「駅前の旅行代理店で旅行保険を掛けて、議事堂の隣の国民銀行で現金を引き出さなければならないな」
と長谷川は立ちあがった。



あっ軽いみなし公務員の徘徊(金曜日午後)

 長谷川が川野に外出許可を願い出たところに見計らったように邦人がふらりと訪ねてきた。土岐は名刺を交換した。その邦人の所属は開発銀行で、
〈牛田恵一〉
という。
「コンニチワさんで~すゥ。皆さ~ん、お元気してますか?」
と疲れを知らないピザ屋の出前のアンチャンようにショスタロカヤに軽快に近づく。長谷川が小声で土岐に囁いた。
「ショスタロカヤは彼のことを、『ジャナ』と呼んでいる」
「ジャナ?」
と土岐も小声で応えた。
「われわれが、『ジャナイデスカ』と呼んでいるからだ。でも、地元の人間にはとても人気があるようだ」
 牛田は所長にダンサーのような身軽な身のこなしで丁重な目礼。
「所長さん、軽く、おテニスでもいかがですかァ?」
と底抜けに明るく、寸毫の屈託もなく快活に誘う。
「ありがとさん。俺はやめとくよ。ゴルフなら別だけど」
と川野はにべもない。歯牙にもかけない。続けて、
「こんな時間にぃ、まだ三時でしょ。開発銀行さんのお仕事は無いのぉ?小人閑居して不善を為すってぇか?」
と川野は牛田の口調を真似て皮肉っぽく訊く。
 牛田はハンバーガー屋のお兄さんのよう。泰然自若としてにこにこ笑っている。知的障害者ではないかと思わせる。
「ちょっと、テニスを付き合ってくれ」
と長谷川が土岐に言う。
「ラケットもウエアも持ってきてないぞ」
と土岐は不服を込めて言う。土岐は業務を始めたい。一向にその環境が与えられない。
(テニスをするゆとりがあるのなら、わざわざ日本から呼び寄せる必要はなかったのではないのか?)
 依頼しておきながら大した仕事がないことも過去に幾度かあった。今回は何千キロも旅をしている。長谷川はそうした土岐の憤懣に気づいていない。
「審判をお願いしたいんだ」
「それも依頼の一部か?」
「女性が二人いるんで、観察してもらいたい」
 ジャナイデスが所長のデスクから戻ってきた。
「じゃあ、いきましょうか?土岐さんもどうぞ」
と言う明るいジャナイデスカの声に引き込まれるように、そのまま三人で外に出た。