アイキルユウ

 いつの間にか二人とも眠り始めた。少し、背伸びをして覗き込む。長谷川が下半身をもぞもぞさせている。慶子の上体の重みで下半身に軽い痺れを感じている。
 腕時計を見ると十一時を過ぎていた。
 長谷川は眼を閉じたまま、慶子の髪を弄んでいる。
 長谷川から受け取った耕運機のファイルが前の座席のショルダーバッグの中にあった。読む気になれなかった。現物を見てみなければ何もわからない。着くのは夕方だろう。点検作業はたぶん明日になると高をくくっていた。
 長谷川の携帯電話のメール着信音が聞こえた。
 慶子が眩しそうに目を覚ました。瞳の焦点が合っていない。
「あら、またチャイコのピアノコンチェルトね」
 長谷川がメールを開ける音がする。慶子がそれを読み上げる。
「@昨日のことバレたみたい。あなたを送り届けただけということになっているので、よろしく@って、なんのこと?」
 長谷川が慌てて液晶画面を閉じる。
「あら、見てはいけないメールなの?」
「どうでもいいけど、発信者のプライバシーにかかわることなんで」と長谷川のしどろもどろの声がする。
「そうね、貴方にとって良くっても相手の方にとっては都合の悪いことってあるものね。でも、そういう何気ない仕草が人を傷つけることってあるのよ。貴方の隠し方は、私の人格を無視するような素振りだったわ。わたしはとっても敏感だから、貴方にとっては何気ないそんな素振りでもとても傷つくの。たとえば、向こうから知っている人がくるとするでしょう。その人が、目を伏せて、挨拶もしないで通り過ぎようとするだけで、わたしはその日一日、憂鬱なの」
「それは、同感です。でも、その人にそうさせるのは、自分が気づかないうちに、その人を傷つけていて、だからその人は目線を合わせて、挨拶ができないのかも知れない」
 そう言うと慶子は長谷川の太腿を抓った。
「いたっ!」
「あら、貴方にとってわたしはそういう女だったの?」
「いえ、これはあくまでも一般論です。奥さんがそうだと言うわけではありません」
「やめて、奥さんって呼ぶの」
と慶子は声音を緊張させた。今日初めて慶子が吐いた剥きだしの感情だった。
「じゃあ、なんてお呼びすればいいんですか」
「そうね、二人だけのときは慶子って呼んで」
「慶子さん?」