法蔵飛魂

 インターネットの紳士録のサイトで、〈清和 侯爵 京都〉という言葉をキーワードとして検索してみた。ヒットしたのは〈清和俊彦〉だった。坂本茂の黄綬褒章の推薦書を書いた人物だった。文化団体とか、NGOとか、市の委員会とか、カネとあまり縁のなさそうなお飾りのような肩書がずらりと並んでいた。交友欄に久邇商会会長の久邇頼道という名前があった。本職は、駐車場管理会社の代表取締役だった。
 土岐はその会社に電話をかけ、夕方四時過ぎに面会の予約をとり、京都に引き返すことにした。
 
 三時過ぎの特急サンダーバードに乗り込んだ。京都に着いたのは、四時過ぎだった。
 駐車場管理会社の事務所は新京極方面の駅前ビルの裏手の狭い路地の二階にあった。
 受付の女子事務員に面会の予約を告げると、隣室に通された。八畳ほどの応接間だった。ブラウンのソファーに勝手に腰かけて待っていると、
 しばらくして馬面のどこか間の抜けた五十代後半のなで肩の男が出てきた。
 土岐は名刺を出して挨拶をした。
 清和俊彦は不潔なものを触るような手つきで名刺を受取り、能面のようなしかめつらで文字を読んでいる。鼻先で読んでいるような印象だった。
「清和源氏の傍流の土岐一族の末裔です」
と土岐が言うと清和俊彦の顔がだらしなく綻んだ。眉先が目尻に着きそうになっている。土岐は自分の名前に感謝した。
「・・・何百年か辿れば、どこかで、あんたはんと繋がるかも知れんどすな」
と清和俊彦は顎を少し突き出して言う。
「私の方はどこの馬の骨だか。明治維新のとき勝手に土岐を名乗ったのかも知れないです」
「・・・そうでっしゃろなあ」
と俊彦は侮蔑するような笑みをもらす。
「今日お伺いしましたのは、戦時中、清和家で書生をしていた廣川弘毅という男のことで」
 俊彦のしまりのない顔が、びっくりしたように歪む。
「その頃の当主英彦は祖父で、昭和初期に米国に留学したことがあってアメリカ人の知己が多かったと聞いております。昭和天皇さまと親しかった東京の公爵家に刎頸の友がいて」
「さしつかなければ、その方のお名前を教えていただけますか?」
「どうでっしゃろ。・・・先方はんにお聞きしてみないと・・・勝手に紹介したとなると」