その日出社すると、課長が厳しい顔でみづほを呼んだ。
「何でしょう?」
「淵上部長が呼んでる。出社次第すぐに来させるようにとのことだから、急いで行ってくれ」
淵上とは、システム課を含めた総務部門の部長である。営業畑出身のためか、普段は課のことは課長にまかせきりで、大きな会議や重要な決裁以外で関わってくることはない人なのだが。いったい何だというのだろう。
「わかりました。もし時間がかかったら、朝礼の進行お願いできますか?」
「やっとくから、とにかく急いで」
温厚で落ち着きのある課長が、どういうわけか妙に焦っている。普段ならあり得ないことの二重発生に、みづほの頭は混乱してきた。
とにかく、部長の所に行かなければ。8階から9階に上がり、指定された小会議室へと向かう。
案内札が使用中になっているドアを、2回ノックした。
「おはようございます、須田です」
「入りなさい」
ドアを開けると、一番奥の席に淵上部長が座っていた。先ほどの課長と同じく、いやもっと、厳しい表情でみづほを見ている。
ふわりと浮き上がってくる、予想があった。
「お待たせしました。お呼びと伺いましたが」
「とりあえずそこに座って」
そこ、と示されたのがどこなのかはっきりしなかったが、自己判断で、部長から3つ椅子を空けた位置に座った。
「さっそくだが、先週の週末、君は何をしていたかな」
「先週末ですか? 自宅におりました」
「証明できるかい」
「証明、と申されましても、私は一人暮らしなので」
「2日間、ずっと一人だったと証明できるか、ということなんだが」
「……何をおっしゃりたいのでしょうか、部長」
「これだよ」
と、部長がわざわざ立ち上がり近づいてきて見せたのは、3枚の写真。反射的に言葉が出なかった。
尚隆が、みづほの部屋があるマンションへ入っていくところ、みづほが尚隆を出迎えたところ──尚隆に抱きしめられた瞬間。誰がどうして撮ったのか、なぜこんなに的確に撮れたのか。想像しただけで背筋が寒くなる。
「写っているのは君と、営業の広野くんで間違いないね。
君も聞いているとは思うが、彼は今、半井専務のお嬢さんとの縁談が進んでいる。正式にはまだ決められていないが、まあ婚約者のような立場だ。その人物と、休日に自宅で密会するとは、いったいどういうつもりだったのかな。ぜひとも君の言い分を聞きたいね」
「…………この写真は」
「個人情報は伏せるが、ある社員からメールで昨日、私に送られてきた。パソコンで見せるより、印刷した方がよくわかると思ったんだよ。
さて、何か弁明なりなんなり、言いたいことはあるかな」
みづほは、しばらく沈黙した。
言い分が、無いわけではない──あの日、約束などはしていなかった。訪ねてきたのは尚隆の方である。夜に突然のことだったし、コーヒーでも飲んでいけばいいと思ったのは外のあまりの寒さに驚いたからで、他意は全くなかった。
……だが、結果的に彼の抱擁を受け入れ、一晩を過ごしたのは事実である。拒むこともできた。しなかったのは、まぎれもなく自分自身の選択だ。どう言い訳しようとその事実は変わらない。
たとえ自分にいっさいの非がなかったとしても、この写真がある限り、なにを言っても無駄だろう。
「──いえ、何もありません」
「なら、認めるんだね」
「はい」
そうか、と淵上部長はため息を吐き出すように言った。その「残念だよ」と言いたげな口調で、次に何を言われるのかも、なんとなくわかってしまった。
「須田くんは、入社以来システムの方で、よく頑張ってくれたよ。前坂くんから女性を主任にすると聞いた時も、反対はしなかった。君ならまあ務まるだろうと思ったからね。
その君がこんなことをしでかすとは……本当に残念だよ」
課長の名前を挙げ、淵上部長はいかにも惜しむような調子で、今度は声に出してそう言った。どこまでが本心なのかは疑わしいが。昇進の際「反対はしなかった」と言った通り、色よい反応も返さなかったと、前坂課長から聞いている。
「非常に残念だが、君がこの会社にいると、また同じ間違いを起こさないとも限らない。申し訳ないが、なるべく早く、辞めてもらいたいというのが上の意向だ。了解してもらえるだろうか」