ハイヤーの事務所は駅舎のむかいの平屋五軒の棟続きの中央にあった。赤茶けた煉瓦造りの各棟の間隔は一ヤードほど。煉瓦はいたる所が剥落していた。補修した跡もある。そこもいくつか欠落していた。補修の代わりか、州選挙のポスターがいたるところに貼ってあった。白黒のコピー用紙だ。幾度もコピーを繰り返したようだ。活字の角や写真の細部が潰れていた。候補者が指名手配犯のように見えた。そのポスターの下や周りに、幾枚ものポスターが剥がされた跡があった。
土岐は出札窓口の脇の窪みに身を隠した。
事務所には扉もシャッターもなかった。内部には傾きかけた傷だらけの机がぽつねんと一つあるだけだった。誰もいなかった。
駅から出てきた長谷川が暫くそこに佇んでいる。背後から五六才の薄汚い少年に半袖の裾を引っ張られた。長谷川が振り返ると、
「こっちへ来い」
と手招きしている。
物珍しそうにしている慶子と一緒について行く。事務所の裏手に消えた。
土岐は通りを渡る。かれらを追跡した。獣道のような狭隘な径が崖の下に延びていた。
慶子の足元がおぼつかない。履物を見るとローヒールだった。
一瞬、長谷川が手を貸そうとして、やめた。
慶子は足元に神経を集中するのに夢中で、それを求めているようには見えなかった。
樹木の隙間から、穏やかな川の流れが見えた。
土岐が柔軟にしなう月桂樹の枝につかまる。距離をとって川原に降りて行く。木々の間から途中に小さな滝が見えた。
少年はその滝の傍らに立ち止まった。
あたりに誰も見当たらなかった。
少年の指差す方を見る。苔むした猿の石像が鎮座していた。足元に細かい奇石が供え物のように散乱していた。背中に双葉柿の巨木がある。幹を覆い隠すように蔓植物が絡みついている。根元には縞模様の林床植物の葉が生い茂っていた。その奥の滝壺の脇に小さな沼がある。水面に蓮の葉が数葉広がっていた。ひんやりと心地よいスポットだった。
「しゃがんで」
と慶子が唐突に命令口調で長谷川の耳の後ろで命令した。
長谷川は、その意図がわからない。問いただすこともない。不承不承のように川岸に跪いた。その途端、慶子の薄緑色のフレアスカートが土岐の視界から長谷川を遮蔽した。
「なんですか?」
と長谷川はくぐもった言葉を発する。
土岐は出札窓口の脇の窪みに身を隠した。
事務所には扉もシャッターもなかった。内部には傾きかけた傷だらけの机がぽつねんと一つあるだけだった。誰もいなかった。
駅から出てきた長谷川が暫くそこに佇んでいる。背後から五六才の薄汚い少年に半袖の裾を引っ張られた。長谷川が振り返ると、
「こっちへ来い」
と手招きしている。
物珍しそうにしている慶子と一緒について行く。事務所の裏手に消えた。
土岐は通りを渡る。かれらを追跡した。獣道のような狭隘な径が崖の下に延びていた。
慶子の足元がおぼつかない。履物を見るとローヒールだった。
一瞬、長谷川が手を貸そうとして、やめた。
慶子は足元に神経を集中するのに夢中で、それを求めているようには見えなかった。
樹木の隙間から、穏やかな川の流れが見えた。
土岐が柔軟にしなう月桂樹の枝につかまる。距離をとって川原に降りて行く。木々の間から途中に小さな滝が見えた。
少年はその滝の傍らに立ち止まった。
あたりに誰も見当たらなかった。
少年の指差す方を見る。苔むした猿の石像が鎮座していた。足元に細かい奇石が供え物のように散乱していた。背中に双葉柿の巨木がある。幹を覆い隠すように蔓植物が絡みついている。根元には縞模様の林床植物の葉が生い茂っていた。その奥の滝壺の脇に小さな沼がある。水面に蓮の葉が数葉広がっていた。ひんやりと心地よいスポットだった。
「しゃがんで」
と慶子が唐突に命令口調で長谷川の耳の後ろで命令した。
長谷川は、その意図がわからない。問いただすこともない。不承不承のように川岸に跪いた。その途端、慶子の薄緑色のフレアスカートが土岐の視界から長谷川を遮蔽した。
「なんですか?」
と長谷川はくぐもった言葉を発する。


