「ホンコンへは国道の一本手前の路地を右折するのが最短なんだ」と長谷川が土岐に解説する。
 路地は舗装されていない蛇行した狭隘な道だ。スコールがあるとすぐ水溜りのできるような凹凸のある生活道路だ。長谷川は、
「そこを曲がれ」
と指示する。タクシーは信号のないT字路の交差点で海岸沿いの埃っぽい国道へ右折した。都心のフォート地区にむけて北上した。
 土岐の足元で小径の車輪が唸っていた。かなりのスピード感だ。四十マイルの制限速度は優に超えている。
 エンジン音が薄汚い痩身の老婆の喘ぎに聞こえた。
 胸から喉にかけて攀じ登ってくる不快な上気が顎の下で切り裂かれる。千切れる。次から次へと後方に飛んで行く。
 生唾を飲み込むと一瞬息ができなくなった。
 土岐は長谷川に話しかけようとしたがやめた。エンジン音がうるさい。振動が激しくて舌を噛みそうだった。
 波打ち際から海上の重く湿った熱気の塊が間歇的に波のうねりに運ばれて吹き付けてきた。むせ返るような潮の香りが路面に広がる砂埃と一緒に追いかけてくる。
 汗に潮の湿気が粘りつく。薄鼠色の砂埃が肌に蛭のように吸着してくる。喉もとから胸もとにかけて不快なざらつきが堆積してきた。ぬめる顎の下と首の周りを人差し指でこする。そのざらつきがぽろぽろと皮膚から剥がれ落ちた。
長谷川が何かをガイドしている。土岐には聞き取れない。
軟化したアスファルトは、練り餡が透けて見える大福餅のように
埃にまみれて白茶けていた。
 時化のように波打つ路面には、いたるところにラグビーボールほどの陥没があった。三輪自動車はスラローム競技のようにその陥没を避ける。大きく蛇行しながら疾駆する。
 土岐は幌を支える赤錆びた鋼棒を右手で握り締めた。急ハンドルを切るたびにその手に力が入った。手を離せば間違いなく振り落とされる。安全ベルトがない。身の安全を自ら守らなければならないスリルは遊園地感覚だ。
 路面の細かな凹凸が逐一、足の裏に伝わってきた。アスファルトのマウンドに乗り上げるたびに体がふわりと浮き上がる。次の瞬間にストンと落下する。ハンドルを左右に切るたびに狭い二人掛けの後部座席のビニールシートの上を滑るように右往左往した。土岐と長谷川の腰が幾度も密着した。土岐は不快感しか覚えない。不意に笑いがこみ上げてきた。可笑しさに腹筋を奪われて危うく振り落とされそうになった。