アイキルユウ

「結婚相手がゴンゲイガウから君のことを聞いて復讐するということはありえないのか」
「彼女が結婚する前のことだ。結婚してからは、手を出していない」
「慶子さんと優子さんは結婚しているじゃないか」
「彼女らは日本人だ」
 殺伐とした生ごみ集積場のような風景が倦むことなく続いている。絡み合う潅木、剥きだしの岩、伸び放題の雑草、底知れぬ沼地、澱んだ小川、いずれも人の手が入っていない荒地。列車の中から見たのと同じような埃っぽい荒野と大小の岩石が点在する荒れ放題の草原が間近にどこまでも続いた。うんざりとするような蒸し暑い風景が車窓をどんよりと流れた。
 急ハンドルに身構えながらも土岐はうたたねをした。前部座席の背に額を打ち付けた。ぼんやり眼が覚めた。
 二時間ほど走った。陽がようやく傾き始めた。遠くの裸の山巓に時々太陽が隠れた。山陰に入ると逆に日向の灼熱を思いだした。
 エンジンは終始苦しそうに唸り声を上げていた。時折、限界だと告げるような不協和音が聞こえた。エンジンの叫喚のようにも聞こえた。
 車体の振動が激しくなった。小さなマウンドを駆け上がるたびに車は放り投げられたように宙を飛んだ。着地の衝撃で車体が分解しそうな不安を覚えた。
 運転手は手摺代わりにハンドルをしっかりと握り締めていた。後部座席にすがりつける吊革はなかった。
 やがてゆるやかな上り坂に差し掛かった。登坂が始まると急にスピードが落ちた。
 運転手は痩せこけた驢馬を鞭打つようにアクセルを踏み込む。自転車のペダルを漕ぐように上体を前後に揺らす。屈み込むたびに車を叱咤する掛け声をだした。
 スピードが落ちると腹筋の緊張が解けた。土岐は息をつけた。
 長谷川が軽いいびきを立てている。
 不意にまどろみが土岐の意識を襲った。車体の軋みとエンジンの喘ぎが遠のいたり近付いたりする。
 運転手の唸り声がかすれかけた途端、車はもんどりを打って峠を転がり始めた。瞬時に眠気が霧消した。
 運転手が口笛を吹き始めた。
 長谷川が眼を覚ました。
「聞いたことのあるメロディーだ。たぶん、映画音楽に違いない。この国の映画はどれもミュージカルもどきで何の脈絡もなく突然主人公が歌いだし、ヒロインとともに踊りだす」