「軽い喪失感を覚えたが柔らかに得心するものもあった。所長がいつか彼女のことをトランジスタグラマーと評していたこともなんとなく気にはなっていた。そのときキスケンシュノショと目が合った。ウインクのような目配せをしたのでコックは所長とゴンゲイガウのことをとうに知っていたのかも知れない。いつものようにニタニタするだけだったが、その目配せは『お前嫉妬しているんだろう』という意味であったのかも知れない」
と得心するように、
「その掃除婦とコックはこの事務所にくる前に駅前の食料品マーケットに立ち寄っているはずだ。毎朝のことだ。そこで昼食の材料を買ってくる。冷蔵庫はあるが夜間、停電が頻発するんで生鮮食料品の貯蔵ができない。おれがキャンセルした昼食は彼女に与えられるはずだ。着任早々にそう決めたのは所長だった。コックは最初は反対したがパーティーや夕食の残り物はコックにやることにしたら、にんまりとして了承した。掃除婦とコックは事務所でパーティーなどの行事がないときは、だいたい、午後から所長の自宅にむかう。コックは所長の夕食を用意し、掃除婦は所長宅の掃除、洗濯と買い物を受け持つ」
と言いながら額の汗をぬぐい、
「実態としては所長の個人的なサービスに従事してるんで我が国では彼らの給与の一部は所長に対する現物支給とみなされるが、この国の税務当局はおおらかで、そういう細かいことは言わない。追徴課税を検討するどころか事務所が三人の現地人を雇用していることを高く評価してる。それにセクハラという概念がこの国にはないんで、早めに帰宅した所長が、自宅で掃除婦と何をしているかはだいたい想像できる。コックも所長宅の台所で夕食の準備をしながら、二人の情事をなんとなく嗅ぎ取っていたのかも知れない」
「所長は、君と掃除婦の関係を知っているのか?」
「さあ、しかしコックや掃除婦が匂わせた可能性はあるかも知れない。あの二人には、おれはおれなりに気を使っているつもりだが、かれらはそうは感じていないのかも」
 腕時計を見ると十一時十五分を過ぎていた。
 黄色いルーフと黒いサイドの国産の四輪タクシーを見送る。三分ほどでカラの三輪キャブがやってきた。道路の凹凸を増幅させて車体を上下左右に激しく揺らしている。長谷川が車道に一歩踏みだした。右手を挙げる。指を弾いた。パチンと湿った音がする。