アイキルユウ

 ベッドにあおむけに横たわる。ドアの上のガラス窓から夜空が見えた。脈絡もなく不浄なうたかたのように前頭葉に浮かぶさまざまな情念がなんとなく気障りだった。大学を卒業して大学院に進学して以来、得体のしれない漠然とした焦燥感や名指しがたい違和感がその正体だった。それが、
「サウイフモノニ ワタシモナリタイ」
と呟くと霧深い東雲の山麓に曙光が差し込むときのように、にわかに雲散霧消した。
 思い立ってショルダーバックから携帯電話を取り出した。着信の表示があった。長谷川だった。腕時計を見るとまだ十時前だ。折り返し電話をかけた。呼びだし音が十回程して長谷川が出てきた。
「ハロー」
と言っているらしい。よく聞こえない。
「土岐です」
と大声で答えると、
「おう、どうだ、そっちは」
という卑猥なだみ声が戻ってきた。そのだみ声の傍らで女の嬌声がしたような気がした。
「思わしくない」
と正直に答えた。
「そうか、こっちは大丈夫だから、帰りは月曜日でもいいよ」
「念のため、そっちの携帯メールアドレスを教えてくれないか」
「じゃあ空メールを送信しておく。まあ頑張って。それじゃお休み」と言う声に紛れて、矢張り女の声がした。ひょっとしたらゴンゲイガウか慶子かも知れないという思いがした。ありえないとは思うが、先刻の優子の話が脳裏にあって、背中に蝿取紙をくっつけられたようないやな予感がした。
「お休み」
と言いかけた。既に切れていた。
 ついでに着信メールを見る。ジャナイデスカ夫人からはいっていた。のぞき見るつもりはなかった。読んでしまった。
 
@加藤夫人に電話をかけたらいなくて、彼女どこだか知らない?@

 着信時刻は午後四時三分になっていた。土岐と長谷川がハイヤーに乗っていた時刻だ。慶子は列車の中だ。土岐はハイヤーの中で着信音を聞いていない。設定を確認するとマナーモードになっていた。優子から電話があっても慶子は発信者名を見て出なかったに違いない。出れば長谷川と一緒だったことを隠さなければならない。土岐はついでに二件目のメールも見た。着信は、午後七時三十分だった。

@やっとつかまった。彼女どこに行ってたのか、どうして電話に出なかったのか聞いても言わないのよ。なんでかしら。知らない?@

 優子のメールの文字が、先刻の派遣員の話のせいで、すこし淫乱に見えてきた。