法蔵飛魂

 廣川弘毅も同じようなことをしていた。糸魚川出身の相馬御風と京都出身の廣川弘毅、昭和二十五年に没した御風と昭和二十五年以降、伝説の総会屋として活躍し始めた弘毅。二人の共通点は校歌や社歌や団歌しかない。
 
 敦賀に到着したのは午後三時半ごろだった。夕暮れが近付いていたので、土岐は急ぎ足で、法蔵寺に向かった。昨日と同じ庫裡の玄関で、土岐は声をかけた。しばらくして、昨日の住職が、腫れぼったい顔で現れた。昨夜、精進落としの会席でもあったのかも知れない。住職は、数秒で昨日の土岐を思い出した。
「長田賢治さんについてなんですが・・・戦前、こちらに小僧さんでおられたとか・・・」
「知りませんねえ。永田賢蔵さんではないんですか?どういう字を書くんですか?」
「長短の長い田んぼ、賢く治める、という名前です」
「長田賢治という名前が、出家する前の名前だとすると、永田賢蔵の賢蔵は出家した時の名前で、永田は記憶違いかも知れないです。この寺では、僧名に蔵を付けるのがしきたりで、・・・長田賢蔵さんは、還俗されて、もとの賢治という名前に戻したんですかね。戦前は浄土宗の大学がなかったんで、終戦前後に京都の浄土宗の専門学校に行かれたんじゃないですかね。京都の同門の寺の智恩寺の方丈に寝泊まりして通ったんじゃないですかね」
 土岐は『学僧兵』のストーリーを思い出していた。京都の専門学校に行ったのは主人公の有部昭夫ひとりではなく、もう一人、網田雄蔵もいた。
「もうひとり、後か先か、賢蔵さんと同じように京都に行かれた方はおられましたか?」
「いたようです。戦争中に亡くなられたんで、わたしは一度もお目にかかったことはないんですが、三田法蔵という人です。出家する前は法雄と言ってたようです。とても優秀だった人みたいで、本堂に掛けてある南無阿彌陀佛というお軸も、三田法蔵さんが書かれたものと先代の住職の連れ合い、母から聞いています。よろしかったら、ご覧になりますか?」
と言いながら、住職は手のひらを土岐に向けて、玄関から上がるように促す。三田という名前は京都北白川で及川光子の口から聞いた。