フィジビリティスタディ

「うちは大学の研究所みたいな仕事をしているけど、株式会社だから、もうけなきゃならん。財務理事の鈴木さんは相当苦労しているよ。カネのなる樹があるわけじゃないから、自転車操業で大変なんだよ。今回のACIとのパイプが太くなっていけば、いずれ理事長のめがあるかも知れない。君も知っていると思うが、ここの理事長は代々メインバンクの息のかかった理事がなるのが不文律だからね。メインバンクの担当重役は代々、君と僕の母校出身者で引き継がれているからね。鈴木理事はこの不文律を破らなければならないんで必死だ」
「逆に、東亜クラブは国立大学閥で固められています」
「そうだよね。君はよく、東亜クラブに入れたね」
「岩槻先生のおかげです」
「でも、岩槻先生は僕らと同窓じゃないの?」
「ええ、でも国際開発学会で、金井さんと知り合って、その関係で・・・」
「へえー、そうだったの」
 土岐はころあいを見計らって、そこを辞した。

三 差出人不明

 土岐の借家は八王子駅からバスで北西方向に行った東京都のゴミ焼却場の近くにある。父が膵臓癌でなくなってから、ここに引っ越した。
 生前の父は日ごろから、
「お母さんにはすこし財産を遺すが、息子のお前には一文も遺さない」
と宣言していた通り、それまで貯め込んでいた預貯金を町内会活動につぎ込んだ。盛り上がらなかった町内会の秋のお祭りで、無料の綿あめや金魚すくいやパチンコを子どもたちに提供した。寂しい葬儀ではあったが、父のボランティア活動でさびれてしまったお祭りの屋台の復活を楽しんだ多くの子どもたちが、線香をあげに来てくれた。生前、父のために一度も涙を流したことのなかった土岐ではあったが、ことのときばかりは涙が止まらなかった。焼香台の傍らに座り、弔問客に挨拶をしながら、数珠を握り締め、涙を拭うことすらできなかった。
 母が父の入院治療費や借金などを清算し、葬式代を支払い、墓地と墓石を買ったら、自宅を処分しても、百数十万円しか残らなかった。
 借家は平屋の一戸建てで、杉林の中にあった。杉花粉の飛ぶ季節になると窓の桟や家の周りの路地が真っ白になった。さまざまな種類の蜘蛛やナナフシやムカデがなんの違和感もなく顔を出す小高い丘の麓の日陰で、隣は節税を画策する農家の栗林になっていた。