「あ――」

 がくん、と傾いて滑り落ちていく。スローモーションに見えたそれは、一瞬凛花が消えてしまったかのように見えた。

「――っ!」

 咄嗟に彼女の腕を掴むと同時に、勢いよく自分の方へ引っ張る。凛花はそのまま胸に飛びこむと、間一髪で踏み止まった。

 突然のこと驚いた凛花は気が抜けたのか、二人そろってずるずると段差に座り込んだ。どこも怪我をしていないと思う。そっと身体を離すと、頬を赤くした凛花が口をパクパクと動かして何か言おうとしている。

「び……っくりしたぁ……あ、ごめんね? 溝口くん大丈夫?」

 へらっと笑うその顔が、途端にあの光景と重なった。

「――っバカか、自分の心配しろ!」
「で、でもなんともないよ」
「何ともなかったからいいとか、そういうのじゃ……マジでもう……ああ、クソッ!」

 たった階段一段分――それだけで肝が冷えた。心臓を握り潰された気がした。
 彼女がまたいなくなるんじゃないかと考えてしまうほど生きた心地がしない。凛花が危なっかしいのは今に始まったことじゃなかった。昔も今も、そして記憶を失っていてもきっと変わらない。――誰よりもわかっていたはずなのに!

 頭をかきむしりながら大きく溜息をつくと、キョトンとした顔で座り込んでいる凛花になんだか腹が立つ。彼女の額を軽く指で弾いた。

「あたっ……え、なんで?」
「なんで、じゃない。言っただろ、前を向かないと転ぶって」

 一瞬でも目の前から消えたあの光景は、俺にとってトラウマでしかない。今回は間に合ったけど、あの時は手を伸ばす事すらできなかった。誰かが目の前で消える光景なんて見たくない。
 あんな思いはもう二度としたくないと、凛花が病室で眠っているときから決めていたはずなのに。

 どうして額を弾かれたのか、未だにわかっていない様子の彼女は、俺の顔を覗き込むようにして見る。忘れているからこそ、過敏に反応してしまう自分に苛立ちを覚えた。

「……な」
「え?」
「俺の前から消えるなよ。……頼むからさ」

 どんどんか細くなる声が聞き取れたかはわからない。弾かれた額を擦りながら、凛花は小さくごめん、と呟いた。