アイキルユウ

「この国の農業指導員のあるべき姿を書いたつもりです。我が国の農業高校の教員には彼の信奉者が多いんです。自分も教えられてこの詩が好きになりました。ここに貼ったのは、『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』ということを忘れないためです。これに興味を持った受講生がいたので、何が書いてあるのか説明したことがありました。『サウイフモノニ ワタシハマダナッテイナイ』というのが、詩の趣旨だと解説したら、彼らは異口同音に、『暑いから、雪は降らないが、みんな、暑さに負けていない』『慾はなく、決して瞋らず、いつも静かに笑っている人は、どこの村の中にでも、掃いて捨てるほど、何人でもいる』『一日に玄米を四合も食べている農民は、ほとんどいない』『何事にも自分を勘定に入れないのは、この国では、常識だ』『ほとんどの農民は、例外なく、小さな小屋に住んでいる』『誰だって、病気の子供があれば看病してやり、疲れた母があれば農作業を手伝い、死にそうな人があれば見舞いに行き、喧嘩や諍いがあれば、誰にも頼まれなくても仲裁をする』『日照りや冷害のときは、誰だって悲しくておろおろする』『他人にほめられようとして生きている人は一人もいないし、みんな他人に苦にされないようにして生きている』という訳で詩の意味を彼らには理解してもらえませんでした」
と軽く笑うように息を吐きながら、
「『サウイフモノニ ワタシタチハナッテイル』『ワタシタチハ サウイフモノデアル』というのが彼らひとりひとりの詩の感想でした。最後に、『そんなあたり前の詩が、なんで農業指導員のあるべき姿、生きる指針、理想像になるのか、まったくわからない』と言うので、もう詩の解説はやめました。かれらにそういわれて、いつも剥がそうと思っているんですが、未練があってなかなか剥がせないんです。受講生は農繁期で村に帰っているので剥がすなら今かも」
その教室をあとにした。玄関からふたりで建物の外に出た。
夜気は部屋の空気よりも薄く軽やかに感じられた。蛙の長閑な鳴き声は遠くの夜の底から、虫の声は近くの浅い闇の奥から聞こえてきた。玄関のポーチから食堂の脇に続く廻廊に手造りの小さな木のテーブルと丸椅子が二脚置いてあった。食堂の窓からこぼれてくる明かりが途切れる辺りに派遣員は椅子を運んだ。