季刊になる以前の月刊体制下にあった当時について、地下倉庫に格納されている〈月刊開示情報〉を詳細に見ておく必要がある。
茅場町の有価証券図書館に着いたのは2時過ぎだった。
相変わらず雨が降っていた。
長髪の若い女性の図書館員が対応してくれた。地下書庫に所蔵されている製本済みの資料番号をパソコンで調べて〈月刊開示情報〉を閲覧申込書に書き込んだ。創刊号から十年分の十巻をまとめて借り出した。
少し待たされて、最初に借り出したのは昭和三十五年から四十四年までの十冊だった。八紘物産の広告は創刊号からあった。
馬田重史が八紘物産に入社したのは昭和二十九年だから、広告の掲載について、馬田がかかわっていた可能性がある。
船井肇一級建築士事務所も創刊号から広告を掲載している。ただし、八紘物産が全面広告であるのに対して、船井肇一級建築士事務所は半面のB6サイズだ。事務所の所在地は昭和五十五年竣工の船井ビルのある大手町ではなく、永田町になっている。
船井肇が第二八回総選挙で落選し、建築士事務所を開いたのが昭和三十四年だから、船井肇一級建築士事務所の公告は開示情報の創刊と歩調を合わせるようなかたちになっている。
次に、昭和四十五年から五十四年までの十冊を借り出した。広告が掲載されている場所は異なるものの、八紘物産が全面広告、永田町の船井肇一級建築士事務所が半面広告というスタイルは変わっていない。
セントラル監査法人は、次の昭和五十五年から広告主になっている。長瀬啓志がセントラル監査法人の代表社員になったのは昭和五十五年からだから、平仄が合っている。しかも昭和六十年以降、セントラル監査法人の広告はなくなり、長瀬啓志公認会計士事務所がそれと入れ替わっている。長瀬啓志がセントラル監査法人を定年退職し、個人事務所を船井ビルに開設したのが昭和六十年だから、これも符牒が合っている。
玉井企画は平成元年以降、広告を出している。業務内容が観葉植物のレンタル、天然水とコーヒーの宅配、株主総会の資料作成と運営、オフィス用品の受注など、足を洗った元総会屋のおもてビジネスを思わせる。玉井要蔵が警視庁を定年退職したのが平成元年だから、これも時期が一致している。
そこまで、調べて有価証券図書館をあとにした。
午後四時ごろ、茅場町から日比谷線に乗車し、東横線の田園調布に向かった。
茅場町の有価証券図書館に着いたのは2時過ぎだった。
相変わらず雨が降っていた。
長髪の若い女性の図書館員が対応してくれた。地下書庫に所蔵されている製本済みの資料番号をパソコンで調べて〈月刊開示情報〉を閲覧申込書に書き込んだ。創刊号から十年分の十巻をまとめて借り出した。
少し待たされて、最初に借り出したのは昭和三十五年から四十四年までの十冊だった。八紘物産の広告は創刊号からあった。
馬田重史が八紘物産に入社したのは昭和二十九年だから、広告の掲載について、馬田がかかわっていた可能性がある。
船井肇一級建築士事務所も創刊号から広告を掲載している。ただし、八紘物産が全面広告であるのに対して、船井肇一級建築士事務所は半面のB6サイズだ。事務所の所在地は昭和五十五年竣工の船井ビルのある大手町ではなく、永田町になっている。
船井肇が第二八回総選挙で落選し、建築士事務所を開いたのが昭和三十四年だから、船井肇一級建築士事務所の公告は開示情報の創刊と歩調を合わせるようなかたちになっている。
次に、昭和四十五年から五十四年までの十冊を借り出した。広告が掲載されている場所は異なるものの、八紘物産が全面広告、永田町の船井肇一級建築士事務所が半面広告というスタイルは変わっていない。
セントラル監査法人は、次の昭和五十五年から広告主になっている。長瀬啓志がセントラル監査法人の代表社員になったのは昭和五十五年からだから、平仄が合っている。しかも昭和六十年以降、セントラル監査法人の広告はなくなり、長瀬啓志公認会計士事務所がそれと入れ替わっている。長瀬啓志がセントラル監査法人を定年退職し、個人事務所を船井ビルに開設したのが昭和六十年だから、これも符牒が合っている。
玉井企画は平成元年以降、広告を出している。業務内容が観葉植物のレンタル、天然水とコーヒーの宅配、株主総会の資料作成と運営、オフィス用品の受注など、足を洗った元総会屋のおもてビジネスを思わせる。玉井要蔵が警視庁を定年退職したのが平成元年だから、これも時期が一致している。
そこまで、調べて有価証券図書館をあとにした。
午後四時ごろ、茅場町から日比谷線に乗車し、東横線の田園調布に向かった。


