「ふん、よくわからんね」
とぽつりと言ったきり加藤は口をつぐんだ。シートベルトの警報音がしたが彼は無視して走りだした。
 事務所までは十分ほどのはずだった。土岐が瞬きをしている間に着いていた。ビールを呑んだこと、満腹になったこと、時差ボケ、少し寝不足気味だったこと、エアコンがよく効いていたことで土岐はうたたねをしていた。十分間が完全に消えていた。 
 長谷川も軽いいびきをかいていた。
「お待ちどう。着いたよ」
と言う加藤の声で土岐の眼が覚めた。ぼんやりしながら車外に出た。頭の奥の方に鈍い疲労が感じられた。途端に蒸し風呂のような熱気に囲まれた。
「ここで失礼するので所長さんによろしく。それから女房が所長代理さんによろしくと言っていた。なにがよろしくか分らんがそう言えば分ると言っていた。土岐さん、ヒジノローマの件よろしく」
という加藤の別れの挨拶に返答もできない程土岐は茫然としていた。
「詳しいことは追ってまた後で電話するから」
と言い残した。加藤はこちらの別れの挨拶を待ち受けることもなく、脱兎のごとく土埃がはびこるフォート地区方向へ走り去った。
 土岐と長谷川は多年草の生い茂る前庭を通る。正面玄関から事務所に戻った。川野所長は相も変わらずパイプをふかしていた。
 長谷川は加藤の依頼を報告した。
「空港近代化プロジェクトの件、よろしくとのことでした」
と虚言を申し添える。
 川野は喜色を満面にうかべた。
「このプロジェクトが動き出そうと先送りになろうと棚上げになろうと、具体化するころには川野は帰国している」
という長谷川の話だった。
 長谷川が接待交際費の伝票を作成した。川野は即座にサインしてくれた。本社では経理が諸経費を管理している。ここでは川野が管理している。
「諸経費は月末に纏めてチェックで貰うことになっているんだ。その都度、合計額を所長に請求するんだが添付伝票を確認することもなく、すぐに小切手を切ってくれる。性格同様、いい加減だ。しかし物価水準を考えると、この国で豪遊しても金額的には知れている」と長谷川は、やりとりを興味深げに傍観していた土岐に囁いた。
 川野は転勤願の件を蒸し返した。転勤願いの話は方便だ。川野は長谷川を転勤させたがっている。そんな執拗な物言いだ。
 長谷川はそれに答える。