アイキルユウ

 いつのまにか、携帯電話を握り締めたまま着替えもせずに眠入ってしまった。
 

イーハトーブの農業試験場(日曜日)
 
 陽炎か蜃気楼のようなとりとめもない心地よい無想がいつの間にか途切れた。朝になっていた。なんとなく、いつもの朝と異なる気がした。旅行先で外泊したせいかも知れない。ドアの上の明かり取りの窓から差し込む陽光に瞼越しに軽い痛みを覚えた。昨夜の疲れが後頭部にやんわりと蹲っていた。眠気はなかった。跳ね起きる気にはなれなかった。
 トイレで用を済ます。再びベッドに倒れ込んだ。マットレスが激しく揺れた。余震が心地よく暫く続いた。ベッドの軋みが止んだ。耳を澄ますと扇風機の回転音が聞こえてきた。茫然としていた。室温が次第に上昇してくるのが感じられた。
 そそくさと身支度をする。ドアを開け放った。ドアストッパーがない。目に入った中庭のこぶし大の石をドアの下に挟んだ。そこから見える中庭の細い路地の両側に原色のきらびやかな草花が狂ったように咲き乱れていた。めくるめく色彩の斉放にいざなわれた。一壷天のような中庭に出た。
 さまざまな熱帯植物の根元や枝に手書きの名札があった。見上げるような日影ヘゴ。骨組だけの巨大な番傘が聳然と雲を突き刺す勢いだ。十フィートはありそうだ。
 白地と桃色に黄色いおしべの胡蝶蘭。襞付きの蝶々のような大きな帽子を被らされた赤子のようだ。
 緑の枝の先端に咲く桃色の花弁に黄色の花芯のゲットウ。半開きの花は蛇が鎌首を持ち上げ、小動物を呑み込もうとしているようだ。
 葉軸と付け根の鞘が真紅の猩々椰子。紅い茎が剥きだしになった極太の血管のようだ。
 浅黄の実が垂れ下がるマンゴー。茎から長い鞘で延びる果実は轆轤っ首のようだ。
 見上げると星型の黄緑のゴレンシ。戦闘機の木製のエンジンのようだ。
 薄紅に紫の葉脈のような筋をもつ五弁のバンダ。紫の袴を穿いた土偶のようだ。
赤紫に白い縁取りのあるローレルかずら。五弁のボケのようだ。ココヤシに絡みつく緑葉に黄緑の筋の入ったポトス。巨大な爬虫
類の舌のようだ。
深紅の花弁と黄色いおしべのハイビスカス。小さなパラボラアン
テナのようだ。
根茎からのびる棒状の花茎に着くトーチジンジャーの紅色の苞と
円錐形の花穂。たいまつ状の苺が紅いフレアスカートを穿いているようだ。