1.冥府の王の力
ぐははは!
魔王城の豪奢な謁見室、壇上の椅子で魔王が笑った。
豪奢なステンドグラスの窓に囲まれ、純金をふんだんに使ったインテリアの数々、そこには一つの世界の頂点にふさわしい壮麗な雰囲気が漂っていた。
「小僧! どうやってここまで来たか分からんが、身の程知らずめ!」
魔王は楽しそうに叫んだ。
「魔王様には申し訳ないんですが、死んでもらいます」
ジーンズを履いて白いカッターシャツに身を包んだ涼真は魔王のただごとではない殺気をまともに受けながらも淡々と返す。
「俺を殺す? ふはははっ! 今までそう言って多くの勇者たちがやってきたが皆、我のひとひねりで死んでいった。小僧、お前、何の装備もなく、どうやって我を倒すつもりか? 我をなめ過ぎだろ」
ふははは! ガハハハ!
周りを囲む、厳つい装備を纏ったリザードマンやタキシードを着こんだ魔人たちも涼真をあざけり笑う。
「よいしょっと!」
涼真は金属球を真っ二つに割った半球を一片ずつ出し、切り口を上にして床にゴトッと置いた。
「何をするつもりだ? 小僧」
怪訝そうな魔王。
「これはデーモン・コア。プルトニウム239の塊ですよ」
「デーモン……、コア……?」
「彩夏ちょっと押さえてて」
「はいよ!」
涼真は、隣でニコニコしている黒髪の美しい女子高生の妹に、デーモン・コアの一つを押さえさせた。
「これはただの金属なんですが、五キログラムより大きな塊になった瞬間、超臨界に達して核分裂反応を爆発的に起こすんです。やってみましょう」
涼真はそう言うともう一つのデーモン・コアを彩夏が押さえている半球にかぶせ、金属球とする。と、同時に、二人は十キロくらい遠くの山の山頂へとワープした。
シュワワワ!
直後、天と地は激烈な閃光に覆われ、魔王城は一瞬にして蒸発した。周囲の山々の木々は一斉に燃え上がり、川は蒸発し、歩いていた魔物は体液が沸騰して次々と爆発していく。まさに地獄絵図だった。
「きゃぁ!」
十キロ離れていてもその熱線と閃光はすさまじく、彩夏は思わず顔を覆う。
プルトニウムの金属球は二十キロトンの核爆弾となり、熾烈なエネルギーの塊と化したのだ。
白い繭のような衝撃波が爆心地を中心に音速で広がり、周囲の建物はすべて吹き飛ばされ瓦礫の荒野が広がって行く。
衝撃波の中から巨大な灼熱のキノコ雲が立ち上がる。その禍々しい姿を涼真は渋い顔をしながら見ていた。
彩夏は熱線から顔をそむけながらそっとスマホの画面を確認する。そして、
「お兄ちゃん、成功よ! 魔王の魔力は消失したわよ」
と、うれしそうに涼真の腕にしがみついた。
ふんわりと立ち上るまだ甘酸っぱいフレッシュな香りに、涼真は少し顔を赤くしながら、
「さ、さすがにあれ喰らって平気な生き物はいないよ」
と、必死に平静を装いながら答えた。
「じゃあ、王様の所へ報告に行きましょ!」
彩夏はまぶしい笑顔で涼真をのぞき込み、上目づかいで言う。
「そ、そうだね。じゃあワープするからしっかりとつかまってて」
「ふふーん、しっかりってこれくらい?」
彩夏はいたずらっ子の顔をして、まだ発育途中の柔らかな胸を涼真の二の腕にグッと押し付けた。
「いや、ちょっと、そんなにしがみつかなくていいよ」
「いいから早く行って……」
彩夏は目を閉じて涼真の腕に頬よせて言った。
「じゃ、じゃあ行くよ……」
二人は王都の王宮前へとワープした。
◇
しばらく控室で待たされた後、謁見の間に通される二人。
部屋に入ると、壇上の豪奢な椅子に王様が座り、側近たちが周りに控えていた。魔王城に負けず劣らず立派なインテリアで、壮麗なシャンデリアや天井画には並々ならぬ風格を感じさせられる。
二人がひざまずくと、王様は自慢のヒゲを触りながら涼真に聞く。
「魔王を倒したというのはお主か?」
「はい、先ほど倒してまいりました」
「そうか、そうか、では討伐部位を見せなさい」
「と、討伐部位?」
涼真は想定外の話に驚く。そんな物が必要だったとは。
「魔王を倒したなら魔王の角とかいろいろあるじゃろ?」
涼真は彩夏と顔を見合わせて困惑する。
「あのぉ……。魔王は蒸発させちゃったので何も残ってないんです」
「蒸発? なぜ蒸発なんかするんじゃ?」
すると彩夏が
「こうやって蒸発したんです!」
と、ニコニコしながら空中に記録映像をバッと展開する。そこには漆黒の尖塔が美しい中世ヨーロッパ風の城、魔王城がうっそうと茂る森の小高い丘の上にたたずんでいた。
「おぉ、これが魔王城じゃな。実に禍々しい。この中で魔王を蒸発させたということかの?」
直後、核爆発で映像は激しい閃光を放つ。
「うわぁぁ!」「ひぃ!」「きゃぁ!」
見ていた王様たちはあまりのまぶしさに思わず叫んでしまう。
そして、広がる衝撃波に立ち昇る巨大なキノコ雲。最後には瓦礫の散らばる焼け野原だけが映し出された。
シーンと静まり返る謁見の間。
いまだかつて見たことのない想定外の映像にみんな言葉を失い、ポカンと口を開けたままその煙の立ち昇る瓦礫だらけの丘を見つめていた。
「こんな感じなんで、討伐部位は残念ながら……」
涼真はおずおずと王様に言う。
王様は真ん丸に目を見開いたまま涼真を見て、震えながら言葉を失っている。
「魔王を倒したことに……なりますよね?」
「こ、これは、本当にお主がやったのか?」
「はい。プルトニウムという金属を使ってですね……」
「プルート……冥府の王の力か……。お主どう思う?」
王様はそうつぶやくと側近の方を向いた。
すると、側近は何やら魔道具を取り出して、
「確かに先ほどまでは魔王の気配は途絶えていたのですが、今見ると復活しています。倒しきれていないのかと……」
涼真は驚く。確実に蒸発させたはずなのに復活するとは予想外だった。魔王とは何者なのだろうか?
「テロリストじゃないかしら?」
彩夏はそう言って、表示させている映像をLIVE映像に変えた。
すると、瓦礫の中に動く人影が写っている。拡大してみると、それは骸骨の化け物だった。
「えっ!? これが魔王?」
確かによく見ると、頭がい骨の横からは禍々しい黒い角が羊のように渦を巻いて、鋭く光っていた。これはさっき見た魔王に生えていたものと同じに見える。
やがて魔王は空中に跳びあがるとすごい速さで飛び始めた。
「涼ちゃん、こっちに来るつもりみたいよ」
彩夏は眉をひそめ、不安そうに言う。
「く、来るって、ここに?」
「そうみたい。シアン様に連絡するね」
そう言うと彩夏はスマホを取り出してどこかに電話をかけた。
魔王城からここ、王都までは約五〇〇キロ。あの速度で飛んだら三〇分足らずで来てしまう。
「き、君たち、困るじゃないか!」
王様は真っ青になって吠える。
「だ、大丈夫です。迎撃してきます!」
涼真はそう言うと彩夏をつかんでワープした。
2.神の雫
元々涼真は東京に住む大学生。異世界で戦闘なんてしているのはおかしな話だった。
時は数カ月前にさかのぼる――――。
涼真はコンビニのバイトを終え、深夜トボトボと家路についていた。だが、まともに食べていなかったせいで貧血気味になり、近くの公園のベンチまでヨロヨロと歩くとドサッと腰を下ろした。昼間は会計事務所で事務のバイトをして、その後にコンビニバイトというダブルワークで心身ともに疲れ切っていたのだ。
涼真がこんなに働いているのには訳があった。妹の彩夏が悪性リンパ腫というガンに侵され、命すら危ない状況にまで追い込まれていたからだ。涼真にとって彩夏は大切な可愛い可愛い妹、絶対に失う訳にはいかない。しかし、日に日に弱って行く妹にできる治療は限られていた。そして、少しでも生存率の高い免疫療法を選んだが、自己負担分も高額で涼真は大学を休学して全てをバイトに捧げていたのだ。
「明日も朝から会計事務所……。ふぅ……。でも彩夏はもっと辛い目に遭ってるんだ。泣き言なんて言ってちゃダメだよな」
涼真はうなだれながらつぶやく。
カッカッカッ。
高らかに響くヒールの音が近づいてきた。
「ん?」
涼真はうつろな目で顔を上げる。
「大丈夫? これを食べて……」
美しい女性がニコッと笑いながらチョコレートを一粒差し出した。街灯がピアスをキラキラとまたたかせ、パッチリとした琥珀色の瞳が優しく涼真を見つめている。涼真はその魅力的な瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、息をのんだ。
「遠慮しなくていいわ、どうぞ」
チェストナットブラウンの髪を揺らし、微笑みながら、女性は涼真の手にチョコを一粒握らせた。
「あ、ありがとうございます……」
空腹でふらついていた涼真には嬉しいプレゼントだった。
涼真はアルミの包みを開いてパクッと口に放り込む。すると、ブランデーの芳醇な香りが口いっぱいに広がり、まるで天にも昇るような気持ちになった。
うわぁ……。
恍惚とした表情で思わず声を漏らす涼真。直後、全身がブワッと青白く光り輝き、同時に身体の奥からとめどないエネルギーが湧き出してきて、疲れもすべて吹き飛び、やる気がみなぎってくる。
そして、見るとさっきコンビニでケガして血がにじんでいた指先の傷も、綺麗にふさがっている。
「こ、これは……?」
あまりのことに驚く涼真。
「このチョコにはね、神の雫から作ったブランデーが入ってるのよ。どんな人でも癒してくれるわ」
女性はうれしそうに言った。
「ど、どんな人でも!? ガン患者にも効くんですか?」
「そりゃ、もちろん。どんな人でも効くわ。ガンだって治っちゃうわよ」
涼真は驚いた。そんな現代医学をも凌駕する食べ物があったなんて聞いたこともなかったのだ。しかし、瞬時に治った傷、自分を包んでいるこの圧倒的なエネルギーはその言葉を信じるには十分だった。
「すみません! もう一粒もらえますか? 食べさせたい人がいるんです!」
涼真は女性の手を取り、必死に頼み込む。
「うーん、そう簡単にはあげられないのよね……」
女性は涼真の気迫に気おされながら渋い顔をする。
「何でもやります! 妹ががんの末期で苦しんでるんです! 何でも……するから……お願いします!」
涼真は頭を下げ、ポロポロと涙をこぼしながら絞り出すように言った。
「何でも?」
「何でもです!」
女性はしばらく宙を見つめて何かを考え、そして、
「じゃあ、魔王倒してくれる?」
と言ってニヤッと笑った。
「は? ま、魔王……。あの、ファンタジーに出てくる……魔王ですか?」
涼真は何を言われたのか分からず、聞き返す。
すると、青い髪の女の子が駆け寄ってきて不機嫌そうに言う。
「美奈さん、ダメよ! あの星は廃棄にするって言ってたじゃない!」
「それは人手が足りなかっただけで、彼がやってくれるならいいんじゃない?」
美奈と呼ばれた女性は涼真の肩をポンポン叩きながら答える。
「新人一人に任せられるような話じゃないよ。誰が面倒見るの?」
「もちろんあなたよ。リソース少し余ってるでしょ?」
「やっぱり……。もぅ……」
青い髪の女の子は膨れる。
涼真は頭を下げて頼み込む。
「すみません、どうしてもこのチョコがいるんです。魔王でも何でも倒します」
女の子はジト目で涼真を眺め、そして、
「めんどくさいなぁ、もぅ……」
と、腕を組んでため息をついた。
「じゃあ契約成立! えーと、城立病院四〇一号室ね。いってらっしゃーい」
美奈はチョコを一粒握らせると、涼真を妹のベッドサイドにワープさせた。
3.肉、肉食べたい
へっ!?
あまりの出来事に唖然とする涼真。
近所の公園にいたはずなのに、目の前にはたくさんのチューブに繋がれた彩夏が苦しそうに横たわっている。
なぜそんなことが可能なのだろうか? 涼真は一瞬夢ではないかと疑ったが、目の前の彩夏はどこまでもリアルに残酷で、辛い現実そのものだった。
涼真は静かに彩夏に近づき、病魔に巣食われてしまった大切な妹をそっと見つめた。
先週見た時より明らかに痩せこけた頬、抗がん剤の副作用ですっかり抜けて禿げてしまった頭。去年まで一緒に海水浴に行ったり元気に飛び跳ねていた健康美少女は、まるで死神に囚われてしまったかのようにすっかり生気を失ってしまっている。
涼真は空間を跳ばされたことよりも、目の前の背筋のゾクッとする現実に思わず青ざめた。
小さいころは『涼ちゃん、涼ちゃん』と、自分の後ろをチョコチョコと追いかけてきた笑顔の可愛い大切な妹、その変わり果てた姿に息が止まりそうになる。
しかし今は『神の雫』がある。涼真は大きく息をつくと、点滴チューブのついた彩夏の手をそっと握った。
「あ、涼ちゃん……」
彩夏は薄目を開けながらしゃがれた声でつぶやいた。
「彩夏、神の薬を持ってきたぞ。これで治る」
涼真は自然と湧き上がってくる涙をそっと拭くと、チョコの包みをむいてそっと彩夏の口元へ持っていった。
「涼ちゃん、私、口内炎だらけで……そんなの、食べられないわ」
彩夏は苦しそうに、途切れ途切れの小さな声を出す。
「ごめんな。でも、これ一つだけ含んでくれ。本当に治るから」
「……。絶対?」
「絶対」
涼真はギュッと彩夏の手を握り、まっすぐに彩夏を見つめる。
彩夏はゆっくりと息をつき、涼真の手をギュッと握りかえすとパクッとチョコを口にした。
すぐにとろけて噴き出すブランデー。彩夏は想定外の芳醇な甘露に思わず目を真ん丸に見開く。
直後、全身がブワッとピンクに光り輝いた。
「へっ!? なにこれ!?」
彩夏は身体にエネルギーが満ち溢れて行くのを感じ、ガバっと身体を起こす。すると、みるみる艶やかな黒髪が生えてきて肩くらいの長さにまで伸びていく。痩せこけて青白かった肌も紅潮し、つやつやに張りを取り戻す。
「彩夏ぁ!」
涼真は涙をポロポロ流しながら彩夏に抱き着いた。
「涼ちゃーん!」
彩夏も涙を流しながら涼真を抱きしめ、絶望に塗りつくされた闘病生活に訪れた突然の奇跡に打ち震える。そして何度も何度も涼真をきつく抱きしめ、闘病の中で心に溜まった澱を吐き出すかのように歓喜の嗚咽で身体をゆらした。
二人の嗚咽は静かな夜の病室にいつまでも響いた。
◇
落ち着くと、涼真は彩夏の泣きはらした顔をタオルで拭い、もう一度優しくハグをする。
そして、看護師を呼んで状況を説明すると、看護師は唖然としてしばらく言葉を失っていた。
本当はすぐにでも退院させたかったが、医者の許可がないと退院できないとの事で、翌日を待つことにする。
涼真が清々しい顔で病室を出ると、美奈たちが長椅子に座って雑談してるのを見つけた。
「ありがとうございます!」
涼真は駆け寄って美奈の手を握る。
「ふふっ、良かったじゃない。ただ、あれだけじゃガンは完治しないわよ」
美奈は淡々と告げる。
「えっ!? まだ……治ってないんですか?」
顔を曇らせる涼真。
「ガン細胞はね、一つでも残ってたらまた増殖し始めちゃうのよ」
「じゃ、どうしたら……」
「魔王倒したら完治させてあげるわ」
美奈はニヤッと笑う。
「わかりました。魔王退治でも何でも死に物狂いでやります!」
涼真はこぶしをギュッと握り、力強い目で美奈を見据えた。
「じゃ、任せたわよ。後はこの娘、シアンの言う事聞いてね」
美奈はそう言って青い髪の若い女の子を引き寄せた。
「まずは研修からだね。明日、うちのオフィスに来て」
シアンはニコッと笑うとデニムのオーバーオールの胸ポケットから名刺を出し、涼真に渡す。
そこには田町の住所が書かれてあった。
◇
翌日、無事退院となり、涼真は大きなリュックに入院荷物を詰め、彩夏と駅へと向かう。
「うわぁいい天気!」
彩夏は青空に大きく両手を伸ばし、うれしそうにクルリクルリと回った。
この三カ月はチューブに繋がれて病室で寝たきりだったのだ。その解放感には格別なものがあるだろう。優雅な軌跡を描きながら舞う黒髪、輝く笑顔に涼真は目を細めながら、美奈の授けてくれた奇跡に心から感謝をした。
「お腹すいてない?」
涼真が聞くと、
「空いたー! 肉、肉食べたいなぁ」
と言いながら上目づかいで答える。
「に、肉? 肉かぁ……」
やや戸惑いながら辺りを見回すと、駅の方に焼肉屋の看板が見える。
「じゃぁ、あそこにするか?」
「うん!」
彩夏はキラキラとした笑顔で答えた。
4.兄の取扱説明書
ランチの焼肉定食を頼むと、カルビやロースの入った皿がドンと置かれ、ロースターに火が入った。
「昼から肉を焼くとは思わなかったよ」
涼真はトングで肉を並べて行く。
「ふふっ、だってずっと病院食だったのよ? 病院出たらまず、お肉って決めてたの」
彩夏はナムルをつまみながら言う。
「まぁ、好きなもの食べてよ。お肉もおかわりしていいよ」
「ありがと。……。ねぇ? 私たち周りからどう見えてるかな?」
彩夏が好奇心いっぱいの顔で嬉しそうに言う。
「ど、どうって?」
彩夏は涼真に近づくと、小さな声で言った。
「二人で焼肉を食べるのは、エッチしたことのあるカップルって決まってるらしいわ」
「な、な、な、何言ってんだよ!?」
涼真は思わず真っ赤になって答える。
「涼ちゃんは女の子と二人で焼肉食べたことある?」
「……。焼肉どころかお茶も……ないな……」
涼真は渋い顔をしながら、焼けた肉を彩夏の皿へと乗せて行く。
「えー、涼ちゃん女の子に興味ないの?」
「あるけど、縁がないの! そんな事いいから早く食べて!」
涼真は眉を寄せながらトングでカンカンと金網を叩いた。
「はーい! ……。あ、柔らかぁい。涼ちゃん焼くの上手いわ。いいお婿さんになれるわ」
恍惚とした表情で溢れる肉汁の芳醇な旨味を堪能する彩夏。
「そもそも一日中バイトで出会いなんかなかったんだからな」
涼真はムッとしながら自分もカルビを口に運んだ。
「……。そう……だよね。ごめんなさい」
ハッとしてしおれる彩夏。
「あ、いや、いいんだ。彩夏が元気になる事の方が彼女よりもずっとずっと大切なことだから」
慌ててフォローするが彩夏はうつむいて動かなくなった。
「ほら、次も焼けたよ、どんどん食べて」
涼真は皿にお肉を盛る。
「……。兄妹じゃ……、なかったら……」
「え?」
「兄妹じゃなかったら、私が彼女になってあげたのにね」
彩夏はそう言うと肉をガツガツと食べた。
「いや、まぁ、ありがたいけど、俺たち兄妹だしね」
涼真は冷や汗を浮かべながら肉を乗せた白米をかき込んだ。
「彼女……、できたら教えてね。涼ちゃんの取扱説明書を渡すから」
「取説? 何だよ、俺は家電かよ!」
「靴下はリビングの隅で丸めて脱いだままになってるから、寝る前に片付けさせること」
彩夏はニヤリと笑いながら言った。
「ゴ、ゴメンよ。そんな事伝えなくていいよ」
渋い顔しながら答える涼真。
「コーヒーはあのメーカーのビタータイプ。卵は半熟のスクランブルエッグにマヨネーズ。朝起こす時はそっと背中にくっついて、最近ハマってる曲を耳元で歌うこと……」
彩夏は宙を見上げながらうれしそうに指折り数えて言う。
「分かった、分かったから、肉食べて」
「ふふっ、ちゃんと教えてね」
目を細めて彩夏は言った。
◇
満腹になり、駅へと向かう二人。
「ふぅ、食った食った! これから彩夏を治してくれた人の所へ行くから、先に帰ってて」
そう言って涼真が立ち去ろうとすると、
「え? 行って何するの?」
と、彩夏が腕をつかんで引きとめる。
涼真はどう説明したらいいのか悩んだ。『魔王を倒す』なんてどう説明したらいいか、うまい言葉が思い浮かばなかったのだ。
「うーん、何だか俺にやって欲しいことがあるんだって」
すると、彩夏はじっと涼真を見つめる。
「……。まさか……、危険な……こと?」
「危険かどうかは……、まだ分からない。その話を聞きに行くんだ」
涼真は目をそらしながら答えた。
その様子に何かを感じた彩夏は、
「だったら私も行く!」
と言って涼真にずいっと迫る。
「いやいや、彩夏が行くって話になってないから……」
「何言ってるの? 私の病気のために行くんだから私が行かなきゃ!」
彩夏は必死なまなざしで涼真を見つめる。
涼真は目をつぶってしばらく考え、大きく息をつくと言った。
「わかった……。一緒に行こう」
5.出生の秘密
名刺の住所にやってくると、そこは瀟洒な高級マンションだった。恐る恐るオートロックを開けてもらい、最上階に行くと、シアンがドタドタと走って来てドアを開けてくれた。
「いらっしゃーい! あれ? 妹さんも一緒?」
「は、初めまして。治してくれてありがとうございます」
彩夏は可愛い女の子が出てきたことに驚きながら、急いで頭を下げた。
「まぁ、入って」
二人は奥に通される。
そこはメゾネットタイプの開放感のあるリビングが広がっており、大きな窓からは気持ちのいい陽の光が差し込んでいる。広々としたフロアにはオシャレなオフィス家具が並び、何人かがパソコンをにらみながら仕事をしていた。
ガンをも治す不思議な力を持つ人たちのオフィス、それはもっとファンタジーな宗教っぽい拠点かと思っていたが、外資系コンサルのような洗練された空間だった。
「ここ座って」
シアンはそう言って、会議テーブルの椅子を引く。
緊張しながら恐る恐る椅子に座る二人。
「それで、魔王というのは……?」
涼真は単刀直入に聞いた。
「あせらない、まずはコーヒーでも飲んで」
シアンはコーヒーを入れて二人の前に置く。
「ありがとうございます」
涼真はクレマの浮いた本格的なコーヒーをすすり、気持ちを落ち着ける。
「ここは全宇宙約百万個の星を統括してるオフィス。で、その星のうちの一つがテロリストの手に堕ちてね、魔王が好き勝手やって困ってるんだ」
肩をすくめ、首を振るシアン。
いきなり全宇宙スケールの話をされ、困惑する二人。
「で、君には魔王を倒してもらおうかなって」
「いやいやいや、ただの学生に魔王なんて倒せるわけないじゃないですか!」
手を振りながら拒否する涼真。
「でも、彩夏ちゃんの病気を完治したいって言ってたよね?」
ニコッと笑うシアン。
「えっ!? ちょっと待ってください。私まだ治ってないんですか?」
焦る彩夏。
「腫瘍は消えたけど、ガン細胞は残ってるかもしれないからね。再発しないような治療は要るよ?」
「そのために魔王を倒せってこと……ですか?」
「そうだね。僕らが倒してもテロリストは潜伏したまま出てこないんだ。別の人にやってもらわないといけなくて困ってるんだよ」
「それは……、囮ってことじゃないですか?」
「まぁ、そうとも言うね」
悪びれずあっけらかんというシアン。
「なら、私がやります!」
彩夏はバッと立ち上がって言った。
しかし、シアンは彩夏をじっと見て、首を振る。
「残念だけど、涼真の方が適任なんだ。涼真は勇者の血筋だからね」
いきなり『勇者』と言われ、唖然とする二人。
「ちょ、ちょっと待ってください。何ですか……その……『勇者』って」
彩夏は首をかしげながら聞く。
「涼真のご先祖は紀州の海であやかしを狩ってた特殊技能者なんだよ。だから涼真は魔王を倒すのに向いてるんだ」
「私と涼ちゃんは兄妹です! 私にもその勇者の血が流れてるじゃないですか!」
彩夏は憤然と言った。
「え? 君たち血は繋がってないよ」
シアンはさも当たり前かのように言う。
「へっ!?」
驚き固まる彩夏。
「そ、そんなこと無いわ! 私も涼ちゃんもママと三人でずっと暮らしてきたんだから。ねぇ、涼ちゃん!」
彩夏は涼真を見た。
しかし、涼真は渋い顔をしながら固まっている。
「ど、どうしたの? 涼ちゃん」
涼真は大きく息をつくと言った。
「俺には赤ちゃん時代の彩夏の記憶がないんだよね……」
「えっ!? どういうこと?」
「一番昔の彩夏の記憶は、なぜか歩いてる彩夏なんだ」
愕然とする彩夏。それはつまり、涼真と母親の二人の暮らしに後から彩夏が加わったという事、血のつながりはないということなのだ。
「勇者の特性として、なぜかいざという時に幸運を引くんだよね。だから危険な挑戦をするときは勇者の属性持ちにお願いするんだよ」
シアンは空気を読まず、淡々と説明する。
彩夏は力なく椅子に座ると、うなだれる。いきなり明かされた衝撃的な出生の秘密。涼真はどうフォローしていいかもわからず、そっと彩夏の手を握った。
しばらく目をつぶって動かなかった彩夏だったが、
「後でママとお話しするわ。涼ちゃんも一緒に……ね?」
そう言って沈んだ表情で涼真を見る。
涼真はゆっくりとうなずいた。
ぐははは!
魔王城の豪奢な謁見室、壇上の椅子で魔王が笑った。
豪奢なステンドグラスの窓に囲まれ、純金をふんだんに使ったインテリアの数々、そこには一つの世界の頂点にふさわしい壮麗な雰囲気が漂っていた。
「小僧! どうやってここまで来たか分からんが、身の程知らずめ!」
魔王は楽しそうに叫んだ。
「魔王様には申し訳ないんですが、死んでもらいます」
ジーンズを履いて白いカッターシャツに身を包んだ涼真は魔王のただごとではない殺気をまともに受けながらも淡々と返す。
「俺を殺す? ふはははっ! 今までそう言って多くの勇者たちがやってきたが皆、我のひとひねりで死んでいった。小僧、お前、何の装備もなく、どうやって我を倒すつもりか? 我をなめ過ぎだろ」
ふははは! ガハハハ!
周りを囲む、厳つい装備を纏ったリザードマンやタキシードを着こんだ魔人たちも涼真をあざけり笑う。
「よいしょっと!」
涼真は金属球を真っ二つに割った半球を一片ずつ出し、切り口を上にして床にゴトッと置いた。
「何をするつもりだ? 小僧」
怪訝そうな魔王。
「これはデーモン・コア。プルトニウム239の塊ですよ」
「デーモン……、コア……?」
「彩夏ちょっと押さえてて」
「はいよ!」
涼真は、隣でニコニコしている黒髪の美しい女子高生の妹に、デーモン・コアの一つを押さえさせた。
「これはただの金属なんですが、五キログラムより大きな塊になった瞬間、超臨界に達して核分裂反応を爆発的に起こすんです。やってみましょう」
涼真はそう言うともう一つのデーモン・コアを彩夏が押さえている半球にかぶせ、金属球とする。と、同時に、二人は十キロくらい遠くの山の山頂へとワープした。
シュワワワ!
直後、天と地は激烈な閃光に覆われ、魔王城は一瞬にして蒸発した。周囲の山々の木々は一斉に燃え上がり、川は蒸発し、歩いていた魔物は体液が沸騰して次々と爆発していく。まさに地獄絵図だった。
「きゃぁ!」
十キロ離れていてもその熱線と閃光はすさまじく、彩夏は思わず顔を覆う。
プルトニウムの金属球は二十キロトンの核爆弾となり、熾烈なエネルギーの塊と化したのだ。
白い繭のような衝撃波が爆心地を中心に音速で広がり、周囲の建物はすべて吹き飛ばされ瓦礫の荒野が広がって行く。
衝撃波の中から巨大な灼熱のキノコ雲が立ち上がる。その禍々しい姿を涼真は渋い顔をしながら見ていた。
彩夏は熱線から顔をそむけながらそっとスマホの画面を確認する。そして、
「お兄ちゃん、成功よ! 魔王の魔力は消失したわよ」
と、うれしそうに涼真の腕にしがみついた。
ふんわりと立ち上るまだ甘酸っぱいフレッシュな香りに、涼真は少し顔を赤くしながら、
「さ、さすがにあれ喰らって平気な生き物はいないよ」
と、必死に平静を装いながら答えた。
「じゃあ、王様の所へ報告に行きましょ!」
彩夏はまぶしい笑顔で涼真をのぞき込み、上目づかいで言う。
「そ、そうだね。じゃあワープするからしっかりとつかまってて」
「ふふーん、しっかりってこれくらい?」
彩夏はいたずらっ子の顔をして、まだ発育途中の柔らかな胸を涼真の二の腕にグッと押し付けた。
「いや、ちょっと、そんなにしがみつかなくていいよ」
「いいから早く行って……」
彩夏は目を閉じて涼真の腕に頬よせて言った。
「じゃ、じゃあ行くよ……」
二人は王都の王宮前へとワープした。
◇
しばらく控室で待たされた後、謁見の間に通される二人。
部屋に入ると、壇上の豪奢な椅子に王様が座り、側近たちが周りに控えていた。魔王城に負けず劣らず立派なインテリアで、壮麗なシャンデリアや天井画には並々ならぬ風格を感じさせられる。
二人がひざまずくと、王様は自慢のヒゲを触りながら涼真に聞く。
「魔王を倒したというのはお主か?」
「はい、先ほど倒してまいりました」
「そうか、そうか、では討伐部位を見せなさい」
「と、討伐部位?」
涼真は想定外の話に驚く。そんな物が必要だったとは。
「魔王を倒したなら魔王の角とかいろいろあるじゃろ?」
涼真は彩夏と顔を見合わせて困惑する。
「あのぉ……。魔王は蒸発させちゃったので何も残ってないんです」
「蒸発? なぜ蒸発なんかするんじゃ?」
すると彩夏が
「こうやって蒸発したんです!」
と、ニコニコしながら空中に記録映像をバッと展開する。そこには漆黒の尖塔が美しい中世ヨーロッパ風の城、魔王城がうっそうと茂る森の小高い丘の上にたたずんでいた。
「おぉ、これが魔王城じゃな。実に禍々しい。この中で魔王を蒸発させたということかの?」
直後、核爆発で映像は激しい閃光を放つ。
「うわぁぁ!」「ひぃ!」「きゃぁ!」
見ていた王様たちはあまりのまぶしさに思わず叫んでしまう。
そして、広がる衝撃波に立ち昇る巨大なキノコ雲。最後には瓦礫の散らばる焼け野原だけが映し出された。
シーンと静まり返る謁見の間。
いまだかつて見たことのない想定外の映像にみんな言葉を失い、ポカンと口を開けたままその煙の立ち昇る瓦礫だらけの丘を見つめていた。
「こんな感じなんで、討伐部位は残念ながら……」
涼真はおずおずと王様に言う。
王様は真ん丸に目を見開いたまま涼真を見て、震えながら言葉を失っている。
「魔王を倒したことに……なりますよね?」
「こ、これは、本当にお主がやったのか?」
「はい。プルトニウムという金属を使ってですね……」
「プルート……冥府の王の力か……。お主どう思う?」
王様はそうつぶやくと側近の方を向いた。
すると、側近は何やら魔道具を取り出して、
「確かに先ほどまでは魔王の気配は途絶えていたのですが、今見ると復活しています。倒しきれていないのかと……」
涼真は驚く。確実に蒸発させたはずなのに復活するとは予想外だった。魔王とは何者なのだろうか?
「テロリストじゃないかしら?」
彩夏はそう言って、表示させている映像をLIVE映像に変えた。
すると、瓦礫の中に動く人影が写っている。拡大してみると、それは骸骨の化け物だった。
「えっ!? これが魔王?」
確かによく見ると、頭がい骨の横からは禍々しい黒い角が羊のように渦を巻いて、鋭く光っていた。これはさっき見た魔王に生えていたものと同じに見える。
やがて魔王は空中に跳びあがるとすごい速さで飛び始めた。
「涼ちゃん、こっちに来るつもりみたいよ」
彩夏は眉をひそめ、不安そうに言う。
「く、来るって、ここに?」
「そうみたい。シアン様に連絡するね」
そう言うと彩夏はスマホを取り出してどこかに電話をかけた。
魔王城からここ、王都までは約五〇〇キロ。あの速度で飛んだら三〇分足らずで来てしまう。
「き、君たち、困るじゃないか!」
王様は真っ青になって吠える。
「だ、大丈夫です。迎撃してきます!」
涼真はそう言うと彩夏をつかんでワープした。
2.神の雫
元々涼真は東京に住む大学生。異世界で戦闘なんてしているのはおかしな話だった。
時は数カ月前にさかのぼる――――。
涼真はコンビニのバイトを終え、深夜トボトボと家路についていた。だが、まともに食べていなかったせいで貧血気味になり、近くの公園のベンチまでヨロヨロと歩くとドサッと腰を下ろした。昼間は会計事務所で事務のバイトをして、その後にコンビニバイトというダブルワークで心身ともに疲れ切っていたのだ。
涼真がこんなに働いているのには訳があった。妹の彩夏が悪性リンパ腫というガンに侵され、命すら危ない状況にまで追い込まれていたからだ。涼真にとって彩夏は大切な可愛い可愛い妹、絶対に失う訳にはいかない。しかし、日に日に弱って行く妹にできる治療は限られていた。そして、少しでも生存率の高い免疫療法を選んだが、自己負担分も高額で涼真は大学を休学して全てをバイトに捧げていたのだ。
「明日も朝から会計事務所……。ふぅ……。でも彩夏はもっと辛い目に遭ってるんだ。泣き言なんて言ってちゃダメだよな」
涼真はうなだれながらつぶやく。
カッカッカッ。
高らかに響くヒールの音が近づいてきた。
「ん?」
涼真はうつろな目で顔を上げる。
「大丈夫? これを食べて……」
美しい女性がニコッと笑いながらチョコレートを一粒差し出した。街灯がピアスをキラキラとまたたかせ、パッチリとした琥珀色の瞳が優しく涼真を見つめている。涼真はその魅力的な瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、息をのんだ。
「遠慮しなくていいわ、どうぞ」
チェストナットブラウンの髪を揺らし、微笑みながら、女性は涼真の手にチョコを一粒握らせた。
「あ、ありがとうございます……」
空腹でふらついていた涼真には嬉しいプレゼントだった。
涼真はアルミの包みを開いてパクッと口に放り込む。すると、ブランデーの芳醇な香りが口いっぱいに広がり、まるで天にも昇るような気持ちになった。
うわぁ……。
恍惚とした表情で思わず声を漏らす涼真。直後、全身がブワッと青白く光り輝き、同時に身体の奥からとめどないエネルギーが湧き出してきて、疲れもすべて吹き飛び、やる気がみなぎってくる。
そして、見るとさっきコンビニでケガして血がにじんでいた指先の傷も、綺麗にふさがっている。
「こ、これは……?」
あまりのことに驚く涼真。
「このチョコにはね、神の雫から作ったブランデーが入ってるのよ。どんな人でも癒してくれるわ」
女性はうれしそうに言った。
「ど、どんな人でも!? ガン患者にも効くんですか?」
「そりゃ、もちろん。どんな人でも効くわ。ガンだって治っちゃうわよ」
涼真は驚いた。そんな現代医学をも凌駕する食べ物があったなんて聞いたこともなかったのだ。しかし、瞬時に治った傷、自分を包んでいるこの圧倒的なエネルギーはその言葉を信じるには十分だった。
「すみません! もう一粒もらえますか? 食べさせたい人がいるんです!」
涼真は女性の手を取り、必死に頼み込む。
「うーん、そう簡単にはあげられないのよね……」
女性は涼真の気迫に気おされながら渋い顔をする。
「何でもやります! 妹ががんの末期で苦しんでるんです! 何でも……するから……お願いします!」
涼真は頭を下げ、ポロポロと涙をこぼしながら絞り出すように言った。
「何でも?」
「何でもです!」
女性はしばらく宙を見つめて何かを考え、そして、
「じゃあ、魔王倒してくれる?」
と言ってニヤッと笑った。
「は? ま、魔王……。あの、ファンタジーに出てくる……魔王ですか?」
涼真は何を言われたのか分からず、聞き返す。
すると、青い髪の女の子が駆け寄ってきて不機嫌そうに言う。
「美奈さん、ダメよ! あの星は廃棄にするって言ってたじゃない!」
「それは人手が足りなかっただけで、彼がやってくれるならいいんじゃない?」
美奈と呼ばれた女性は涼真の肩をポンポン叩きながら答える。
「新人一人に任せられるような話じゃないよ。誰が面倒見るの?」
「もちろんあなたよ。リソース少し余ってるでしょ?」
「やっぱり……。もぅ……」
青い髪の女の子は膨れる。
涼真は頭を下げて頼み込む。
「すみません、どうしてもこのチョコがいるんです。魔王でも何でも倒します」
女の子はジト目で涼真を眺め、そして、
「めんどくさいなぁ、もぅ……」
と、腕を組んでため息をついた。
「じゃあ契約成立! えーと、城立病院四〇一号室ね。いってらっしゃーい」
美奈はチョコを一粒握らせると、涼真を妹のベッドサイドにワープさせた。
3.肉、肉食べたい
へっ!?
あまりの出来事に唖然とする涼真。
近所の公園にいたはずなのに、目の前にはたくさんのチューブに繋がれた彩夏が苦しそうに横たわっている。
なぜそんなことが可能なのだろうか? 涼真は一瞬夢ではないかと疑ったが、目の前の彩夏はどこまでもリアルに残酷で、辛い現実そのものだった。
涼真は静かに彩夏に近づき、病魔に巣食われてしまった大切な妹をそっと見つめた。
先週見た時より明らかに痩せこけた頬、抗がん剤の副作用ですっかり抜けて禿げてしまった頭。去年まで一緒に海水浴に行ったり元気に飛び跳ねていた健康美少女は、まるで死神に囚われてしまったかのようにすっかり生気を失ってしまっている。
涼真は空間を跳ばされたことよりも、目の前の背筋のゾクッとする現実に思わず青ざめた。
小さいころは『涼ちゃん、涼ちゃん』と、自分の後ろをチョコチョコと追いかけてきた笑顔の可愛い大切な妹、その変わり果てた姿に息が止まりそうになる。
しかし今は『神の雫』がある。涼真は大きく息をつくと、点滴チューブのついた彩夏の手をそっと握った。
「あ、涼ちゃん……」
彩夏は薄目を開けながらしゃがれた声でつぶやいた。
「彩夏、神の薬を持ってきたぞ。これで治る」
涼真は自然と湧き上がってくる涙をそっと拭くと、チョコの包みをむいてそっと彩夏の口元へ持っていった。
「涼ちゃん、私、口内炎だらけで……そんなの、食べられないわ」
彩夏は苦しそうに、途切れ途切れの小さな声を出す。
「ごめんな。でも、これ一つだけ含んでくれ。本当に治るから」
「……。絶対?」
「絶対」
涼真はギュッと彩夏の手を握り、まっすぐに彩夏を見つめる。
彩夏はゆっくりと息をつき、涼真の手をギュッと握りかえすとパクッとチョコを口にした。
すぐにとろけて噴き出すブランデー。彩夏は想定外の芳醇な甘露に思わず目を真ん丸に見開く。
直後、全身がブワッとピンクに光り輝いた。
「へっ!? なにこれ!?」
彩夏は身体にエネルギーが満ち溢れて行くのを感じ、ガバっと身体を起こす。すると、みるみる艶やかな黒髪が生えてきて肩くらいの長さにまで伸びていく。痩せこけて青白かった肌も紅潮し、つやつやに張りを取り戻す。
「彩夏ぁ!」
涼真は涙をポロポロ流しながら彩夏に抱き着いた。
「涼ちゃーん!」
彩夏も涙を流しながら涼真を抱きしめ、絶望に塗りつくされた闘病生活に訪れた突然の奇跡に打ち震える。そして何度も何度も涼真をきつく抱きしめ、闘病の中で心に溜まった澱を吐き出すかのように歓喜の嗚咽で身体をゆらした。
二人の嗚咽は静かな夜の病室にいつまでも響いた。
◇
落ち着くと、涼真は彩夏の泣きはらした顔をタオルで拭い、もう一度優しくハグをする。
そして、看護師を呼んで状況を説明すると、看護師は唖然としてしばらく言葉を失っていた。
本当はすぐにでも退院させたかったが、医者の許可がないと退院できないとの事で、翌日を待つことにする。
涼真が清々しい顔で病室を出ると、美奈たちが長椅子に座って雑談してるのを見つけた。
「ありがとうございます!」
涼真は駆け寄って美奈の手を握る。
「ふふっ、良かったじゃない。ただ、あれだけじゃガンは完治しないわよ」
美奈は淡々と告げる。
「えっ!? まだ……治ってないんですか?」
顔を曇らせる涼真。
「ガン細胞はね、一つでも残ってたらまた増殖し始めちゃうのよ」
「じゃ、どうしたら……」
「魔王倒したら完治させてあげるわ」
美奈はニヤッと笑う。
「わかりました。魔王退治でも何でも死に物狂いでやります!」
涼真はこぶしをギュッと握り、力強い目で美奈を見据えた。
「じゃ、任せたわよ。後はこの娘、シアンの言う事聞いてね」
美奈はそう言って青い髪の若い女の子を引き寄せた。
「まずは研修からだね。明日、うちのオフィスに来て」
シアンはニコッと笑うとデニムのオーバーオールの胸ポケットから名刺を出し、涼真に渡す。
そこには田町の住所が書かれてあった。
◇
翌日、無事退院となり、涼真は大きなリュックに入院荷物を詰め、彩夏と駅へと向かう。
「うわぁいい天気!」
彩夏は青空に大きく両手を伸ばし、うれしそうにクルリクルリと回った。
この三カ月はチューブに繋がれて病室で寝たきりだったのだ。その解放感には格別なものがあるだろう。優雅な軌跡を描きながら舞う黒髪、輝く笑顔に涼真は目を細めながら、美奈の授けてくれた奇跡に心から感謝をした。
「お腹すいてない?」
涼真が聞くと、
「空いたー! 肉、肉食べたいなぁ」
と言いながら上目づかいで答える。
「に、肉? 肉かぁ……」
やや戸惑いながら辺りを見回すと、駅の方に焼肉屋の看板が見える。
「じゃぁ、あそこにするか?」
「うん!」
彩夏はキラキラとした笑顔で答えた。
4.兄の取扱説明書
ランチの焼肉定食を頼むと、カルビやロースの入った皿がドンと置かれ、ロースターに火が入った。
「昼から肉を焼くとは思わなかったよ」
涼真はトングで肉を並べて行く。
「ふふっ、だってずっと病院食だったのよ? 病院出たらまず、お肉って決めてたの」
彩夏はナムルをつまみながら言う。
「まぁ、好きなもの食べてよ。お肉もおかわりしていいよ」
「ありがと。……。ねぇ? 私たち周りからどう見えてるかな?」
彩夏が好奇心いっぱいの顔で嬉しそうに言う。
「ど、どうって?」
彩夏は涼真に近づくと、小さな声で言った。
「二人で焼肉を食べるのは、エッチしたことのあるカップルって決まってるらしいわ」
「な、な、な、何言ってんだよ!?」
涼真は思わず真っ赤になって答える。
「涼ちゃんは女の子と二人で焼肉食べたことある?」
「……。焼肉どころかお茶も……ないな……」
涼真は渋い顔をしながら、焼けた肉を彩夏の皿へと乗せて行く。
「えー、涼ちゃん女の子に興味ないの?」
「あるけど、縁がないの! そんな事いいから早く食べて!」
涼真は眉を寄せながらトングでカンカンと金網を叩いた。
「はーい! ……。あ、柔らかぁい。涼ちゃん焼くの上手いわ。いいお婿さんになれるわ」
恍惚とした表情で溢れる肉汁の芳醇な旨味を堪能する彩夏。
「そもそも一日中バイトで出会いなんかなかったんだからな」
涼真はムッとしながら自分もカルビを口に運んだ。
「……。そう……だよね。ごめんなさい」
ハッとしてしおれる彩夏。
「あ、いや、いいんだ。彩夏が元気になる事の方が彼女よりもずっとずっと大切なことだから」
慌ててフォローするが彩夏はうつむいて動かなくなった。
「ほら、次も焼けたよ、どんどん食べて」
涼真は皿にお肉を盛る。
「……。兄妹じゃ……、なかったら……」
「え?」
「兄妹じゃなかったら、私が彼女になってあげたのにね」
彩夏はそう言うと肉をガツガツと食べた。
「いや、まぁ、ありがたいけど、俺たち兄妹だしね」
涼真は冷や汗を浮かべながら肉を乗せた白米をかき込んだ。
「彼女……、できたら教えてね。涼ちゃんの取扱説明書を渡すから」
「取説? 何だよ、俺は家電かよ!」
「靴下はリビングの隅で丸めて脱いだままになってるから、寝る前に片付けさせること」
彩夏はニヤリと笑いながら言った。
「ゴ、ゴメンよ。そんな事伝えなくていいよ」
渋い顔しながら答える涼真。
「コーヒーはあのメーカーのビタータイプ。卵は半熟のスクランブルエッグにマヨネーズ。朝起こす時はそっと背中にくっついて、最近ハマってる曲を耳元で歌うこと……」
彩夏は宙を見上げながらうれしそうに指折り数えて言う。
「分かった、分かったから、肉食べて」
「ふふっ、ちゃんと教えてね」
目を細めて彩夏は言った。
◇
満腹になり、駅へと向かう二人。
「ふぅ、食った食った! これから彩夏を治してくれた人の所へ行くから、先に帰ってて」
そう言って涼真が立ち去ろうとすると、
「え? 行って何するの?」
と、彩夏が腕をつかんで引きとめる。
涼真はどう説明したらいいのか悩んだ。『魔王を倒す』なんてどう説明したらいいか、うまい言葉が思い浮かばなかったのだ。
「うーん、何だか俺にやって欲しいことがあるんだって」
すると、彩夏はじっと涼真を見つめる。
「……。まさか……、危険な……こと?」
「危険かどうかは……、まだ分からない。その話を聞きに行くんだ」
涼真は目をそらしながら答えた。
その様子に何かを感じた彩夏は、
「だったら私も行く!」
と言って涼真にずいっと迫る。
「いやいや、彩夏が行くって話になってないから……」
「何言ってるの? 私の病気のために行くんだから私が行かなきゃ!」
彩夏は必死なまなざしで涼真を見つめる。
涼真は目をつぶってしばらく考え、大きく息をつくと言った。
「わかった……。一緒に行こう」
5.出生の秘密
名刺の住所にやってくると、そこは瀟洒な高級マンションだった。恐る恐るオートロックを開けてもらい、最上階に行くと、シアンがドタドタと走って来てドアを開けてくれた。
「いらっしゃーい! あれ? 妹さんも一緒?」
「は、初めまして。治してくれてありがとうございます」
彩夏は可愛い女の子が出てきたことに驚きながら、急いで頭を下げた。
「まぁ、入って」
二人は奥に通される。
そこはメゾネットタイプの開放感のあるリビングが広がっており、大きな窓からは気持ちのいい陽の光が差し込んでいる。広々としたフロアにはオシャレなオフィス家具が並び、何人かがパソコンをにらみながら仕事をしていた。
ガンをも治す不思議な力を持つ人たちのオフィス、それはもっとファンタジーな宗教っぽい拠点かと思っていたが、外資系コンサルのような洗練された空間だった。
「ここ座って」
シアンはそう言って、会議テーブルの椅子を引く。
緊張しながら恐る恐る椅子に座る二人。
「それで、魔王というのは……?」
涼真は単刀直入に聞いた。
「あせらない、まずはコーヒーでも飲んで」
シアンはコーヒーを入れて二人の前に置く。
「ありがとうございます」
涼真はクレマの浮いた本格的なコーヒーをすすり、気持ちを落ち着ける。
「ここは全宇宙約百万個の星を統括してるオフィス。で、その星のうちの一つがテロリストの手に堕ちてね、魔王が好き勝手やって困ってるんだ」
肩をすくめ、首を振るシアン。
いきなり全宇宙スケールの話をされ、困惑する二人。
「で、君には魔王を倒してもらおうかなって」
「いやいやいや、ただの学生に魔王なんて倒せるわけないじゃないですか!」
手を振りながら拒否する涼真。
「でも、彩夏ちゃんの病気を完治したいって言ってたよね?」
ニコッと笑うシアン。
「えっ!? ちょっと待ってください。私まだ治ってないんですか?」
焦る彩夏。
「腫瘍は消えたけど、ガン細胞は残ってるかもしれないからね。再発しないような治療は要るよ?」
「そのために魔王を倒せってこと……ですか?」
「そうだね。僕らが倒してもテロリストは潜伏したまま出てこないんだ。別の人にやってもらわないといけなくて困ってるんだよ」
「それは……、囮ってことじゃないですか?」
「まぁ、そうとも言うね」
悪びれずあっけらかんというシアン。
「なら、私がやります!」
彩夏はバッと立ち上がって言った。
しかし、シアンは彩夏をじっと見て、首を振る。
「残念だけど、涼真の方が適任なんだ。涼真は勇者の血筋だからね」
いきなり『勇者』と言われ、唖然とする二人。
「ちょ、ちょっと待ってください。何ですか……その……『勇者』って」
彩夏は首をかしげながら聞く。
「涼真のご先祖は紀州の海であやかしを狩ってた特殊技能者なんだよ。だから涼真は魔王を倒すのに向いてるんだ」
「私と涼ちゃんは兄妹です! 私にもその勇者の血が流れてるじゃないですか!」
彩夏は憤然と言った。
「え? 君たち血は繋がってないよ」
シアンはさも当たり前かのように言う。
「へっ!?」
驚き固まる彩夏。
「そ、そんなこと無いわ! 私も涼ちゃんもママと三人でずっと暮らしてきたんだから。ねぇ、涼ちゃん!」
彩夏は涼真を見た。
しかし、涼真は渋い顔をしながら固まっている。
「ど、どうしたの? 涼ちゃん」
涼真は大きく息をつくと言った。
「俺には赤ちゃん時代の彩夏の記憶がないんだよね……」
「えっ!? どういうこと?」
「一番昔の彩夏の記憶は、なぜか歩いてる彩夏なんだ」
愕然とする彩夏。それはつまり、涼真と母親の二人の暮らしに後から彩夏が加わったという事、血のつながりはないということなのだ。
「勇者の特性として、なぜかいざという時に幸運を引くんだよね。だから危険な挑戦をするときは勇者の属性持ちにお願いするんだよ」
シアンは空気を読まず、淡々と説明する。
彩夏は力なく椅子に座ると、うなだれる。いきなり明かされた衝撃的な出生の秘密。涼真はどうフォローしていいかもわからず、そっと彩夏の手を握った。
しばらく目をつぶって動かなかった彩夏だったが、
「後でママとお話しするわ。涼ちゃんも一緒に……ね?」
そう言って沈んだ表情で涼真を見る。
涼真はゆっくりとうなずいた。