「書類に税理士のはんこがあったときは、一度もそういうことはなかったのに、税務署と税理士はグルになっているみたいだね」
と嘆息した。
自らが起業した事業が傾くのと並行して頑健を自負していた父も健康を害し、膵臓癌で死ぬまで入退院を繰り返した。大学時代の土岐は授業料を捻出するため、新聞配達やクリーニング店の店員や家庭教師や運送の助手など、さまざまなアルバイトに明け暮れた。
「どうせ先のない仕事だ」
というのが父の遺言のようになった。大学3年のとき、父が死んでから、会社を清算し、母は近所の割烹料理屋にパートに出た。そんな母を助けるために、卒業と同時に就職することを考えたが、大学院への進学を迷っていると告白したら、
「迷ったら、しないと後で後悔するから、大学院へ行け」
と母は言ってくれた。大学院へ行きたい理由は聞かなかった。
「いまの仕事は好きだから、まったく苦にしていない」
とも言って、土岐に気を遣わせないようにしてくれた。土岐が大学院へ進学したのは、研究をしたいということよりも、就職することによって一企業の利益追求に自らの心身を拘束されたくなかったからだった。就職すれば当然、企業の営利活動に貢献せざるを得ない。その活動が自らの良心や社会規範と反目することがないとは言えない。物心ついて以来、ニュース報道で多くの企業の不祥事が耳目に触れてきた。事件が発覚すると、企業関係者は一様に、
「世間をおさわがせして申し訳ありません」
といいながら頭を下げる。下に向けられた顔で、
「ばれなければ、世間をさわがせることにはならなかった」
とうそぶいていると思えてならなかった。一企業の利益が社会全体の利益と完全に合致するとは考えられない。そういう精神状況で定年退職まで悶々としてサラリーマン生活を送るかもしれない人生を想像しただけで、自分には耐えられないだろうと思った。いま考えれば、贅沢な言い分だと思う。しかし、特定の集団の利益のためにのみ働くよりも、より大きな集団の利益のために働きたいという気持ちはいまも変わらない。できれば、人類全体の利益のために働くというのが究極の願いだった。そう考えるに至ったのには、
「つまらない生き方をするな」
「どうでもいいような生き方をするな」
「自分のためにだけというような生き方をするな」
と嘆息した。
自らが起業した事業が傾くのと並行して頑健を自負していた父も健康を害し、膵臓癌で死ぬまで入退院を繰り返した。大学時代の土岐は授業料を捻出するため、新聞配達やクリーニング店の店員や家庭教師や運送の助手など、さまざまなアルバイトに明け暮れた。
「どうせ先のない仕事だ」
というのが父の遺言のようになった。大学3年のとき、父が死んでから、会社を清算し、母は近所の割烹料理屋にパートに出た。そんな母を助けるために、卒業と同時に就職することを考えたが、大学院への進学を迷っていると告白したら、
「迷ったら、しないと後で後悔するから、大学院へ行け」
と母は言ってくれた。大学院へ行きたい理由は聞かなかった。
「いまの仕事は好きだから、まったく苦にしていない」
とも言って、土岐に気を遣わせないようにしてくれた。土岐が大学院へ進学したのは、研究をしたいということよりも、就職することによって一企業の利益追求に自らの心身を拘束されたくなかったからだった。就職すれば当然、企業の営利活動に貢献せざるを得ない。その活動が自らの良心や社会規範と反目することがないとは言えない。物心ついて以来、ニュース報道で多くの企業の不祥事が耳目に触れてきた。事件が発覚すると、企業関係者は一様に、
「世間をおさわがせして申し訳ありません」
といいながら頭を下げる。下に向けられた顔で、
「ばれなければ、世間をさわがせることにはならなかった」
とうそぶいていると思えてならなかった。一企業の利益が社会全体の利益と完全に合致するとは考えられない。そういう精神状況で定年退職まで悶々としてサラリーマン生活を送るかもしれない人生を想像しただけで、自分には耐えられないだろうと思った。いま考えれば、贅沢な言い分だと思う。しかし、特定の集団の利益のためにのみ働くよりも、より大きな集団の利益のために働きたいという気持ちはいまも変わらない。できれば、人類全体の利益のために働くというのが究極の願いだった。そう考えるに至ったのには、
「つまらない生き方をするな」
「どうでもいいような生き方をするな」
「自分のためにだけというような生き方をするな」


