川野の分厚い口元を注視した。土岐は契約書を折り畳んで胸ポケットにしまった。所在なげに黒いボールペンをメトロノームのようにして、その尻で左の親指の爪を叩いた。
川野は土岐の手元を一瞥して煙を吐きながら窓外に眼をやった。
「よろしく頼みます。詳細は大使館の加藤さんが話すようですから」
陽のあたらない北向きの窓から裏庭の根つきの悪い芝生が見える。暗い緑の不揃いなささくれが二インチほどまばらに伸びていた。その先のコンクリートの通路の縁に一フィートほどのサンタンカの
数葉の肉厚の緑が、ほぼ等間隔に七つ並んでいる。葉の中央に五つか六つの黄色い花弁の混ざった臙脂の花がぱっくりと開いている。
その花のうしろを隣の屋敷の家政婦が丸っこい肩を落として通りの方に歩いていた。彼女の浅黒い首筋が低い塀越しの天日に雲母を散りばめたように輝いている。川野のたるんだ瞼の皺の奥の澱んだ目がその家政婦の動きをぼんやりと追っていた。
「所長さんはパソコンでメールを送受信されないと聞きまたが」
と土岐は唐突に探りを入れた。
「ゆっくりならやりますよ。けど、わしがやるより長谷川君に任せた方がはるかに速い」
「プライベートなメールはどうしているんですか?」
「日本にいれば、家族とメールのやり取りをしないでもないけど、いまは、単身赴任だし、家族にとっちゃ、家を広く使えて嬉しいんじゃないですかね」
と自虐的に土岐の笑いを誘おうとする。
土岐はそれに気付いたが笑わなかった。長谷川は土岐に、
「ちょっと待っていてくれ」
というような仕草でパソコンのメールを読みながら一通一通処理している。
土岐は詮索するでもなく川野の黒檀の机の上に目を置いた。eメールのプリントアウトが数枚。その隣に橙の文書ファイル。檜皮色のジグザグの罅割れのある貝殻。褐色の木のペーパーナイフ。白地に数字だけのデスクカレンダー。薄いピンクの会社のロゴ入りメモ用紙。川野童司のネーム入りの茶のボールペン。濃紺のサイン用の極太の万年筆。押す部分の塗料が剥げ掛かった黒いパンチ。艶のある群青色のホチキス。携帯電話の卓上フォルダ。鶯色のスケルトンのデスクトップパソコン。零れたコーヒーで薄汚れたコルクのコースター。鼠色のファックスつき電話器。紅いチェックの小さな布切れが巻かれたこけしつき耳掻き。それらが雑然と置かれていた。
川野は土岐の手元を一瞥して煙を吐きながら窓外に眼をやった。
「よろしく頼みます。詳細は大使館の加藤さんが話すようですから」
陽のあたらない北向きの窓から裏庭の根つきの悪い芝生が見える。暗い緑の不揃いなささくれが二インチほどまばらに伸びていた。その先のコンクリートの通路の縁に一フィートほどのサンタンカの
数葉の肉厚の緑が、ほぼ等間隔に七つ並んでいる。葉の中央に五つか六つの黄色い花弁の混ざった臙脂の花がぱっくりと開いている。
その花のうしろを隣の屋敷の家政婦が丸っこい肩を落として通りの方に歩いていた。彼女の浅黒い首筋が低い塀越しの天日に雲母を散りばめたように輝いている。川野のたるんだ瞼の皺の奥の澱んだ目がその家政婦の動きをぼんやりと追っていた。
「所長さんはパソコンでメールを送受信されないと聞きまたが」
と土岐は唐突に探りを入れた。
「ゆっくりならやりますよ。けど、わしがやるより長谷川君に任せた方がはるかに速い」
「プライベートなメールはどうしているんですか?」
「日本にいれば、家族とメールのやり取りをしないでもないけど、いまは、単身赴任だし、家族にとっちゃ、家を広く使えて嬉しいんじゃないですかね」
と自虐的に土岐の笑いを誘おうとする。
土岐はそれに気付いたが笑わなかった。長谷川は土岐に、
「ちょっと待っていてくれ」
というような仕草でパソコンのメールを読みながら一通一通処理している。
土岐は詮索するでもなく川野の黒檀の机の上に目を置いた。eメールのプリントアウトが数枚。その隣に橙の文書ファイル。檜皮色のジグザグの罅割れのある貝殻。褐色の木のペーパーナイフ。白地に数字だけのデスクカレンダー。薄いピンクの会社のロゴ入りメモ用紙。川野童司のネーム入りの茶のボールペン。濃紺のサイン用の極太の万年筆。押す部分の塗料が剥げ掛かった黒いパンチ。艶のある群青色のホチキス。携帯電話の卓上フォルダ。鶯色のスケルトンのデスクトップパソコン。零れたコーヒーで薄汚れたコルクのコースター。鼠色のファックスつき電話器。紅いチェックの小さな布切れが巻かれたこけしつき耳掻き。それらが雑然と置かれていた。