土岐は資料室を出ると、隣のパソコンルームで久邇頼道の会社の住所を調べた。〈久邇商会〉という一部上場企業の本社は虎ノ門にあった。住所と電話番号をメモした。ついでに、〈三重海軍航空隊〉と打ち込んで検索すると、記念館のホームページが出てきた。住所と電話番号をメモし、記念館の火曜日の開館を確認した。東京に戻ると三重に来るのも億劫になるし、交通費もかさむので途中下車で、津市香良洲の三重海軍航空隊址の記念館に立ち寄ることにした。
十一時前の新幹線〈のぞみ〉に飛び乗って名古屋に着き、十一時半過ぎの快速〈みえ〉で津駅で紀勢本線に乗り換え、十三時前に高茶屋に着いた。駅員に聞くと、香良洲までは徒歩で四十五分とのことだった。土岐は躊躇したがタクシーで行くことにした。十数分で記念館に着いた。
三田法蔵とは何者かという思いが土岐を地の果てのような松原に導いた。海の近くだった。潮の香りが鼻腔をかすめた。眼前に拡がるのは何もない松林だった。砂地に基地跡の碑が建っているだけだった。近くに二階建ての記念館のあるのが眼に入った。入館してみると、記帳台があり、入り口に老女が座っていた。
土岐は本名を記帳した。その右に般若心経の写経台があり、千円の写経を納める箱と献金箱があった。その傍らに線香が積まれていて、ひと束五百円で、脇に入金箱があった。
館内には所狭しと、海軍航空基地の記念品が展示されていた。最初に掲示されていたのは沿革だった。
〈軍服〉
〈制帽〉
〈武運長久と大書された日の丸の寄せ書き〉
〈海軍機上練習機白菊の主翼とプロペラの残骸〉
〈水上特攻ボート震洋のエンジンとスクリューの残骸〉
〈ゼロ式戦闘機の残骸〉
〈戦艦・駆逐艦・巡洋艦のプラスティック模型〉
〈航空戦の絵画〉
〈軍靴〉
〈新聞の切り抜き〉
〈集合写真〉
〈手紙などの遺品〉
〈遺影〉
〈遺書〉
などがガラスケースの中に展示されていた。特攻隊員が家族や恋人にあてた手紙を読んでいると、土岐の胸にこみあげてくるものがあった。展示物の多くには、寄贈者の名前が小さく書かれていた。展示物の一つに軍刀があった。
土岐は寄贈者の名前を見て体が硬直し、その場から動けなくなった。寄贈者の名前は、〈長瀬啓志〉と書かれていた。寄贈の日付は昨年になっていた。
土岐は一階の入り口に座っていた老女に聞いた。
十一時前の新幹線〈のぞみ〉に飛び乗って名古屋に着き、十一時半過ぎの快速〈みえ〉で津駅で紀勢本線に乗り換え、十三時前に高茶屋に着いた。駅員に聞くと、香良洲までは徒歩で四十五分とのことだった。土岐は躊躇したがタクシーで行くことにした。十数分で記念館に着いた。
三田法蔵とは何者かという思いが土岐を地の果てのような松原に導いた。海の近くだった。潮の香りが鼻腔をかすめた。眼前に拡がるのは何もない松林だった。砂地に基地跡の碑が建っているだけだった。近くに二階建ての記念館のあるのが眼に入った。入館してみると、記帳台があり、入り口に老女が座っていた。
土岐は本名を記帳した。その右に般若心経の写経台があり、千円の写経を納める箱と献金箱があった。その傍らに線香が積まれていて、ひと束五百円で、脇に入金箱があった。
館内には所狭しと、海軍航空基地の記念品が展示されていた。最初に掲示されていたのは沿革だった。
〈軍服〉
〈制帽〉
〈武運長久と大書された日の丸の寄せ書き〉
〈海軍機上練習機白菊の主翼とプロペラの残骸〉
〈水上特攻ボート震洋のエンジンとスクリューの残骸〉
〈ゼロ式戦闘機の残骸〉
〈戦艦・駆逐艦・巡洋艦のプラスティック模型〉
〈航空戦の絵画〉
〈軍靴〉
〈新聞の切り抜き〉
〈集合写真〉
〈手紙などの遺品〉
〈遺影〉
〈遺書〉
などがガラスケースの中に展示されていた。特攻隊員が家族や恋人にあてた手紙を読んでいると、土岐の胸にこみあげてくるものがあった。展示物の多くには、寄贈者の名前が小さく書かれていた。展示物の一つに軍刀があった。
土岐は寄贈者の名前を見て体が硬直し、その場から動けなくなった。寄贈者の名前は、〈長瀬啓志〉と書かれていた。寄贈の日付は昨年になっていた。
土岐は一階の入り口に座っていた老女に聞いた。


