アイキルユウ

「邦人と言っても数えるほどしかいないので、たぶん、出向できている造船所の社員か、電話会社の顧問のいずれかだろうと思う。いずれの邦人も、大使館員も含めて、本国ではほとんど影響力のない人々だ。外務大臣が邦人との懇談に三十分の時間を割いたのは、所長の力かも知れない。この国では川野所長はそういう立場にある」
 長谷川は雑用を始めた。
 土岐はすることがない。ローカル英字新聞を読みふけった。 
 夕方近くになって所長から外務大臣歓迎についての作業割り当ての説明が長谷川にあった。土岐がヒジノローマに行っている留守中に段取りをつけたらしい。
「久しぶりに所長の張り切っている姿を見た」
と長谷川が土岐に笑いかけた。
 その日の夜、下宿のホテルにヘンサチから土岐に電話があった。彼の声は勝ち誇ったように快活に弾んでいた。要件は、
「大使館側で急遽ピンチヒッターを周旋したので、ごねる派遣員には、もう来て貰う必要がまったくなくなった」
ということだった。聴いていることを顕示するために時々合いの手を入れた。彼は手柄話のように自慢げに喋り捲った。
「じつは授賞式に参加する人間を一人一人確認したところ、派遣員の顔を知っている者が一人もいないことがわかった」
ということだそうだ。ヘンサチが内務省に問い合わせたら、
「顔を知っている者もいないし、写真も持っていない」
とのことだった。彼と話をした人間も一人もいないらしい。
「褒賞を貰うだけで、スピーチをする訳でもない。レセプションに招待されてはいるが、それは何とか理由をつけて断ればいい。派遣員はそもそも無償援助のダシであって、是非とも会いたいと思っている人間は一人もいないんだ」
と彼は自らのアイディアを傲然と正当化した。
 ピンチヒッターは我が国からの国費留学生とのことだった。年齢は派遣員よりも一二歳若い。出身地も派遣員とは異なるらしい。
「国のカネで勉強しているんだから、国に協力するのはあたり前だ。で、申しわけないが、派遣員には断ってほしい」
というヘンサチから土岐への身勝手な依頼だった。
 最後にヘンサチは学生時代に低偏差値生徒の家庭教師をしていたときのことを朗々と話し始めた。