「この国に来たのは、父の債権者たちから逃げるためだったの。慌てて海外勤務の希望をだしたので、こんな国しかなかったみたい。でも背に腹はかえられないので来てしまったわ。この国では彼のキャリアにならないでしょう。彼の予定では、父が国会議員に当選した後、その後継者として、いずれ地盤を引き継ぐつもりだったみたい。計算を狂わせてしまったわ。あなたはどう?計算通りに人生を生きていられるの?」
と独り言のように言う慶子に長谷川は戸惑っているようだ。
しばらく沈黙がある。同情していいのか慰めるべきなのか言葉が見つからない。こういうものの言い方は昨夜の優子とはずいぶん違う。優子が話すのは自分の事ばかりだ。相手の身の上を聞くということをしない幼さがあった。
「計算通りかどうか、計算したことがないもんで。行きあたりばったりというか、行き当たってバッタリといつも倒れるばかりで」
「ふふふ。面白い人」
と慶子が生ぬるい微風のように優しく笑った。
時々、廃車寸前のようなトラックが国道を蛇行していた。木枠の荷台に鈴なりの人々が乗っていた。不揃いなウツボカズラのような黒い頭が一斉に上下左右に激しく揺れていた。
列車に追い越されるトラックも擦れ違うトラックも空中分解しそうなほど激しく振動している。長い裾を引き摺るように土埃を引き連れて遠ざかって行った。
白い埃の剣幕の中から、トラックに追い越された若者や壮年の農夫が何ごともなかったかのように平然と歩いて現れた。若者は数多の牛を追い回し、農夫は荷車を漫然と引いていた。
不意に、慶子が、
「この国に来てから、夫婦生活がないの」
と言う。土岐は思わず車内を見まわした。三人以外は先刻の軍人が一人いるだけ。言っている意味を理解しているようには見受けられない。土岐は自分の耳のあたりが強張ってくるのが自覚できた。
「薄々気づいていたでしょ?」
と慶子は首を傾げる。長谷川の顔色をうかがうように覗き込む。
背もたれの上に少し出ている長谷川の頭髪が無言のまま左右に揺れている。
「どっちもどっちね。お互いに打算で結婚したんだから、打算の条件が崩れれば、夫婦生活もなくなるということかしら」
「いやあ、また、新しい条件が揃うんじゃないですか。一度は、ともに結婚という重要な契約を取り交わすことを承諾したんだから」
と独り言のように言う慶子に長谷川は戸惑っているようだ。
しばらく沈黙がある。同情していいのか慰めるべきなのか言葉が見つからない。こういうものの言い方は昨夜の優子とはずいぶん違う。優子が話すのは自分の事ばかりだ。相手の身の上を聞くということをしない幼さがあった。
「計算通りかどうか、計算したことがないもんで。行きあたりばったりというか、行き当たってバッタリといつも倒れるばかりで」
「ふふふ。面白い人」
と慶子が生ぬるい微風のように優しく笑った。
時々、廃車寸前のようなトラックが国道を蛇行していた。木枠の荷台に鈴なりの人々が乗っていた。不揃いなウツボカズラのような黒い頭が一斉に上下左右に激しく揺れていた。
列車に追い越されるトラックも擦れ違うトラックも空中分解しそうなほど激しく振動している。長い裾を引き摺るように土埃を引き連れて遠ざかって行った。
白い埃の剣幕の中から、トラックに追い越された若者や壮年の農夫が何ごともなかったかのように平然と歩いて現れた。若者は数多の牛を追い回し、農夫は荷車を漫然と引いていた。
不意に、慶子が、
「この国に来てから、夫婦生活がないの」
と言う。土岐は思わず車内を見まわした。三人以外は先刻の軍人が一人いるだけ。言っている意味を理解しているようには見受けられない。土岐は自分の耳のあたりが強張ってくるのが自覚できた。
「薄々気づいていたでしょ?」
と慶子は首を傾げる。長谷川の顔色をうかがうように覗き込む。
背もたれの上に少し出ている長谷川の頭髪が無言のまま左右に揺れている。
「どっちもどっちね。お互いに打算で結婚したんだから、打算の条件が崩れれば、夫婦生活もなくなるということかしら」
「いやあ、また、新しい条件が揃うんじゃないですか。一度は、ともに結婚という重要な契約を取り交わすことを承諾したんだから」


