アイキルユウ

「ご主人のことですが、確かにいろいろと平均的な人と異なる個性を持っている人ですが、あれほど優秀な人はわが社にもいません。たぶん、あなたが不満に思っていることを差し引いても余りあるほど有能な人です。頭の中は眼に見えないので、言ったこととか、やったことでしか人を判断することは出来ないんですが、あの人は言ったことや、やったことだけでは知ることが出来ないほど頭のいい人です。その部分こそ、彼の愛するに値するところじゃないかと思います。所詮、高偏差値の人間と低偏差値の人間がお互いに理解し合うことは出来ないんだと考えるしかないんじゃないでしょうか」と言い残して長谷川は車に向かう。車に乗り込む前に、事務所の角に隠れていた土岐と眼があった。長谷川は指先を車の前方に向けて突き出した。このさきで、土岐を拾うという意味らしい。
 長谷川は後部座席でショルダーバッグを脇息代わりに脇に据える。車は虚勢を張るようにアクセルいっぱいに急発進した。慶子に別れの手を振るいとまもなかった。長谷川は思わず仰け反る。後頭部がリアウインドウにしたかに打ち据えられた。長谷川が急いで振り返ってリアウインドウから慶子を覗う。白い埃の中で寂しそうに小さく手を振っていた。
 しばらくして、慶子は改札口から駅舎の中に消えた。
 

殺伐行程と放蕩標榜(土曜日午後)
 
 土岐は事務所の角から通りに出た。車が走って行った方角を眺めた。土埃の中で停車しているのが確認できた。わき目も振らず、追いかけた。駅前から遠ざかると途端に道路から舗装が消えた。息が切れた。歩きながら車に追いつく。後部座席のドアが開く。長谷川が首を出した。倒れ込むように車に乗り込んだ。ドアを閉める。すぐ走りだした。スプリングが萎えてへたりこんでいる座席から道路の凹凸が尾てい骨に直に伝わって来た。
 凹みに突っ込むたびに車はジャンプした。腰が宙に浮く。頭頂が天井の薄い鉄板に打ち据えられた。
 道路は車が擦れ違うのがやっとの幅員。がらくたのような潅木とゴロゴロしている岩の間隙を激流を下るゴムボートのように蛇行していた。場末のジェットコースターのようだ。右にハンドルを切ると体は左に、首は右に倒れた。左に切ると右と左に倒れた。
 次第に、上体を支えていた腹筋に疲れを覚えてきた。
「今日中に着けばいいんだ。ゆっくり行ってくれ」