「おまえの見ている前で払いたかったんだが、そうしないと、明日、この運転手がおれからは受け取っていないと嘘ついて、おまえに請求する可能性がある」
と土岐の眼を見ながら長谷川が言う。
「駅に着いたら払おう。明日の分も一緒に」
と長谷川が運転手に言うと、
「あしたは何時ごろに、出発するのか?」
と農業試験場の玄関を覗き込むようにして運転手が訊いてくる。
「首都に帰るので、その列車に間に合う時間に出発したい」
と長谷川が要望を簡潔に述べた。
運転手は半身になって振り向いた。
「それなら遅くともここを一時に出なければならない」
と暗算をするような眼で言う。
ハイヤーからの降り際に、
「今夜はあのホテルで寝るのか?」
と土岐は長谷川に聞いた。
「ああ、そうだ。ヒジノローマのへんに木賃宿はないからな」
と長谷川は無愛想に頷いた。
「明日の一時に、この玄関に迎えに来てくれ」
と土岐は運転手に頼む。車外に出た。ラジエター・グリルに蕎麦粉のような土埃がこんもりと付着しているのが見えた。下半身が少しふらついた。上体はまだ車の振動の余韻に波打つように揺れていた。膝を伸ばし尻をさする。トイレに駆け込むことを考えた。
「それじゃ、行くぞ」
と長谷川が窓から首を出した。
憧憬のサウイフモノ(土曜日夜)
車が高温の排気を悪臭とともに吐きだしながら草臥れたように走り去る。玄関に裸電球が燈る。痩躯の男が出てきた。短い髪と一重瞼にこの建物と同様にどこかで見たような錯覚を覚えた。
「遠路はるばる、長旅、お疲れ様でした」
と男は温和に近付いてきた。愛想笑いを見せているようにも感じた。もともとそういう顔付きなのかも知れない。
「そのバッグ、重いでしょう。代わりに、お持ちしましょう」
と土岐のショルダーバッグを代わりに持とうと手を差だした。
「いえ、これ、軽いものですから、いいです」
と土岐は慇懃に断った。
「そうですか、じゃあこちらへ。長谷川さんから聞きましたが土岐さんですね。小川伺朗といいます」
と男は少し腰を落とすような格好で手の平を真後ろにむけて先に玄関の中に入っていった。
天井の低い狭い廊下が続いていた。
土岐は立ち止まって名刺を差し出した。
「土岐です。今晩よろしくお願いします」
眼が慣れてくるととてつもなく薄暗いことに気づいた。トイレを探したが見当たらなかった。
と土岐の眼を見ながら長谷川が言う。
「駅に着いたら払おう。明日の分も一緒に」
と長谷川が運転手に言うと、
「あしたは何時ごろに、出発するのか?」
と農業試験場の玄関を覗き込むようにして運転手が訊いてくる。
「首都に帰るので、その列車に間に合う時間に出発したい」
と長谷川が要望を簡潔に述べた。
運転手は半身になって振り向いた。
「それなら遅くともここを一時に出なければならない」
と暗算をするような眼で言う。
ハイヤーからの降り際に、
「今夜はあのホテルで寝るのか?」
と土岐は長谷川に聞いた。
「ああ、そうだ。ヒジノローマのへんに木賃宿はないからな」
と長谷川は無愛想に頷いた。
「明日の一時に、この玄関に迎えに来てくれ」
と土岐は運転手に頼む。車外に出た。ラジエター・グリルに蕎麦粉のような土埃がこんもりと付着しているのが見えた。下半身が少しふらついた。上体はまだ車の振動の余韻に波打つように揺れていた。膝を伸ばし尻をさする。トイレに駆け込むことを考えた。
「それじゃ、行くぞ」
と長谷川が窓から首を出した。
憧憬のサウイフモノ(土曜日夜)
車が高温の排気を悪臭とともに吐きだしながら草臥れたように走り去る。玄関に裸電球が燈る。痩躯の男が出てきた。短い髪と一重瞼にこの建物と同様にどこかで見たような錯覚を覚えた。
「遠路はるばる、長旅、お疲れ様でした」
と男は温和に近付いてきた。愛想笑いを見せているようにも感じた。もともとそういう顔付きなのかも知れない。
「そのバッグ、重いでしょう。代わりに、お持ちしましょう」
と土岐のショルダーバッグを代わりに持とうと手を差だした。
「いえ、これ、軽いものですから、いいです」
と土岐は慇懃に断った。
「そうですか、じゃあこちらへ。長谷川さんから聞きましたが土岐さんですね。小川伺朗といいます」
と男は少し腰を落とすような格好で手の平を真後ろにむけて先に玄関の中に入っていった。
天井の低い狭い廊下が続いていた。
土岐は立ち止まって名刺を差し出した。
「土岐です。今晩よろしくお願いします」
眼が慣れてくるととてつもなく薄暗いことに気づいた。トイレを探したが見当たらなかった。


