アイキルユウ

「ずいぶんと、赤いチョコレートだこと。あとで、私にも分けて」
「そうしたいところですが、全部食べちゃったもんで」
と長谷川はしどろもどろになる声音を制御する。自分の声を自分の耳で確かめる。口の周りを右手の甲で拭った。右手を見ても赤い色は確認できない。取れたかどうか不安だった。ナプキンで丁寧に拭った。ナプキンを広げて、確認した。それらしい赤っぽい口紅は見られなかった。
(そもそも、優子は口紅をつけていたのかどうか)
 土岐は想い出せない。口の周りの赤い色という指摘は慶子がかけてきた誘導尋問だったのか。それとも、優子に噛まれて赤くなっていたのか。
 そこに、優子が戻ってきた。髪を整え、化粧を直したようだ。駅で見たよりも、化粧栄えが鮮やかだった。口元を見ると薄いピンクのリップグロスをつけている。
 二人を並べて比較して見る。優子の方が、童顔のせいもあるが、十歳程度若く見える。
「優子さん、具合でも悪いの?」
と慶子がレストルームに居たのが少し長すぎたのではないかと言外に匂わせる。
「ええ、少し」
「私のでよろしければ、お薬、いまここにあるわよ」
「いえ、もうだいじょうぶです」
と言う。夜のせいもあるかも知れない。顔色はいいとは言えない。
「わたしたちは同じメニューにしたけれど、あなたはどうします?」
「わたしも、同じで結構です」
と優子が言う。慶子が即座に指を四本立てた。
「イーチ、フォー」
とボーイに告げた。
 最初にワインのロゼがボトルで運ばれてきた。グラスが四つ。ボーイがコルクを手際よく抜く。慶子のグラスに試飲用に十CCほど注いだ。彼女はそれを口に含み、
「オウケイ」
と言うと、ボーイは四つのグラスになみなみとロゼを注いだ。
「それでは何に乾杯しようかしら。外務大臣訪問に、でいいかしら」
「いいでしょう。それじゃ、外務大臣訪問に乾杯」
と土岐は唱和する。喉が渇いていたので、一息で飲んでしまった。手酌で空になったグラスにロゼを注ごうとしたら、先に優子がボトルを手にしていた。
 彼女がグラスに注いでくれている間、慶子の視線が優子の手元に釘付けになっているような気がした。
 ワインのアルコールが空っぽの胃の中に染み渡っていく感覚がなんとなく不安を醸成して行くように感じられた。
「注いで下さる?」
と慶子が空になったグラスを指の間でくるくると回転させた。