玄関のポーチで、ジャナイデスカがいきなり唾を吐いた。真っ赤な泡が干からびかけた芝生にぽたりと落ちた。広がって、スターフルーツの切り口のような形になった。
「ビンロウか。汚いね」
と長谷川が校門で待ち構える高等学校の風紀委員のように嗜めた。
「けっしてェ、うまいもんじゃないんですがァ、節煙しているとォ、とっても、とっても、口さびしいじゃないですかァ」
と土岐に擦り寄って同意を求めてきた。
 土岐が目をそらす。
 ジャナイデスカは長谷川の右腕に両手で抱きついた。
 暑苦しそうに長谷川は顔を顰めて振り払った。
 ジャナイデスカのフランス車は、影絵のような木陰の中にすっぽりと納まって停まっていた。
 土岐が中を覗く。
 丸顔の女性がどぎまぎしたような表情で助手席に座っていた。
「これ、家内の優子です」
とジャナイデスカは土岐に紹介した。
 優子は、その造作が少女マンガに描かれているような感じ。眼が大きく、まつ毛が長かった。
 土岐が助手席の優子に、
「こんにちは」
と挨拶する。
 優子はよそよそしく、少し頭を下げて会釈を返してきた。続けて、
「暑いですね」
と土岐が声を掛けても、優子は、
「ええ」
と言うだけ。愛想がなかった。眼に見えないバリアを体中に張り巡らしている。主人の視線を意識してなのか、たまたまそういう気分なのか。
 優子の産毛の密集したうなじを見る。後部座席に滑り込む。
 ジャナイデスカがアクセルを踏み込んだ。
 その瞬間、優子の流し眼が後部座席の長谷川を捉えた。
 土岐は優子の後ろ、長谷川はジャナイデスカの後ろに座っている。優子の表情は土岐には見えない。頭の角度からルームミラーに視線が向けられている。優子の視線のルームミラーの入射角から反射角を辿って行く。長谷川の視線に辿りつく。
 土岐が長谷川の顔を見る。長谷川は慌てて眼をそらし、
「テニスコートは海岸沿いの植民地時代に建設されたホテルの中にあるんだ。当時の総督の名前がそのままホテルの名称になっている」と澄まし顔。
 途中、国民銀行に立ち寄った。
 土岐は長谷川に誘導されて日本円を皺だらけで擦り切れて印刷が多少不鮮明になった現地の札に両替した。