という手書きの文字があった。そこに近づくと、彼はくるりとジャケットの背をむけた。薄暗い店内に踏み込んで行った。
 黄ばんだ白衣のウエイターがべたついたリーゼントをぎらつかせている。彼を先導していた。長谷川がその後に続く。長谷川の後に土岐が続いた。追い付いた長谷川が土岐を紹介した。
「こちら土岐さん。この国に詳しいので、東京から呼び寄せました」
 土岐は早速名刺を出した。土岐が貰った加藤という名刺から、長谷川がその男を、
「ヘンサチ」
と呼んでいたことを思い出した。
「我利我利亡者じゃあるまいし、コインぐらい、あげたらどう?」
と加藤は大股で歩く。前を向いたまま高圧的に言う。
「残念ながら、ヒューマニストじゃないもんで」
と長谷川は下卑た言いかたをする。
「それじゃあ、ただの吝嗇スクルージか?君はこの国ではミニスタークラスの大変なリッチマンなんだから」
と加藤は歩度を緩めない。ちらりと流し目で肩越しに振り返る。
「小銭をタクシーの運ちゃんに全部やっちゃって」
と長谷川は言い訳をする。不愉快そうに口をゆがめる。ただ面倒なだけだ。加藤に説明するのがひどく億劫なようだ。余計なことは言いたくない。言えば言うほど不快になるように見えた。
 レストランには先客が三人いた。現地人でアーリア系の端正な顔立ちの若い女が一人混じっていた。薄いチキンスープに少し焦げ目のある平焼きパンをひたして食べている。こちらを一瞥して平焼きパンを千切る。両肘をテーブルについている。肩をすくめている。両手を大きく広げている。賑やかに話をしている。首を左右にせわしなく振っていた。
 ウエイターは彼らの隣のテーブルで立ち止まる。加藤の椅子を引いた。加藤はそこに腰掛ける。土岐に前の席を勧めた。座ると加藤の後ろにアーチ型の厨房の入り口が見えた。
 もう一人の姿勢のいいウエイターが背筋を伸ばして大きなトレイを持って出入りしていた。加藤は不意に
「ここ、よそう。裏庭のヴェランダの方にしよう」
と立ち上がった。小賢しげな顔を苦々しく歪めた。
「こんなところじゃ、落ち着いて話も出来やしない」
と裏庭に面したベランダのテーブルに移動した。
 ベランダには丸テーブルが三つ。室内には角テーブルが六つ。ベランダには照明はない。テーブルの中央に融けて流れた瘤のいくつもある乳白色の太い蝋燭があった。