法蔵飛魂

「・・・ああ、あれどすか。あれは、金井はんに紹介されて、坂本はんに勧めました。わたくしは、直接浦野はんゆうお人は知りませんし、彫刻の現物も見ていませんが・・・」

 土岐は外に出るとすぐ、清和家のばあやだった老婆の家に電話した。本人が出てきた。九十歳前後の高齢のはずだが、しっかりした口調だった。最初は土岐を警戒していたような胡散臭い雰囲気だったが、清和俊彦さんの紹介と言うと、その警戒がサッと解かれた。
 土岐は市バスで北白川に向かった。バスのなかで、金井泰三と長瀬啓志と廣川弘毅の関係について考えてみた。金井と廣川は昔総会屋だったころのボスと手下の関係らしい。長瀬と廣川は雑誌の主宰者と広告主の関係だ。
 老婆の家は京都大学の東隣あたりにあった。仕舞屋風の古い民家だった。屋根が低く、玄関の敷居が頭にぶつかりそうだった。玄関に入ると板の間に老婆が着古して色あせた京友禅で正座して待っていた。土岐が挨拶すると、老婆は玄関わきの四畳半ほどの茶の間に土岐を招じ入れた。ささくれ立ちかけて白茶けた畳が波打つように歪んでいた。
「終戦間際の清和家の書生についてお聞きしたいんですが、・・・そのころ廣川弘毅という人がおられたと思うんですが、その人について何か思いだすことがありましたら・・・」
 老婆は小さなちゃぶ台の上で朱泥の急須を傾けながら、首をひねる。目が皺だらけで、考えているのか、眠っているのか判然としない。
「書生は、太平洋戦争勃発前後は、河村倉之助はんゆう方で、すぐ徴集されはりました。次に来られたのは、松村博之はんゆう方で、この方は、肺病やみで除隊されはった方なので、『この男は肺病病みだから、召集されはることはないので書生によろしい』とご当主が言わはれまして・・・たしか、昭和十九年だったと思います。女中頭の木村麻子の親戚のご紹介だとゆうことどした。だから、身元は確かだろうゆうことで・・・」
と話しながら、老婆はスーパーマーケットの広告の裏に持つのがやっとという短い鉛筆で二人の名前を書いた。達筆だが、運筆がちゃぶ台の傷をなぞっている。
 土岐は二人の名前をシステム手帳に写した。
「廣川弘毅という名前に聞き覚えはないですか?」
「・・・いらはれたとしても、書生はんではないんと違いまっか?三田はんゆう家庭教師の方はいらはりましたが・・・でも、この方は通いで・・・」