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 その日の夜、夕食を終えて自室に戻ろうとすると、玄関のチャイムが鳴った。この時間帯に誰かが訪れるのは珍しい。
 キッチンで片付けをしている母さんの代わりに出ると、そこには凛花の姿があった。帰宅したばかりなのか、制服姿のまま回覧板を抱えている。

「こんばんは、溝口くん。回覧板持ってきたよ」
「ウチの前に何軒か持っていくところがあるだろ?」
「私の家より先に見てたみたい。はい、どうぞ」
「ありがとう。……まだ回覧板なんてあったんだ」
「私、いつも受け取って隣の家に持ってく係だったから、久しぶりで楽しいよ」
「そりゃよかったな」
「あら、もしかして凛花ちゃん?」

 玄関の様子が気になったのか、リビングから母さんが顔を覗かせた。凛花に会うのは事故に遭った日以来だった。

「おばさん、こんばんは!」
「こんばんは。元気? 体調はもういいの?」
「もうすっかり元気ですよ。ご心配おかけしました」
「いいのよ。……凛花ちゃん」
「はい?」
「覚えてなくても、また小太郎と話してくれてありがとうね」

 母さんは、凛花のおじさんから、おばさんが俺を疫病神扱いし、学校にも近付かせないように説得していたことを聞いていた。凛花が退院して数日後、おじさんだけが謝罪しに来たが「自分の子供が事故に遭って焦らない親はいない」と伝えたらしい。

 ただ唯一気がかりだったのは、退院後の凛花が記憶喪失になったことだった。幼い頃と変わらず凛花が俺に話しかけていることを知って、今度会ったら礼を言わねばと、つい最近張り切っていた。

 唐突な感謝の言葉を投げられた凛花は、意を決したように姿勢を正し、母さんに向かって言う。

「おばさん、お願いがあります」
「お願い?」
「溝口くん――ううん、小太郎くんの夏休みを、私にください!」