「一度ジャナイデスカ夫人が見に来たことがあった。『簡素な部屋。すっきりしてごてごてしてなくていい』と感想を漏らしてた。ところが加藤夫人の方は逆の感想を言った。『殺風景な部屋。鍵ひとつで外出できる利便性はあるけれどこんなところによく二年も三年も住める』と呆れてた。その殺風景さが、おれにはアルベール・カミュが離婚後住んでいた小さな本棚以外何もない部屋を彷彿とさせる」
立ち上がった長谷川の後ろの壁にはスーベニアショップで二束三文で売られている古代神話を図案化したバティックが貼ってある。
「窓を開けると飛び込んでくるゴキブリや銀粉にまみれた蛾、夜中にベッドに這い上がってくる黒蟻の群れ、天井にへばり付いているヤモリ、羽音を立てて部屋の影から影へ舞い飛ぶ羽蟻のような蚊、シャワールームの縁を取り囲む汚水溝に棲み付いている蟋蟀や小型の蛇や鼠など、様々な生き物で鳥肌が立つほど賑やかだ。夜中、黒蟻の群れに襲われたとき、フランツ・カフカの、『変身』のグレゴール・ザムザを想いだした」
と両手の指でゴキブリの歩行をまねて、
「この部屋の窓は北東側にある。涼しくて過ごし易いかと思ったが、日中は土日も含めてほとんどいない。洗濯物が気持ち良く乾かないことに閉口した。なんとなく湿っぽかった。家政婦を雇わなかったんで、下着だけは自分で洗わなきゃならない。洗うとはいっても、シャワーを浴びるときに洗剤を染み込ませて足元に置いて、体を洗いながら踏みつけるだけだ。ワイシャツはホテルのランドリー。朝食もホテルのカフェテリア。帰ってきても誰もいないし、何もやることがないんで、毎日最後まで事務所でぶらぶらしてる。現地スタッフは勤勉なやつだと誤解してるようだ。夕食の誘いがないと本社から見本として送られてきたカップ麺やレトルト食品を倉庫から持ちだして食べることが多い。たまにこの下宿のホテルで、一口食べただけでいやになるほどまずい夕食を仕方なく食べることもある」
長谷川の話が止まない。土岐は先刻の質問を繰り返した。
「ジャナイデスカの動機はなんだ?」
「あいつは優子さんと俺の関係を疑っている」
「不倫ということか?」
「嫉妬深い奴で、彼女が口をきくだけで、関係を疑う」
「真実は聞かないでおこう」
と土岐はその部屋を出た。はやくシャワーを浴びたかった。
立ち上がった長谷川の後ろの壁にはスーベニアショップで二束三文で売られている古代神話を図案化したバティックが貼ってある。
「窓を開けると飛び込んでくるゴキブリや銀粉にまみれた蛾、夜中にベッドに這い上がってくる黒蟻の群れ、天井にへばり付いているヤモリ、羽音を立てて部屋の影から影へ舞い飛ぶ羽蟻のような蚊、シャワールームの縁を取り囲む汚水溝に棲み付いている蟋蟀や小型の蛇や鼠など、様々な生き物で鳥肌が立つほど賑やかだ。夜中、黒蟻の群れに襲われたとき、フランツ・カフカの、『変身』のグレゴール・ザムザを想いだした」
と両手の指でゴキブリの歩行をまねて、
「この部屋の窓は北東側にある。涼しくて過ごし易いかと思ったが、日中は土日も含めてほとんどいない。洗濯物が気持ち良く乾かないことに閉口した。なんとなく湿っぽかった。家政婦を雇わなかったんで、下着だけは自分で洗わなきゃならない。洗うとはいっても、シャワーを浴びるときに洗剤を染み込ませて足元に置いて、体を洗いながら踏みつけるだけだ。ワイシャツはホテルのランドリー。朝食もホテルのカフェテリア。帰ってきても誰もいないし、何もやることがないんで、毎日最後まで事務所でぶらぶらしてる。現地スタッフは勤勉なやつだと誤解してるようだ。夕食の誘いがないと本社から見本として送られてきたカップ麺やレトルト食品を倉庫から持ちだして食べることが多い。たまにこの下宿のホテルで、一口食べただけでいやになるほどまずい夕食を仕方なく食べることもある」
長谷川の話が止まない。土岐は先刻の質問を繰り返した。
「ジャナイデスカの動機はなんだ?」
「あいつは優子さんと俺の関係を疑っている」
「不倫ということか?」
「嫉妬深い奴で、彼女が口をきくだけで、関係を疑う」
「真実は聞かないでおこう」
と土岐はその部屋を出た。はやくシャワーを浴びたかった。


