法蔵飛魂

「もう亡くなられたんですが、作家の塔頭哲斗がそこにおられたというのをご存知で?」
「・・・へえ、聞いたことありますな」
 その先を知りたかった。若い僧が気付きそうになかったので、しびれを切らして問うた。
「その当時のことを詳しくご存じの方はおられませんか?」
 若い僧は考え込んだ。首を少しかしげている。
「・・・うーん・・・ひょっとしたら、うちんとこの出入りの花屋の御隠居はんなら・・・」
「その花屋はどこですか?」
「・・・壱萬遍の交差点の角どす」
 それを聞いて土岐は智恩寺を辞した。
 
 歩きながら、交差点の向こうの角に、花屋らしき店のあるのを思い出していた。秋の彼岸も終わり、さびしげな店先だった。花立てを店の中にしまい、店内に動きまわるスペースがないように見えた。半分照明が落とされていた。土岐は、草花の青臭いにおいを鼻腔に感じながら、〈大渕花卉店〉と金文字で書かれているガラス扉を開けて店の外から声をかけた。三十前後の女が、座ったまま店の奥の茶の間に続く引き戸を開けて、首だけ出した。透き通るほど白い頬をしている。
「そこの智恩寺で、聞いてきたんですが、こちらに御隠居さんがおられるそうで・・・」
 女は細面の一重瞼を細めて、紅いおちょぼ口で言う。
「・・・へえ、智恩寺はんで・・・大隠居なら、ここにおりますが・・・」
 えらの張った銀髪の老人が、女が引き戸に掛けた手の下から、皺だらけの顔を出した。
眠そうに見えるが、瞼が垂れ下がっているだけだ。
「すいません、ちょっと、戦時中のことで、お聞きしたいことがありまして・・・」
 そう土岐が言うと、老人は耳に右手を添えて、招き猫のように左手で手招きした。土岐は低頭しながら、黒い強化プラスティックの花立てをかき分けて、店の奥に入った。菊花の謹厳な生々しい香りが鼻をついた。
 土岐が茶の間を伺うと、先刻の女がベージュのスラックスの小またを切り上げて立ち、茶箪笥から湯呑を取り出していた。老人に招かれるままに、土岐は茶の間のすり減った縁に腰かけた。
「実は、戦時中に智恩寺に寄宿していた三田法蔵さんについて調べています」
 老人が素っ頓狂な大声をあげた。丸い目を精一杯見開いて、土岐を見つめている。