短い電話だった。
 電話が終わった後、長谷川は自分の机の隣の椅子に土岐に座るように右手で鷹揚に合図した。
「この机、使ってくれ」
と椅子をひいた。
「いまの電話はヘンサチからだ。本名は加藤威雄。面とむかうときは一等書記官という職名で声を掛けてる。ヘンサチの無愛想で尊大な物腰はどうも好きになれない。大使館の廊下ですれ違うときも向こうから先に挨拶することは皆無だ。こちっちが気づかないと声も掛けずにすれ違いそうになる。こちっちが好意を持っていないことは彼にもわかっているだろう。こちっちに対する不快感がどれほどであるかは忖度しがたい。ひょっとしたら抹殺したいほどであるのかも知れない。人の心ははかりしれない」
と土岐の同意を求めるように目線を合わせようとした。
「『所長代理さんに話がある』という電話だった。ヘンサチもおれを本名の長谷川誠で呼びかけることはない。『所長代理』と呼びかける。改まった場では、いかにも仕方なく、『長谷川君』と呼ぶが、言うほうも言われるほうも妙に居心地の悪い照れくささを感じる」
と軽く鼻息をもらす。
「『ランチ一緒に』という誘いだった。どうせ支払いはこちっち持ちになる。やつのたかるような声音に『昼飯をたらふくおごってくれ』という言外の含みが強く感じられた」
と憎々しげに口をへの字に曲げる。
 長谷川の饒舌には、聞き手を自分と同じ思いに誘導しようとする意図が強く感じられる。学生時代もそうだった。とにかく長谷川はよくしゃべる。目的は自分の考えを押し付けること。聞き手に同調してもらうことだ。
 土岐は椅子に腰かけて、長谷川の黄緑の受話器の左脇にある置時計に目をやった。長針の淡い影は十近くを指している。
「ヘンサチの話はたぶん、おまえに依頼するもう一つの仕事の話だと思う。一緒に昼食を食べながら、詳しい話を聞いてくれ」
 土岐は無表情で黙って承諾した。
 長谷川は電話を取り次いだ黒い男を土岐に紹介した。ショスタロカヤという名前。仕事は運転手と雑用全般。
 机に戻った長谷川に土岐はおもむろに契約書を見せた。
「形式だけだけどサインしてくれ。会社の経費でおとすなら契約書がないとまずいだろう」
 土岐は一通を受け取る。
「でも、まだよくわからない。君の言う依頼というのは、どう考えても中途半端な仕事だ」
と成田を発つときから抱いていた疑念を吐いた。