「秘密裏に人を狙う任務の時は、たいてい現場に痕跡を残さぬよう努めるものです」

 私は刺客を自警団に引き渡した後、詩乃と桜國の町を駆けていた。詩乃は「当たり前だろ、だから、追えなかったんだ」と顔を歪めた。

「こういう人間は、匂いを消すよう努めている。さらに効き目はそう長くない。よって、刺客が待機する場所、もしくは集合場所となっているところは定期的に匂いを消さなくてはならないのです」

「じゃあ、俺じゃ分からねえじゃねえか!」

 詩乃は、「ふざけんじゃねえ」と怒り出す。私は彼の鼻を指さした。

「よって、最も香りのしない場所こそが、この刺客を送り込む、貴方の言う悪い組織ということですよ。あとは、この桜國中を虱潰しに探していくことにはなりますが、どう考えても慈告を狙った刺客は稚拙です。大規模な組織によるものではない。むしろ、委託されたように思います。おそらく、この近くに拠点を構え、長期戦を見込んでいるのでしょう。さっきのあれは、様子見だったんだと思います」

「確かに、妖力がねえせえで、気配がまったく分からなかったな」

 詩乃はすんすんと鼻を動かす。

「妖力がないと、気配が分からないのですか」

 桜帝は、私の居場所を分かっているようだった。それは、彩都の人間ではなしえない幻術の能力によるものかと思ったけれど、違う……?

「当たり前だろ。俺たちは怨魔に神経を研ぎ澄ましてる。ありんこの扱いの人間の殺気なんて分からねえよ」

「ではなぜ私の嘘の匂いは分かったのですか」

「ガキの頃は無差別に嗅いじまってたけど、こんだけ匂いが溢れかえった世界で生きるのは無理があるだろ。気が狂う前に、俺は静明の親父様に訓練してもらって、制御できるようにしたんだ」

 桜帝の、父。思えば桜帝の両親はどうしているのだろう。あの屋敷には、桜帝、詩乃、羽望、慈告の香りしかしない。

「今、桜帝のご家族は、生きていますか」

「死んでる。怨魔の襲撃にあって」

「では、屋敷には桜帝、詩乃、羽望、慈告の四人だけが?」

「ああ。兵は別に置いてる。静明は、誰も信じないから」

 桜帝は、誰も信じない。だから信頼のおける三人をそばに置き、兵を遠ざけている?

 前に桜帝は、詩乃が羽望と慈告に世話をされたと言っていた。しかし、詩乃は桜帝の父親を知っている。となると年代に矛盾が生じる気がしてならない。


「詩乃は、この桜國から一度出たことがあるんですね」

「まあな」

「ごめんなさい。私はてっきり──」

 そう言いかけて口をつぐむ。詩乃が、不自然に足を止めた。

「どうしました」

「あそこだ。なんも匂いがしねえ場所は」

 詩乃はそっと、季節外れの椿が囲う霊園を示した。そこには霊園を管理するための小屋がある。

「あそこを待機場所か何かにしているようですね。では」

 私が向かおうとすると、詩乃が眉間にしわを寄せた。

「はぁっ!? なんだよではって、正気かお前」

「はい」

 詩乃は、桜帝を呼ぶ素振りはまるでなかった。大事にしたくないから、もしくは報告に値するものではないと思っていたが、そうではないらしい。「のこのこ行って捕まったらどうするんだよ! あぶねえだろ!」と、私を制止する。

「それも手としてありますね。本来敵の手に渡ってはならないのは慈告でしょう。しかしここには、私と貴方がいます。貴方は怨魔を滅ぼし桜帝を守る役目がありますが、私は本来この桜國の平和に不要な存在ですから」

「お前それ本気で言ってんのかよ」

「はい」

 もう詩乃に案内される必要はない。私はそばにあった木に登り、木を伝って霊園の小屋へと向かう。

 窓から様子を伺えば、やはり慈告を拉致することについての相談をしていた。

「じゃあ、今夜、桜國に火をつけ、騒ぎを起こして屋敷に入るって算段でいいか」

「ああ。今は出かけてるみたいで、散り散りになってる。狙い時だが街中は避けたい」

 今、羽望も慈告も、屋敷にいることを知らないのだろう。つまり、屋敷の中は探られていないということだ。

 屋敷を少数のみで運営することに、勝手に懸念を覚えていたけれど、こういう時に役立つのか。

 そして火で街が焼かれるということは、死人が出るということだ。組織を抜けてもなお、私は平和に貢献できている。安堵を覚えて、ふいになぜ自分が平和のために活動をしているのか、疑問がわいた。

 そうだ。私は、組織に命じられて平和を守ろうとしたんだった。

 しかし今、私は組織を抜けている。それでもなお、こうして行動しているのはなぜだろうと考えて、桜帝の顔が思い浮かぶ。

『全部俺の気分や、俺はしたいかしたくないかで動くんや』

 つまり、私はいま、助けたいと思っているのだろう。

 そう考えると、不思議と腕に力がこもった。

「それにしても、あいつら遅えなぁ」

 そう言って、中の男が窓に最大限近づくのを待ってから、私は雨どいに手をかけ窓を蹴破りながら男を倒し、室内に入った。中にいたのは、八名、全員男だ。彩都製の銃を構えているが、実際に撃ったことはないのだろう。

「誰だお前は!」

「桜國の手下か?」

「そんなところです」

 答えながら、私は銃を叩き落す。手が震えているし、構え方があやふやだ。

 暴発されたら危険だと、手前の男たちから順に打ち倒していく。

 驚き隙ができた隣の男の首を突いて、勢いをつけながら後ろにいた男の膝を折る。

 最も近くにいた男を無視をして、そばにいた男の腕をとり、二人まとめて壁へと叩きつけた。

「こいつなんなんだよ! おい、とにかく撃て!」

「でも! 流れ弾が!」

「全部こいつに当たればいい話だろ!」

 男たちは惑い、天井や床、壁にむやみに撃ちながら襲い掛かってくる。

 一週間、いや二週間は戦いから身を離してしまっていたけれど、まだまだ身体は訛っていない。

「おい! 大丈夫か! 勝手に突っ走って行きやがって!」

 そのまま残り四人も打ち倒そうとするも、詩乃が正面扉を開き入ってきてしまった。

 人を守る戦い方は、したことがない。

 そして敵の銃も素人の域を出ていないとはいえ、体格も大きい詩乃は、撃ちどころが多い。私は詩乃の盾代わりに男を放り投げるも、詩乃はきちんと弾丸をかわしていた。

「何驚いてんだよ」

「すみません。基準が自分より強いか弱いかしかないので」

「てめえ俺が雑魚って言いたいのか!」

「いえ」

 そんなことは言っていない。ただ、詩乃の剣さばきは、無理やり桜國の流派に合わせているから、人間相手の実戦を懸念しただけだ。

 次々現れる男たちを倒していると、ふいに一人妙な動きをしている人間を見つけた。その男は自分の口に銃口を咥える。「てめえ何してんだ!」

 詩乃の怒鳴り声をもろともせず、男は自分を撃った。すると不思議なことに、人型だったはずのそれは、黒いヘドロ状の大きな物体に姿を変え、かと思えば犬に似た巨獣へと姿を変える。

 これが、怨魔の姿……。怨魔はやがて小屋の屋根すら簡単に貫いて、大地を揺るがすほどの咆哮を上げ始めた。

 自分の力ではとうてい勝てないと、瞬時に悟る。すると詩乃は「クソっ」と、打刀の構えを変えた。

「俺が押さえる。お前は静明呼んで来い!」

「はいっ」

 私は後ろに大きく飛び、桜帝を呼ぼうとする。しかしそれより先に、詩乃が吹き飛ばされた。

「クソが! なんだこいつ! いつもの感じじゃねえぞ」

「いつもは倒せているのですか。かなり苦戦してるようですが」

「当たり前だろ!」

 詩乃は打刀を構え、斬撃を浴びせるけれど、効いてはいるものの致命傷は与えきれていない。挙句無理な切り込みによって、壁へと吹き飛ばされた。巨獣は周りに倒れていた人間を喰らい始め、その身をさらに大きくさせていく。


「人間を喰らい、強くなっている……」

 私は壁伝いに、瓦礫に飲み込まれた詩乃の救出へ向かった。

 彼は木の板や屋根の瓦に腕を巻き込まれている。私を見た詩乃は、怒鳴りつけてきた。

「馬鹿逃げろよ! いいからお前は桜帝を呼びに行け!」

「呼びに行くとしても、これを外さないとあなたは死ぬでしょう」

 命の優先順位は、詩乃のほうが高い。

 瓦礫を外しながら振り返ると、怨魔はすぐそこまで迫っていた。私は怨魔に背を向けているけれど、詩乃は怨魔を正面に見ている形だからか、「逃げろって言ってんだろ!」と、声を荒げっぱなしだ。

「お前も死ぬぞ!」

「食べられないように死にますよ。あの化け物は、人を喰らって力を得ているようなので」

「そういうんじゃなくて!」

「それに、あそこまで大きい怨魔ならば、桜帝もすぐに気づいてやってくるはずです」

 私は、最後の瓦礫を崩しにかかった。

 しかし、怨魔はすぐ迫ってきている。どうにか詩乃を助け出そうとしていると、リン……と神楽鈴が響いた。

「確かに、気付くけどなぁ、危ない思ったら逃げてほしいんよ」

 桜吹雪を伴った豪風とともに、迫りくる怨魔の腕が一太刀で切り落とされる。あまりに華麗なその動きに目を奪われていると、艶やかな極彩色の花びらを纏い私の目の前に立った桜帝は、目の前の惨状とは裏腹に悲しげだった。「はぁ、中々切りごたえあるわぁ。もう六人くらい喰ろうたんか」

 桜帝は気だるげに持っている刀を払う。返り血にも似た黒い液体は、桜の花びらへと姿を変えた。その様子をじっと見つめていると、桜帝は「見たことないんか?」と、目を細める。

「あんなぁ、天ノ国からのもらいもんの武器で切ったもんは、切る時なんかに変わるんよ。海島の槍で突き殺せば水に還る。星域の弓で射れば星の瞬きになって終われるんや。そんで、桜國の刀は──今から見せたるわ」

 そう言って、桜帝は怨魔よりもずっと高く飛び上がった。怨魔は背中からいくつもの手をはやして、桜帝に襲い掛かるが、桜帝の刀さばきによって全てを花びらへ変えてしまう。

「食われたもんも、この桜國の一部になって、安らかにねんねしぃ」

 桜帝は怨魔の頭部へと、思い切り刀を突き刺した。そのまま地面へと縫い付けるように勢いをつけ、おどろおどろしかった怨魔は一瞬にして花びらへと姿を変える。

 先ほどまで、人を喰らっていた化け物が、花びらになった。残酷なはずの景色なのに、一面に桜の絨毯が広がり、真っ赤な夕焼けの中、花びらが静かに舞降る光景から目が離せない。一方桜帝は、刀を払いながら、鞘へと収め、詩乃を見やった。

「はーぁ、詩乃お前、お花ちゃんと戦って弱なったんやない?」

「違う! お前も切ってみて分かっただろ。こいつ、いつもの怨魔じゃない。それに、人間が自分のこと撃って変わった怨魔なんだよ」

「ほあ。人が怨魔なぁ……人に化ける怨魔は聞いたことあるけど、人が死んで怨魔なるんは聞いたことないわ」

 そう言って、桜帝は花びらの山を見やる。

「まるで、雪みたいやなぁ」

 雪……。空から冷たい、「雪」と呼ばれるものが降る場所があるらしい。凍った雨であるそれが、しんしんと降って積もる場所、雪郷と呼ばれる、夢の理想郷。

 言い伝えのようなもので、汎は「浪漫がある」と言っていた。

 日々移ろい、場所を変えていく雪郷は、雪とともにその訪れを報せる。さらに、雪を伴い銀髪で、軍服を身にまとったそれはそれは美しい男が現れ、雪が見えたものに「お前は私の妹か」と問うて、否定されれば姿を眩ますそうだ。

 肯定すればどうなるか、それは誰にも分からない。汎は「連れていかれる」「神隠しにあう」と言っていた。

 桜帝は、雪を知っている? 注意深く次の言葉を待っていれば、彼はこちらへ振り返り、顔を歪めた。

「お花ちゃん、なんかあったらすぐ大きい声出せ言うたやんか。詩乃んこと助けてくれてありがとうやけど、お花ちゃん自身も『助けて』をちゃんと覚えなあかんよ」

「承知しました」

「おん。あと承知しましたもなんか他人行儀で嫌やから、次からなしな」

「……はい」

 返事をすると、桜帝は今度は私の腕や足を見始めた。

「で、どっか怪我ない? お花ちゃんなんか怪我の程度がおかしくても言わなそうで怖いわ。医者行こか?」

「いえ、その必要はありません。攻撃はすべて受け流しましたので」

「受け流すほど戦い慣れとるのも嫌やな。それまで傷ついてきたってことやろ」

 桜帝は、とても不機嫌な様子だ。良くしてもらったのに、どうしたらいいか分からない。

「僕、お花ちゃん強いの、嫌やわ。すっごい嫌」

 桜帝も、強いと聞く。ということは彼もそれだけ訓練をこなしてきたということだ。それに私は人間しか倒せないけど、桜帝は化け物を相手にしている。人間との戦闘より、損傷はずっと深くなるだろう。

「桜帝様も、怨魔との闘いで傷ついているのでは」

「僕めっちゃ強いから、無傷やで。僕は子供のころから強いんや。いつだって、いっとうな」

 彼は暗い声色で、ぼそりと呟いた。桜帝の幼少期について、聞いたことがない。尋ねようとする前に、彼は「せや、こいつらなんやねん」と、残った人間を指し、私はそれ以上深く尋ねることができぬまま、状況説明を始めたのだった。

 桜帝に事情を説明し、詩乃とともに三人で屋敷へ戻ることとなった。すると──、

「ご迷惑をおかけして、すみません」

 慈告は今にも切腹しそうな顔で、玄関に立っていた。羽望は「大丈夫だって! 狙われてるのはみんな一緒! 人は! いつか! 死ぬ!」と、明るくふるまっている。

「羽望、お前黙っとけって言っただろ」
「どうしてですか? だって、後から知ったほうが悲しくなりませんか?」 

 詩乃と羽望の問答の意味が分からないでいると、桜帝が「羽望はなぁ、視野が広いんよ。外のことやったらぜえんぶ見れるねん」と私に耳打ちした。

「外が、見れる?」

「彩都にあれあるやろ、監視するカメラ、あれと同じや。ただ機械やのうて見るんは羽望やから、見続けたら脳がな、許容範囲超えて潰れんねん。局所やし、怨魔がらみやないと見れんようなっとるけどな」

 つまり、詩乃は、嗅覚が、羽望は視覚が人と異なってるということだ。となると、桜帝は私の気配をすぐ察知していたし、聴覚が──?

 私は桜帝を見ると、「そんなんないで」と心を読むように否定された。

「そんな特殊な能力が桜國だけ集中してたらえらいことなるやろ? 詩乃は例外として、天絡みでこっち住め言われとんのは羽望だけや。聴覚が優れとるのは海帝に仕えとるし。ほんとは後宮もちの星域におったほうがええ気もするけど」

 海帝──見おぼえがある。誰よりも明るいオレンジの髪に、エメラルドグリーンの瞳に日焼けした肌を持ち、島ほどの神亀を従えるという、海島の王……。

 そして星帝は、赤褐色の髪をした怜悧な美丈夫で、三帝のうち最も知略に長け、眼鏡ごしの金の心眼により、万物を見通すと聞いた。

「このたびは、僕のためにすみません……姫様にも、ご迷惑をおかけしてしまい」

 慈告は死にそうな顔で頭を下げる。私は首を横に振った。

「いえ、私は戦うことが得意だと再認識しました。ありがとうございます」

 私は、この桜國に来て分かったことがある。それは、この手はどうあったって、人を倒すものであるということだ。

 家事や人らしき暮らしを学んでみて、苦手ではないが得意ではないと感じた。しかし、慈告を狙う者たちを打倒している瞬間は、確かに人の役に立てていると思えた。私は肩を落とす慈告にそっと触れる。

「もし死にたい理由が、自分を襲ってくる人間にあるのなら安心してください。私は人間相手ならそこそこ戦えるので、慈告を殺しに来る人間を、ねじ伏せることができます」

 私が打ち倒そうとしていた人間は、そもそも自らが人を捕らえようとしているのに、私に向かって怯えていた。いつもそうだ。私を前にする人間たちは怯える。まれに好戦的な者もいるけれど、颪いわくそういう者は「変わっている」らしいから、きっと多い考え方ではないのだろう。

 だから多分、慈告は怖いのだと思う。自分を狙う人間が多いことに怯え、その恐怖から逃れようと死にたいのかもしれない。

「慈告は、人間が怖いかもしれませんが、貴方の前にいる人間は、心臓を突くか、首を切れば死にますよ」

 そう言うと、慈告は顔を上げた。目を丸くしている。一方桜帝と詩乃は顔を見合わせ、慈告と異なる反応を示していた。

「銃で撃っても死にます。機械と異なり、修理もろくに出来ません。もとから欠陥だらけです」

 慈告は前に、自分を完璧ではないと言った。けれどそもそも、人間はみな等しく完璧ではない。当然の事実だ。そんなことをなぜ慈告が理由にしたか、きっとそれは、自分が狙われていることを死の理由にすると、桜帝や詩乃、羽望が心配するからだろう。

「欠陥の無い人間を、殺せない人間を私は見たことがありません。欠陥なき人間は、珍しいものとして回収処理がされるはずです」

 汎は、「私は完璧可愛いだから、百年後の博物館で銅像になってるかも」と言っていた。なぜ可愛いと博物館で銅像にされるのか聞けば、彼女曰く、珍しいものは銅像になったり、貴重な品として博物館に収蔵されるらしい。

 欠陥なき人間。殺せぬ人間。

 それは組織が求めるものだ。殺せぬ人間ならば、刺客として有用なのだから。実際、機械人間の研究を組織はしていた様子だった。

「今、国は大規模な人間の回収を行っていません。つまり、今ここにいる人間は必ず何かしらの欠陥を抱えているということです。集める必要ない、展示や保存が不要な人々であふれているということです」

 戦うとき最も大切なことは、生への執着を断ち切り、勝利へ手を伸ばすことだ。組織に入っているわけでもないのに、それが出来ているということは、強さへの伸びしろも感じる。

 死ぬべきではないと繰り返すと、慈告ははらりと涙を流した。

「ごめんなさい、わたしは、本当は死にたくない。でも、死にたいんだ。皆に忘れられたいのに、気付いていてほしいって、思ってしまう。助けてと、思ってしまう」

 慈告の死にたくない気持ちは分かった。けれど、忘れられたいのに気づいてという気持ちは、理解できない。

「すみません。その意味はよく分かりませ──」
「おい」

 詩乃に制され、私は言葉を止めた。慈告は「生きてて、平気?」と、また同じ質問を投げかけてきた。

「はい」
「そっか。そっか……桜帝様、羽望、詩乃、そして、姫様、ありがとうございます」

 今度は、慈告はうつむくことなく私たちを見た。その表情はどこかすっきりとしていて、先ほどの躊躇いは見えなかった。


 私たちが出かけている間に、慈告と羽望は、料理や飾り付けをしていたらしい。

 玄関で立ち往生をしたあと、私達は慈告と羽望によって広間に通された。食卓には天ぷら、いなり寿司、刺し身に具沢山の煮しめ、海産物を焼いて豪快に盛り付けたものなど、およそ祝いとしか思えない品々がのっていた。

「僕たちが! 姫様の歓迎のために作ったんです!! ぜひ食べてください! お祝い! お祝い!」

 羽望が私を押して座らせる。ひし形で作られた、ご飯を型抜きしたであろうお寿司には、「ようこそ」と切り抜いたのりで飾られていた。

「彩都じゃどうか知らんけど、桜國ではなぁ、こんなふうに祝うんよ。もうお花ちゃん桜國の一員やから、彩都には帰られへんし、仲ようやろうなぁ」

 私の隣に座った桜帝は、食卓にあった小皿を取り、少しずつ食べ物をよそっていって渡してくる。

 赤々とした海老に羽衣を纏わせたような天ぷらに、ふっくらとした焼きほたてに、あわび、小さなグラスに入った茶碗蒸しには、しいたけや銀杏がうっすらと浮かんでいた。

「松風焼きもあるで。良かったなぁ」
「ああ、それ私が作って」
「慈告が……」

 組織にでも入っていない限り、子供が料理をすることは少ないと聞く。十二歳の慈告はてっきり羽望の補助をしていたとばかり思っていた。

「慈告は幼いのに立派ですね」
「そんなことないですよ」

 声をかけると、慈告は首を横に振った。松風焼きは、鳥のひき肉を葱やしいたけなど、野菜や茸の類と練り上げる、手間のかかる料理だ。

 それに、今食卓に並んでいるのは、色のついた胡麻で柄までつけられている。それに、箸休めであろう漬物ですら、串に刺さって飾られていた。普通、こんな料理はただの人間の出入り程度では作られるものではない。

「立派なことです」

 いなり寿司の上には、いくらや錦糸卵、野菜の切り細工で飾られている。そこまでの手間をかけられるべき存在ではない。本来の私には、不必要なものだ。今日桜帝が私に買った綺羅びやかな反物も、身体を清める品物の数々も、人を倒すことには使わないのだから。

 ただ不思議と、私が生きていく上で、これらのものが不要だと伝えることは憚られる気がした。享受すべきではない、無駄になってしまうというのに、受け入れようと感じている。それが脳からの思考なのか、判断が出来ない。

「ありがとう、ございます」

 声に出してから、自分の言葉が自信なく震えていることに気づいた。人を倒す時、どうすればいいかわかる。だいたい相手がどんな手を繰り出してくるのか、感覚的に見える。一撃を繰り出すときに、躊躇いもない。けれど、桜國で紡ぐ言葉は、難しい。私はいつだって迷ってばかりだ。ままならない。御門の跡取りが言ったことは、こういうことなのかもしれない。

「これから、よろしくお願い申し上げます」

 桜帝、詩乃、羽望、慈告の顔を順番に見る。すると彼らは、それぞれ異なった調子で、「よろしく」と返事をしたのだった。