大学で同期だった、須田みづほ。学部は違うが、運動系のサークルで一緒になって知り合った。
面倒見が良く真面目なみづほは、幹部だった3年生の頃にはサークルの会計を任されていて、だから会費を払う時などに挨拶程度で話す機会はあった。逆に言えば、それ以外ではほとんど関わりのない女子でもあった。
なにせその頃の彼女といえば、中身の生真面目さがそのまま表に出たような風貌で、地味の代名詞と言ってよかった。パーマやカラーをまったく施したことがなさそうな長い黒髪を、いつも後ろで一つにまとめて、分厚い眼鏡をかけて。
服装も、周囲の女子が追いかける流行のファッションの真逆を行くタイプで、学校か会社の制服みたいなブラウスとスカートをしょっちゅう身に着けていた。そんなみづほは誰が見ても地味女子で、それゆえ自分にとって積極的に話しかける対象ではなかった、のが正直なところだ。
あの頃の自分は、見た目こそ特別派手にしてはいなかったものの、女子からよく声をかけられるのをいいことに、数ヶ月単位で付き合う女子を変える行いを繰り返していたのである。
高校の頃からそんな調子でいたし、二股をかけたりはしていなかったから、自分では格別「遊んでいる」と思ってはいなかった。しかし第三者から見れば、そう言われても仕方ないレベルではあったかもしれない。みづほみたいなお堅い女子学生には、たぶん、いや間違いなくそう認識されていただろう。
そんなふうに対照的な自分とみづほだったから、本当に、サークル内で必要な会話を交わす以外での付き合いは、全くと言っていいほどなかったのだ。
──大学3年の後期、秋の深まってきたあの日までは。
その日、尚隆は少し苛ついていた。半年ほど付き合っていた相手と前日に別れたところで、しかも浮気を疑われた挙句に相手の方に浮気されたという、どうにも格好のつかない顛末であったため、気分がくさくさしていた。
講義に行く気にはなれず、かと言って、サークルの部屋に顔を出して好奇心の種にされるのも気が進まず、サボって中庭のベンチに座っていた時だった。
「広野くん、どうしたの?」
名指しで掛けられた声に顔を上げると彼女、須田みづほが立っていた。いつもと同じ分厚い眼鏡、ひとまとめの黒髪に制服風ファッションで。
思わず、苦虫を噛みつぶしたような表情になったかもしれない。誰であろうとサークルの人間にはあまり会いたくなかったから。厳密に言えば、みづほなら何か察したとしてもそれを言いふらすとは思わなかったけれど、それでも気は晴れなかった。
「別に」
我ながらぶっきらぼうに発した一言に、みづほは肩を揺らした。あまりの無愛想さに怖じ気付いたのかもしれない。それならそれでもいい、早く向こうへ行ってくれないか。視線を逸らしながら思った希望は、叶えられなかった。
みづほがベンチの空きスペース、つまり隣に座ったのだ。少なからず驚いて、反射的に彼女を見た。
同時に、みづほもこちらを見た。真面目な顔つきで、まっすぐな視線で。
「……何だよ」
「話したいことがあるなら、聞こうか?」
なんでも聞くよ、と言うみづほの声が心なしか硬いことに気づく。じっと見返すと、彼女のまばたきが速くなった、ような気がした。
「別に、何もない」
普段でもほとんど話すことのないみづほに、付き合っていた女と別れた顛末など、話す気にはなれない。だからそう答えた。だが彼女は、口をつぐんで目をそらしたものの、ベンチから離れようとはしなかった。
そこで自分が、さっさと立ち上がって去っていたら、あの時の邂逅はそれで終わりだったであろう。だが尚隆は去らなかった。ふと目をやったみづほの横顔に、見入っていたのだった。
それまで意識したことは正直なかったし、眼鏡の印象が強くて気に留めもしなかったのだが、よくよく見るとみづほは綺麗な目をしている。鼻筋がすっと通っているし、唇はほど良くふっくらとしていて形も良い。今みたいな地味なメイクじゃなく、明るい色合いに変えればもっと可愛らしくなるんじゃないか、なんてことを思った。
そんなふうに彼女を観察していると、細い首筋から耳にかけての肌が、じわじわと赤くなった。表情は変わりないが、頬にも、チークとは違う赤みが差しているように見えた。
直感が働いた。
「──須田って、もしかして」
「えっ?」
と振り向いた瞬間のみづほは、ものすごく驚いた表情をしていた。一拍のち、途中までしか言葉を聞いていなかったことに気づいてか、慌ててまた顔ごと目をそらした。見る間に横顔は首まで真っ赤に染まった。
彼女が予想しただろう「『もしかして』の後に続く言葉」と、自分が「言おうと思った言葉」は、おそらく一致している。そしてその内容は、この反応からするとたぶん間違っていない。
「話、聞いてくれんの?」
「……え、あ。う、うん、話でも愚痴でも聞くよ。他に、私にできることがあるなら何でもするし」
いつもの真面目顔、澄まし顔とはまったく違う、みづほの様子が興味深かった。有り体に言えば面白かった。……だからつい、からかいたくなったのかもしれない。
「何でも?」
まだ赤い顔で、それでも力を込めて頷いたみづほに、自分は言ったのだ。
「じゃ、俺と寝てみる?」と。
冗談、と言うには我ながらふざけすぎていた。
言った直後の、みづほの凍り付いた表情を見て、後悔しなかったわけではない。
けどその時の自分は、発言を引っ込めなかった。その気があるなら5限の後に正門前で、なんて指定まで口にした。みづほが何も答えず、反応を示さないのを機にやっとその場を離れたが──何故あんなことを言ったりしたのだろう、と頭の中では困惑が続いていた。
真面目な彼女が、あんな言葉に従って来るはずがない。さっきの直感通りに尚隆を好きなのだとしても。そう思っていた。
だが、みづほは来たのだ。尚隆が言った通り5限の後、傾きかけた陽に照らされた正門前に。