土岐が長谷川とホテルを一緒に出たのは朝の九時過ぎだった。
 長谷川の現地事務所までホテルからタクシーに乗った。
「どう、昨日よく眠れた?」
と長谷川が車窓の外に目線を流しながら土岐にけだるく聞く。
「いやあ、トランジットの連続でまいったよ」
と土岐は欠伸を噛み殺しながら言う。
「まあ、格安航空券だからね。でも、今回は仕事を受けてくれて、ほんと、助かった」
「まだ詳しいことは聞いていないし、契約書も交わしていないんで」
「そんなこと言うなよ。もうここにきてるじゃないか。実質的には契約を結んだも同じだ」
 土岐もそう思う。長谷川に対してはそう言ってみたかっただけだ。
 長谷川は固いシートのタクシーに揺られている。またつまらなそうに語りだした。
「朝食のときにも話したけど、先月のことなんだけど、事務所にいく途中で携帯電話のメール着信音が聞こえた。ポケットから取りだして歩きながら読んだら@I kill you@というメッセージだった」
と人差し指の関節で窓をコツコツと叩く。
 途中で、対向する三輪タクシーが窓の外に出していた土岐の袖をかすめて疾駆して行った。
「その後、メールはあったの?」
「ときどきだけど。でも、気になってしょうがないんだ」
「君を恨んでる人間は多いかも知れないな」
「おまえもそうか?」
と長谷川が土岐の目をいたずらっぽく見る。
 土岐は長谷川の無邪気な表情を眼の端でちらりと見た。
「今はどうか知らないが、君は女のこととなると、ほかのことが眼中から消える。学生時代、約束をすっぽかされたこともあるし、無視されたこともある」
「そんなことあったのか」
「だろ?君はまったく気づいていないんだ。いつもそうだった」


アンテナ現地事務所(金曜日午前)
 
 タクシーを降りて事務所に着いた。
 固定電話の間延びした呼び出し音が鳴っていた。
 チョコレートのような肌をした男が玄関の近くで、すばやく受話器をとった。
「テレホンコール」
とドアから入って来たばかりの長谷川に褐色の縁どりのある仄白い手のひらを振る。
「わかった」
と長谷川が人差し指を立てて合図を送る。
 その黒い男は白い歯とピンクの歯茎をむき出しにして意味ありげに、にこりと笑う。
 長谷川は誰からかと訊こうとしたがやめたように見えた。出てみればわかることだという態度で受話器を受け取る。