「重い槍」
 
 突然、彼女が、
「郷里に帰りたい」
と言う。
「なんで?」
と聞くと、
「東京は疲れた」
とため息をつく。
 訳が分からない。引き留める言葉が出てこなかった。振られたと言った方が正確かもしれない。
「東京が疲れた理由は?」
と聞いたが、地下鉄の騒音にかき消された。思いが混乱して聞き返せなかった。
 彼女が先に降りる。追いかけようとしたが、心がすくんで閉まる扉を茫然と見ていただけだった。
 家に帰ってから後悔が押し寄せてきた。電話をかけることも、メールを送ることも、未練がましく思えて、意地に囚われて、できなかった。悔しいという思いのせいかも知れない。たのしかったという想い出ばかりが、いつまでも脳裏をかけめぐった。
 週末、寂しさにいざなわれてブログを開いた。書き込みがあった。
「東京メトロの最寄り駅の遺失物係にあなたの鍵を預けておきます」
 たぶん部屋の鍵だ。
「もう顔も見たくない」
ということなのか。

 週明けの会社の帰り、駅の窓口に寄ってみた。
「忘れ物が、届いているらしいんですが・・・」
「忘れたのは、いつですか?」
「先週です」
「どんなものですか?」
「鍵なんですが・・・」
 駅員はパソコンの液晶画面を見ながら言う。
「キーホルダーが届いていますね。特徴を言ってくれますか?」
「槍の形をしています」
 重いキーホルダーを受け取った。見ると、付いていたのは部屋の鍵ではなかった。コインロッカーの鍵だ。駅前のコインロッカーの扉を開けた。しおれそうなチューリップが1本入っていた。添えられていたカードにメッセージがあった。
「忘れ物はチューリップの花言葉です。思いやりにあふれた、もっとうれしい東京になったら戻ります」
 その日の夕方、花屋さんから、百本のチューリップを贈った。