フィジビリティスタディ

 片側一車線のバス通りに面して十台あまりのスペースの駐車場があり、その隣に、同じ造りの借家があり、そこには若い夫婦と三人の子どもが住んでいた。土岐の借家は、その家とゴルフ場の砲台グリーン後方に広がる松林のラフとの間にあった。8畳と6畳の二間で、2畳の玄関と3畳の台所と4畳半ほどの風呂場と脱衣所があり、トイレは汲み取りだった。家の周囲には一間ほどの幅で帯状に空き地があり、隣の借家の影であまり陽の射さない南側には物干し場があった。敷地は四十坪ほどあった。
 奥の8畳が土岐の寝室と勉強部屋で、手前の6畳が母の寝室兼居間になっていた。家賃は5万円だったので、母の年金と土岐の月給は生活費でほぼ全額が消えた。不意の出費があるときは、父の遺産の預金を引き出さざるを得なかった。それでも、ボーナス時の補填で、昨年までは当初の残高をなんとか維持していた。今年になって、母の糖尿病が悪化し、軽い脳血栓も見つかり、それらの検査代や診察代や通院費や薬代、白内障の検査代や通院費などで、その残高も残っていない。母の白内障については、一度手術することが求められている。母にとってはテレビ鑑賞が唯一の趣味だが、それも手術をしないと見づらいという。早く手術させたいと土岐は思っているが、カネがなかった。借金しても早く手術を受けるように母に言ったが、母は「借金は嫌いだ」
と言って、土岐の説得を受け入れない。手術代は七、八十万円かかるとの眼科医の話だった。家計は収支ぎりぎりなので、余裕ができるのはボーナスの時期しかない。そのボーナスも冬が四〇万円足らず、夏が三〇万円足らずだから、借金をしないで手術を受けるとしたら来年の夏以降になる。それまでも白内障は悪化してゆく。
「生き死にの問題じゃないから借金までして手術をすることはない」
と母は言うが、土岐は気が気ではない。