法蔵飛魂

 精神的には、大黒さんの陰湿ないじめがこたえた。自分の子どもの長蔵や次蔵より、昭夫や雄蔵の成績の方がよく、檀家の評判もいいのが面白くないようで、食事、着物、勤行、小遣いなど、日常生活のあらゆる面で大黒さんに差別された。わずかな粗相でも、厳しく叱責を受け、「お布施をごまかした」とか、何かにつけて濡れ衣を着せられた。
 そういう苦しい生活の中、雄蔵は昭夫を励まし、二人で力を合わせて理不尽な大黒さんの仕打ちに耐えた。

〈第二部「僧兵」〉
 雄蔵は中学校を終えると、京都の浄土宗の専門学校に進学した。
 長男の長蔵は出征した。
 昭夫は蔵妙寺でたったひとりの小僧になった。しかし、京都に行った雄蔵と日めくりの様な文通が始まる。これによって、二人の人生が同時進行で共有されることになった。
 昭和十六年十二月、太平洋戦争に突入し、次第に物資が不足がちになり、中学五年の一年間が昭夫にとって一番つらい年だった。この年、あと少しで学年で一番になり、和尚から里帰りが許されるところだったが、大黒さんの意地悪で、何かと用を言いつけられ、欠席が嵩み、学年二番で卒業することになった。卒業式の夜、昭夫は悔しさのあまり、一晩泣きとおした。
 卒業後、昭夫も京都の浄土宗の専門学校に進むことになった。
 京都では蔵妙寺の和尚の兄弟子が住職を務める知経寺の方丈に寄宿し、再び雄蔵と同居することになった。
 京都での生活は、敦賀と比べると天国のようだった。
 知経寺の住職は独身で、寺の作務は九人の僧侶全員で行った。
 昭夫や雄蔵のような学僧は五人いた。
 専門学校でも雄蔵の秀才振りは群を抜いており、入学試験が満点であったという話は、すでに伝説のようになっていた。それを聞きつけた檀家総代の境伯爵が子弟の家庭教師にと雄蔵を求めたため、雄蔵と明るいうちに接触できるのは、早朝の勤行と専門学校の昼休みだけとなった。
 雄蔵は毎晩遅く、境家から帰ってくる日常だった。雄蔵は毎夜、真っ暗な方丈の布団の中で、寝物語のようにその日あったことを、昭夫に逐一話して聞かせてくれた。こうして二人の青春は、重層的に共有されることになった。
 昭夫が専門学校の二年生になった時、雄蔵は海軍予備学生に応募し、全国第一位の成績で合格し、海軍航空隊に予備学生として入隊した。
 再び、雄蔵と昭夫との恋人同士の様な文通が始まる。