端、心底ほっとしたような笑みを浮かべた。
 胸の奥に、錐の先でつつかれたような痛みを感じる。
 「よかった」と開口一番、尚隆は言った。
 「久しぶり」
 「……ひさしぶり」
 「実家のお母さんに聞いたら、ここだって言われたから」
 「どうして、私の実家がわかったの」
 「村松さんに教えてもらった」
 その一言で、どうやって探し当てたか、経緯の推測はできた。おそらくサークルの元部長あたりのツテで、当時一番親しかった村松佐和子にたどりつき、彼女が状況から判断して教えたのだろう。
 「──佐和ちゃんてば……」
 正直、うかつだった。大学時代の友人でも、実家を知っているのは中学からの友人だった佐和子ぐらいなのだから、口止めをお願いしておくべきであった。彼女は今、日本を遠く離れているからと思って油断していた。だが今さら気づいてもしかたない。
 「話、したいんだけど。今はまずい?」
 「30分休憩もらったから、それでよければ」
 「わかった。じゃあ、えっと」
 「こっち。行きつけの喫茶店あるから」
 歩いて2分、みづほが子供の頃から続いている、昔ながらの純喫茶。毎日、社員の誰かが必ず利用していることもあって、マスターとは顔なじみである。
 店に入ると、いつものこの時間帯はけっこう客が多いのだが、今日は何の偶然か、空席の方が多かった。
 「おや、見ない人を連れてるね。お客さん?」
 「はい、前の会社の知り合いで。向こうの席使いますね」
 「どうぞ、どこでも」
 他の客からは距離のある、店の奥の二人席を選んで座る。
 向かい合うと、何か感心したようなまなざしで、尚隆がこちらを見ていた。
 「なに?」
 「いや、ここ、ほんとに地元なんだなあって思って」
 「それはまあ、高校出るまで住んでたから」
 注文を取りに来た、これまた顔なじみのウェイトレスに、みづほはミックスジュース、尚隆はブレンドを頼んだ。
 「で、話って?」
 ウェイトレスが離れていってから尋ねると、尚隆は怪訝な表情になった。少しむっとしたようにも見える。
 それがなぜなのかわかっていながら、みづほはわざと「どうかしたの」とさらに尋ねた。
 「…………、もしかして、忘れたとか言う?」
 「何を?」
 「っ、言っただろ、ちゃんとしてから話すって」
 もちろん覚えている。あの日のこと──一緒に過ごした夜から朝にかけてのことは、全部。今でも思い出すと、じんわりと頬が熱くなる。それを見られないように若干うつむきながら、みづほは応じた。半分は本心、残り半分は牽制で。
 「聞いたけど。でも、本当になるとは思わなかったから」
 「──信じてなかったってこと?」
 「だって、無理でしょそんなこと」
 普通の男性なら、専務から娘を(それもハイスペックな美人を)紹介されて、何度も会っておきながら断ったりはしないだろう。自分の意志と、可能か不可能か、両方の意味で。
 だが、尚隆は首を振った。ものすごく真剣な顔つきで。
 「無理じゃない。だから来たんだ」
 「……断ったの?」
 「ああ」
 「そう」
 みづほは複雑な気持ちだった。彼がそこまですると最初からわかっていたなら、辞めずに済んだだろうか。……いや、もしもを考えても詮無いことだ。それに。
 「彼女にも、専務にも会って、ちゃんとお断りした。ちょっと揉めはしたけど許してもらえたし、仕事にも差し障りないから安心して。
 それと、専務が『申し訳なかった』って。本人さえよければ復職の手続きも取るって、伝えてくれって」
 「復職?」
 「会社に戻れるって話だよ。あの仕事、好きだったんだろ」
 ますます、複雑な気持ちを感じる。……確かに、システム管理の仕事は好きだったし、未練がまったく消えたかと問われれば、たぶん嘘になる。今この時、心の揺らぎがゼロかと言えば、そうではない──だけど、無理だ。
 今度はみづほが首を振った。尚隆が目を見張る。