フィジビリティスタディ

との申し出があった。そのA社も国内の市場が縮小して行く中で、合理化を余儀なくされ、生き残りのために川下から川上への垂直統合を検討していた。父は迷い悩んだ末、その申し出を断った。断りの理由は、発注元はそのA社だけではなく、零細ではあるが、自転車やオートバイで小売をしている業者もあり、彼らを切り捨てられないからということだった。申し出てきたA社の専属工場になればそれ以外の卸売業者や小売業者を切り捨てることになると父は読んでいた。A社の狙いも中小零細の業者を根こそぎ葬り去り、市場を独占することにあった。確かに、いまでこそA社が最大の取引先ではあるが、それ以前に世話になった多くの零細な取引先があった。A社が最大の取引先になった理由は、A社の強引な商売にあったと父は同業者から聞いていた。他の取引先からもA社に泣かされた話を父は聞かされていた。A社の専属工場になれば、他の業者の注文を法外な料金で請け負わされるか、一方的に断ることを強要されるであろうことを父は憂慮していた。A社の申し出を断った後、A社からの受注は激減した。午前中で、作業が終了する日が、何日も続いた。やがて、創業時から従事していた最後の社員が、父が考案した製造工程に関するノウハウとともにA社に引き抜かれた。父も母もその社員の将来の生活を思いはかり、引き止めることはしなかった。それから父の会社は赤字経営となった。わずかばかりの賃仕事ではあったが、あまりにも手取りが少ないので、出入りの税理士に帳簿を見せてもらったら、税理士の毎月の顧問料と会計年度末の税務申告代行手数料が、累積赤字の元凶であることが分かった。その赤字分は会社の銀行口座から引き出され、帳簿上は父の給与分が会社の短期借入金でそっくり消えていた。短期借入金の増加分が、税理士の手取りにほぼみあっていた。税理士にとってはそれが業務であるから相手が赤字会社であろうとなかろうと、規定の報酬を受取るのは正当な行為であろうが、会社がそのために債務超過に陥っていることの説明はなかった。それ以降、税務申告は土岐の無報酬の仕事になった。税務会計の知識がなかったので、税務署に頻繁に呼び出され、申告書類の不備を指摘され、ささいなことで、追徴金の支払いを要求された。そのことを母に言うと、